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管理人の日記 - 2012年6月の記事 / やり込みinFF

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 うわあああああああああああああああ6月になってしまったああああああああああああああああああああああああ!!!!\(^お^)/\(^お^)/\(^お^)/
 今月も、暇を見つけて日記やプレイ日誌を更新していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします!!
 ――あと、FF12の生放送の「+1回」は、2日(土)の22:00から行おうと思いますので、お暇な方は是非ともお付き合いください!!!!

(2012年6月30日)

登録タグ/ 明日から本気出す
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 皆さまご存じの通り、最近では「他人が考えたやり込み戦略を無断盗用して動画サイトに投稿する」という盗作被害が非常に大きな問題となっている。それは、「パクリ外人」という言葉で知られていると思うが、もちろん盗作をするのは外人だけではない。苦々しいことに、日本にもそういう輩が存在するのだ。というか、もう実名で非難すると、FFtesterという人間である。コイツは、片っ端から他人の戦法を盗んで動画サイトに投稿する、パクリ専門のゲーマーである。その盗作元は「個人サイト」「動画サイト」「インターネット掲示板」と、枚挙にいとまが無い。もちろん俺も、過去にFFtesterによる盗作被害を受けているし、上の画像では匿名掲示板:「2ちゃんねる」に投稿された戦法を完全盗用して投稿するという離れ業を披露してくれている。FFtesterとは、「パクリ外人」に匹敵する最低最悪の盗作者なのだ。
 ――というわけで本日は、「FFtester」という恥知らずの人間を通して、読者の皆さまに「やり込み戦略の盗用」という問題を改めて知っていただきたいと思い、今回の記事を書くことにした。あとはもちろん、FFtesterを潰すという意味合いもある。お前みたいなパクリゲーマーがのさばってると目障りなんだよ。とっとと失せろ。マジで不愉快だし検索妨害にしかなってないから。

 まず、「やり込み戦略の盗用」ということの意味から説明しておこう。それは、「他人が考えたやり込みプレイの戦略を完全に真似したうえで、自分が作ったかのように公開すること」である。特に近年では、そのような盗作作品を何食わぬ顔で「動画サイト」に投稿するという被害が大変目立っている。もちろん、「○○のサイトを参考にしました」と書いてある場合は、よほど程度が酷くない限り、「盗作」と呼ばれることはない。
 ・・・やれ、やり込みプレイにおける「戦略」というものは、音楽でいえば「楽譜」、手品で言えば「タネ」といったふうに、「やり込み」の根底を成す極めて重要な要素である。だが、盗作というものは、その戦法を思いついた過程や努力を完全に無視し、本来なら発案者が得るべき栄誉を丸ごと横取りしていってしまうのだ。これは立派な著作権侵害である(※著作権は営利活動のみに認められるわけではない。また有形物だけに存在するのではない)。しかも、そういうパクリ人間に限って、「こんなものは誰でも思いつく」「ただ運が良かっただけ」と言って戦略を侮辱していくため、ますます不愉快に感じるのである。
 ――とりわけ、今年初めに話題となった「パクリ外人」の件では、俺が50時間も苦しみ抜いて作り上げたFF13-2のラスボス戦の動画【FF13-2:クリスタリウムなしクリアー2・第13話】を、「盗作はやめてね」とテロップを付けて投稿したところ、パクリ外人が「俺も同じこと考えてたわww」とコメントして堂々と盗作しようとするという仰天の事態が起こり、同時期に投稿していた他のやり込みゲーマーさんも、片っ端からパクリ外人に戦法を盗作されたうえで不愉快なコメントを付けられるという行為を立て続けに受けたため、俺を含むほとんどの人が激怒してYoutubeへの投稿をやめてしまった。そして、今後もこのような状況が続く限り、もう誰もYoutubeにやり込み動画を投稿しようとは思わないであろう。それは、「やり込み」という業界にとって不幸なことであるが、残念ながらこれでは致し方ないというものである・・・。

 さて、かくして「パクリ外人」の一件は「動画の投稿を取りやめる」という形で終了することになったが、まだ盗作問題は終わっていなかった。ここでFFtesterが出てくるのである。というのも、この「FFtester」はパクリ外人と違って日本語が読めるという特性を持っているため、その能力を遺憾なく発揮して、更なる不愉快をやり込み界にもたらしているのである。
 ・・・というのも、FFtesterという人物は、前作『13』の頃から動画サイトに投稿を行っていたのであるが、まず腕自体が大したことが無く、また誰も興味が無いような物を延々と引きずり、しかも面白いと思って書いているであろうネタがことごとく滑っているという、全く見所の無い人間であった。しかし、もちろんであるが、それだけで俺が個人を名指しして非難することは無い。FFtesterは、『13』の頃からパクリくさい内容を投稿していたのであるが、この『13-2』では、発売直後に制限プレイを開始し、先行している人々の戦法を片っ端から盗用してYoutube・ニコニコ動画に投稿するという暴挙に至ったのだ。そして、このFFtesterは悔しいことに日本語が読めるため、今までのパターンとは異なり、文章形式でのプレイ報告も盗作してしまう。つまるところ、いくら我々が外人から動画を隠したところで、「FFtesterが盗作して動画サイトに投稿する→パクリ外人が更に盗作する」という最悪のスパイラルが出来上がってしまうのである。パクリ人間同士お似合いだよと言いたいところであるが、そもそものFFtesterの作戦がパクリなので悲惨になっているのだ。
 ――そして、このFFtesterは、我々のような個人サイトから盗作するどころか、今度は匿名掲示板の戦法を無断盗用するという暴挙に至ったのである。それは、DLCモンスターである「ギルガメッシュ」を1ブレイクで撃破するという難易度の高いものであり、原作はとても素晴らしいプレイである。が、FFtesterはその戦法を何から何まで盗作して投稿し、いつも通り自分が戦略を考え出したかのような文言を付け、そして寄せられたコメントに対して偉そうな顔でアドバイスをするという恥知らずの行為をやらかしたのである。こんな、「匿名」という弱い立場の人間までをも屈辱的に踏みにじるのが、FFtesterの実態なのだ。

 ちなみに、FFtesterには俺も盗作被害にあっており、自分の戦法を完全盗作されたうえで、「初見で勝てた」などというふざけたコメントを付けて投稿されたことがある。
 ――その例に加え、恥知らずにコメント返しをしていることが発覚した「ギルガメッシュ1ブレイク撃破」の例も合わせ、FFtesterによる盗作被害の実態を軽く下の表にまとめてみたのである。

FFtesterによる盗作被害の実態(FF13-2)
(この他にも盗作が疑われるものは数多く存在するが、あまりにも多すぎるため2つだけにとどめておく)
Case1:「カイアス(ヲルバ郷)」戦・クリスタリウム封印プレイ
当サイトのプレイ動画:
http://www.youtube.com/watch?v=nq74vYbOY0Y(2011年12月29日/動画の日付は再投稿日なので異なる)
FFtesterによる盗作動画:
http://www.youtube.com/watch?v=9hB72aD9w34(2012年1月17日)

この「カイアス」戦は、クリスタリウム封印における序盤の難関として知られており、当時は挫折報告や寄り道でやっと倒せたという声が数多く聞かれていた。
しかし当サイトでは、敵がリーダー中心に攻撃するという点に注目し、「ガホンガス」「ネクトン」という当時無名のモンスターを使って、すんなり倒すことができた。これでも当時は画期的だったのだ。
・・・しかし、FFtesterは、「リーダーを攻撃から守る」「ガホンガス・ネクトンを使う」という当サイト戦法の最重要部分を完全に盗作し、しかも「初見で勝てた」という実に挑発的なコメントを付けて投稿を行った。
それを指摘したところ、「偶然同じになってしまった」「『初見』とは『自分の中で初めて勝った』という意味だった」という釈明を行った。
もちろん、攻略本すら発売していない時期にここまで戦法が「偶然同じになる」ことなど有るわけもなく、「初見で勝てた」のも当サイトの戦法を丸っきり盗用したからであろう。
ちなみに、当サイトの撃破タイムは1:37であり、別段タイムアタックを狙っていたわけではない。FFtesterはその戦法をパクった上で、数秒タイムを縮めて誇らしげにしているようである。
なお、現在では「当サイトの戦法を参考にした」とこっそり認めているようだが、指摘されたら「参考」で、指摘されなかったら自分のものというのは都合が良すぎる話であり、到底受け入れるわけにはいかない。



Case2:「ギルガメッシュ」戦・1ブレイク撃破 ― 「2ちゃんねる」 FF13-2・仲間モンスタースレに投稿された戦略による
原作となる122氏のプレイ動画:
動画サイトには投稿されていない(2012年4月12日)
FFtesterによる盗作動画:
http://www.youtube.com/watch?v=pSRpwaX6BPw(2012年4月18日/視聴する場合はコメント欄にも注目)
当サイトによる比較動画:
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17587941

「ギルガメッシュ」は、追加DLCとして4月10日に配信が開始されたモンスターであり、HP999万という本編中のモンスターを遙かに超える強さで話題となっていた。
しかし、ネット掲示板:「2ちゃんねる」の仲間モンスターを研究するやり込みスレッドで、「1ブレイクで倒した」という報告が寄せられ、アップローダーに動画も上げられて大きな驚きを呼んだ。
ところがFFtesterは、「匿名掲示板」というものの特性を悪用し、通称:「122」氏の戦法を完全に盗作したものを動画サイトへと投稿した。
モンスター編成・パラダイムシフトのタイミング・技の使用順序などが完全に122氏の動画と一致しており、盗作であることは疑いようもない。
なお、122氏の撃破タイムは1:34であるが、FFtesterの撃破タイムは1:38である。それに対して、FFtesterは「タイムは気にしていない」と書いているが、要は盗作をしたのに上回れなかったということだろう。
ちなみに、このFFtesterによる盗作動画は日/英を合わせて20000以上の再生数を記録しており、FFtesterが寄せられたコメントに対して偉そうにアドバイスするという唖然としか言いようのない状況になっている。


 とまあ、こんな感じで。FFtesterとは、ゲームの腕はもちろん人間としての品位さえ疑わしい最低最悪のパクリゲーマーなのである。
 ・・・やれ、こういう人間のせいで、正当に頑張った人が正当な評価を得られないようでは、もはや誰も「やり込み」などはやらなくなってしまう。もちろん、我々のほうも自己防衛をしていく必要があるのだが、FFtesterのような恥知らずのせいで、正直者が馬鹿を見てしまうのだから仕方無い。自分が精一杯努力して作り上げた「やり込み戦略」という貴重な財産が、目の前で侮辱されて踏みにじられていくのを、いったい誰が見たいというのであろうか。それをやっているのが、FFtesterの実態なのである。この人間が居るというだけで新作FFのやり込みをする気が無くなってくるし、また過去作にも全く進出してほしくない人物である。
 いい加減にしろよ、FFtesterとかいう奴。お前みたいなパクリ野郎のせいでこっちは著しく迷惑してるんだよ。とっとと全動画削除して失せろ。

(2012年6月30日)

登録タグ/ ゲーム一般 FF13-2
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W杯 アジア最終予選
日本 3 - 0 オマーン
(2012/6/3 - 埼玉スタジアム2002)


 先月23日に行われたサッカー日本代表・アゼルバイジャン戦では、「本田△(“本田さんカッケー”)として親しまれる本田圭佑選手が久々に復帰するとあり、ここしばらく不調続きだった日本代表にどのような影響を与えてくるかということが注目されていた(関連:【2012/5/22】。さて、その結果としては、本田△を中心とした様々な選手が躍動し、アゼルバイジャンに2-0で勝利をするに至った。その他、男女ともに様々な層から話題を呼んでいる宮市亮くん(19)も後半で交代要員として参戦し、初出場ながらも今後に期待の持てるパフォーマンスを披露してくれた。そのため、親善試合としても練習試合としても、満足したという人が多かったはずだ。
 ・・・しかし俺は、先日のアゼルバイジャン戦を70点くらいと評価していたのである。その理由は、確かに本田△などが実力通りの力を発揮し、試合自体は勝つべくして勝ったという感じであった。しかし、どうにも勝負強さが足りないのである。日本代表は、アゼルバイジャン相手に終始圧倒しており、4-0くらいで勝っていてもおかしくなかった。それを決めきれなかったということは、つまるところ「勝負強さ」が足りないのである。
 ――もちろん、日本代表の選手が額面通りの実力を発揮できれば、アジア予選くらいは楽に突破ができることだろう。しかし、「勝負強さ」が足りなければ、格上の相手に下克上をすることは不可能であり、W杯本戦で旋風を巻き起こすことなどできるはずもない。また、予選においても、「ラッキーパンチで先制点を決められてしまい、その後は反則ギリギリの手段でひたすら時間を稼がれて潰される」といった苦しい場面があるに決まっている。いやむしろ、アジア相手の日本は、常にそういった戦いを強いられてきたではないか。だからこそ俺は、単純な「能力」では図りきれない、「勝負運の強さ」というものが必要だと思っていたのである。

 そんな感じで、期待半分・不安半分で見始めた本日のW杯最終予選・オマーン戦であるが・・・蓋を開けてみると、その結果は久々の完全勝利という感じであった。スコアも3-0と申し分なく、選手もFW・MF・DFの全てが躍動していた。まあ、川島△だけ評価不能となっているが、それだけ防御がしっかりと機能し、相手の攻撃を完全に潰していたということに他ならない。
 ・・・そして、俺が問題視していた「勝負強さ」も、今回の試合では申し分なく発揮されており、前半開始直後と後半開始直後のとても良い時間帯に、計3本のシュートを決めることができた。一方、相手のゴールキーパーも凄まじい勝負運を発揮し、決まっていて当然のようなシュートを2本ほど止められた気もするが、さすがにアジア最高峰のGKということで、そういう実力も持っているのであろう。しかし、彼以外は完全に封じて勝つことができたのだから、まさに「完全勝利」としか言うに相応しいのである。3点を取った後には勢いが落ちてきたが、それは既に勝利が確定したスコアとなっており、体力面の問題もあったからに他ならない。
 ――ところで、サッカーの試合では「誰が一番良かったか」ということがよく話題になるが、俺としては、今回の試合ではマジで全員が良かったため、そこに評価を付けるのは無粋というものである。まあ、川島△が最低点であることは確実だろうし、個人的には李さん(※負傷休場中)やは〜ふな〜☆まいく(※既に3点決まっていたので出番なし)の得点シーンも見たかったのであるが、それはまあ次回以降の試合を楽しみにしておこう。

 ところで、今回の相手国のオマーンは、「オマーン」という実に印象的な名称をしており、我々の間で様々な議論を醸し出すのである。まあ俺としては、1945年に起こった「オマーン地震」とやらは、規模がM8程度の海溝型巨大地震であり、そしてちょうど同時期の日本では昭和東南海地震・昭和南海地震が起こっていたことから、同じユーラシアプレートということで何か関連性があるのではないか・・・とか、そういうことのほうに注目してしまうのであるが、しかしそんなことに興味がある健全な男子・女子は皆無というものであろう。なんと言っても「オマーン」ですよ「オマーン」っ!!
 ・・・やれ、例えば、Jリーグでは「前田遼一がシーズン最初にゴールを決めた相手は必ず降格する」という「前田の呪い」なるジンクスが存在し、そして今回のオマーン戦で前田がゴールを決めたことから、(;^^o)「オマーン降格決定か...」などと発言すると、即座に「それは下ネタですか?」などという反応が来てしまう。他にも、テレビから「香川は『オマーンの固い守りを破る』と宣言していました」などと流れてくると、(;^o^)「は? じゃあ3次予選で戦ったタジキスタンのオマーンは緩い守りだったの??」などという意味不明の考えをしてしまったりする。このくらいの年頃の男というのはそういうものだろう・・・。
 ――そんなわけで、なんか最低の酷い展開になっているが、とりあえず次のサッカー日本代表の試合は8日(金)なので、今から予定を空けておこう。次の相手はアジア杯でも戦ったヨルダンだぜっ!!


(2012年6月30日)

登録タグ/ サッカー
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 「スーパーマリオ」とは、任天堂から発売されているライトユーザー向けアクションゲームではない!!
 ・・・まったく、いきなり何だと言うところであるが、マリオシリーズに「ライト向け」という印象が根付いたのはここ数年のことであり、元々の「マリオ」シリーズは、魅力的な要素を次々と導入しつつ高いレベルでまとめられた、初心者も上級者も楽しめるゲームの花形と言える存在であった。「マリオ」シリーズは、80年代〜90年代のゲームブームを支えた立役者であり、それに値するだけの大傑作だったのである。
 ――が、皆さまご存じの通り、現在のマリオシリーズは、「ライトユーザー向けのシンプルなゲーム」という立場に落ち込んでしまった。その背景には、ゲームをプレイするユーザー層の変化など、様々な理由があるのであるが・・・しかし、俺のように「進化しつづけるゲーム」を遊びたい人間にとっては、もはや「マリオ」シリーズは全くプレイするに値しない作品となってしまった。とまあ、その辺りの事情も含めて、本日は「スーパーマリオの思い出」と題し、「マリオ」の今昔から見えるゲーム業界の変遷について考えてみようではないか。

 まず、マリオシリーズの主人公である「マリオ」は、元々はアーケードゲームの「ドンキーコング」(タルが転がってくるアレ)の操作キャラクターとして登場したのが最初なのであるが、その後に少しずつ存在感を増していき、ついに「スーパーマリオブラザーズ」というマリオの2Dアクションゲームが1985年にファミコンで発売された。これが、まさにやったことが無い人のほうが少ないとまで言えるほどの、伝説級のインパクト・クオリティを誇っており、「ゲーム」という文化に名を残す歴史的な傑作となった。その後、「マリオ2」では操作キャラクターに「ルイージ」を加えたうえでやりごたえを上げ、「3」では「変身」によって様々な形で多様なステージを楽しめるようになった。やれ、当時のファミコンブームに乗って、類似したアクションは他社からも多く発売されたが、「マリオ」は既に他の追随を全く寄せ付けないゲームとなっていたのだ。
 ・・・その後、当時の次世代機であった「スーパーファミコン」が登場し、マリオシリーズは更なる進化を遂げることになる。まず、ハードと同時発売の「スーパーマリオワールド」は、SFCの性能を活かしてグラフィック・ゲーム性が大幅に強化されており、かつシステム面も遊びやすく、「ヨッシー」や「マント」などの新システムも新鮮さに大きく貢献しており、上級者向けステージなどのやり込み要素も豊富であった。そして、SFC終盤になって発売された「ヨッシーアイランド」は、サブキャラである「ヨッシー」に主題を当てた2Dアクションであるが、絵本のように鮮やかなグラフィックと、「卵投げ」「ふんばりジャンプ」などに代表されるヨッシーだからこその新アクション、そして「100点クリアー」「隠しステージ」などのやり込み要素などなど、同ハードながら前作の「ワールド」から大幅に進化している大傑作となっていた。そして、ジャンルは違うが、「スーパーマリオRPG」というものも発売され、これまた美しいグラフィック・高いゲーム性・本編を全く邪魔しないミニゲームの数々、そして斬新すぎるCMなどが話題を呼び、今なおシリーズ屈指の名作として評価されている。
 ――その後、ハードはPS・SS・N64が覇権を争う時代となり、後発の任天堂は守勢に立たされていた。その中で発売された「スーパーマリオ64」は、当時はまだ「3Dアクション」というものが手探りの状況だったと思うのだが、それは3Dの特性を活かした全く新しい「マリオ」となっており、その全てが魅力的に見えるものであった。俺は、10年近く経ったのちに「スーパーマリオ64DS」という移植版でやっとプレイができたのであるが、『64』の当時に友人の家でプレイした時の衝撃とまったく変わらない、「マリオ」の正統続編であり完全新作と言える物になっていた。まさに、3Dアクションの先駆け的存在であり、これまたゲーム史に残る名作だと言えるだろう。

 とまあ、こんな感じで。かつての「スーパーマリオ」は、決して「ライトユーザー向けの単純なアクションゲーム」などではなかった。常にハードに合わせた斬新なシステムを導入しつづけ、ゲーム全体が非常に高いレベルでまとめられており、しかも初心者も上級者も楽しめるという、まさにゲームそのものと言えるほどの魅力的なタイトルであった。その功績は、「アクション界の“FF”」という言葉では語りきれない。むしろ、ゲーム界への貢献度で言えば、他のどのゲームも絶対に寄せ付けないであろう。それだけの、起源にして頂点と言えるゲームが、かつて「マリオ」シリーズだったのだ。
 ・・・が。残念ながら、「マリオ」シリーズの進化はここまでとなってしまった。「マリオ64」の発売後、ゲームハードの覇権はPS・PS2が握り、任天堂はしばらく苦しい立場を強いられることとなった。ところが、2004年に発売した2画面・タッチパネル端末の「ニンテンドーDS」が、従来層以外を巻き込む大ブームを引き起こし、任天堂も「脳を鍛える大人のDSトレーニング」などの「知育」と呼ばれるゲームをヒットさせて甘い汁をすすっていた。だが、そのような状況は、以前からゲームを愛してきたユーザーたちにとっては違和感を覚えるものであった。そんな中、2006年に発売されたのが、「マリオシリーズの正統続編」を名乗る「Newスーパーマリオブラザーズ」である。当時、任天堂の姿勢に強い疑問を感じていた俺も、そんな「マリオの正統続編」には最後の望みを寄せていた。しかし・・・その結果は、全く俺を満足させるものではなかったのである。そこに、今までのような「斬新なシステム」「高いゲーム性」などは見ることができず、ただ単純なだけの子供騙しの2Dアクションとなっていた。その時の俺の落胆っぷりは、当時の日記【2006/6/5】など)を見ていただければ十分であろう。ところが、そんな「Newスーパーマリオブラザーズ」が、世間的には大ヒットして「名作」「傑作」などと呼ばれることになったのである。
 ――その後、ほんの僅かだけ期待していた「ヨッシーアイランドDS」も、前作に匹敵するどころか評価点が一つも無いクズ【2007/3/9】など)となっていたが、それさえも“DSブーム”に乗って100万本を超えるヒットを飛ばしていた。だから、俺はもう「マリオ」シリーズは変わってしまったのだと認めざるを得なくなったのだ。それは、かつてのような「やりごたえのある斬新なゲーム」ではなく、「ブームに乗って売れるだけの単純なアクション」なのである。・・・以来、俺は任天堂に対する興味を急速に失っていき、もはや全く任天堂のゲームをプレイすることは無くなった。かつて栄華を誇った「マリオ」シリーズは、俺の中では完全に終わったのだ。

 と、そんなわけで、かつては「名作中の名作」として進化を遂げてきた「マリオ」シリーズは、時代と共に変わり果て、今では完全に「ライトユーザー向けのアクション」と化してしまった。もちろん、俺がそのようなゲームをプレイする意味は無いし、今さらそんな惨めな姿を見たくも無い。まあ、そのような「マリオ」の評価には諸説有るであろうし、少なくとも売り上げ的には成功していることから、それを進化の過程と捉える者も居るだろう。その辺りは、かつて「ゲームそのもの」とまで言えるヒットを飛ばし、今もある意味で「ゲーム」というものを象徴している「マリオ」だからこそ言えるものかもしれない。
 ・・・さて、読者の皆さまの中にも、「全く『マリオ』を知らない」という人はまず居ないであろう。だが、その「マリオ」の歴史をひもとけば、これほどまでにゲーム界の変遷が見えてくるのである。さて、皆さまは、そんな「マリオシリーズ」にどのような評価を下すのであろうか。これはもう、人それぞれとしか言いようが無いのだ。ひょっとしたら、そこからその人の「ゲーム」への考え方が分かるのかもしれない・・・。


(2012年6月30日)

登録タグ/ ゲーム一般
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 日本には、数字を記す際に、「一」「二」などの“漢数字”で書く場合と、「3」「4」などの“アラビア数字”を使う場合が存在する。アラビア数字は“算用数字”とも呼び、算数・数学での計算時に使われている。
 ・・・そして、現在の日本語の文章では、その二つの数字の文字は場合によって使い分けられていると言える。例えば、俺にとって「2人」と「二人」は違うのである。「2人」は、ただ人数を数えて1...2...となっただけという感じであり、「ににん」と読んでも何の違和感も無い。ところが、「二人」と書けば、そこに何か特別な意味合いがあるように思えてくる。逆に、「ににん」ではなく「ふたり」という独自な読み方があるという時点で、「二人」という表記には特別な意味が存在するとも考えられるのだ。少なくとも、「愛し合う2人」と「愛し合う二人」では、見た目の印象としては大きく変わってくるというものであろう。
 ――ただ、このような数字の使い分けは、あくまで個人の好みと言った感じである。例えば、最近の若者の間で流行っている復古調に合わせて、何が何でも漢数字にすれば良いというわけでは無いし、逆に全てアラビア数字で表記しても日本語としての面白みが無くなってしまう。だから、その辺りは、「個人の好み」としか言いようが無いのである。ちなみに俺は適当にやっているんだなこれが・・・。

 さて、そんなわけで、「漢数字」「アラビア数字」の使い分けはかなり曖昧であるということが分かったが・・・では、これから先の未来、もし“漢数字”という文化が忘れ去られ、「1」「2」のようなアラビア数字だけが用いられる世界が来たとしたら、果たしてこの国はどうなってしまうのだろうか?
 ――真っ先に思い付いたのが、まずは俺の出身地が3重県となっていしまうことである。これは酷い。どう考えても「さんじゅうけん」としか読めないであろう。何か1重県とか2重県とかのバリエーションが存在するとでも言うのだろうか・・・。その他、近ごろ出番の多いお隣の県も1000葉県という表記になってしまう。県というものがよく分からない・・・。
 さらに、この表記に習ってみると、日本は8000000の神の国となり、(q^^)「すげえ!一神教の国よりも7999999も神が居るとか日本KAKKEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!」という謎のナショナリズムに陥ってしまう。その他にも、各所で活躍してきた日本人の名前が「山本56」「坂本9」「金田11」というナウすぎる感じの表記になってしまい、これまた多くの人に混乱をもたらすことだろう。

 とまあ、そんな感じで。
 ・・・ネットでは、「漢数字に統一するのが正しい」「いや全てアラビア数字で表記するべきだ」などという両極端な論調が見られがちであるが、それはあくまでも表記の問題であり、結局は両者をバランス良く使い分けていくことが重要となるのである。そして、そういうことこそが「読みやすい文章」に繋がっていくのであろう。逆に、もし強引に統一してしまうようなことがあれば、それは読者にとって必ず不幸な事態に陥るはずだ。
 ――まったく、10勝牛乳、14松、99里浜、1000島列島、4日市、100足、6本木EVOLVED、40010川、1000と1000尋の神隠し、4国、16夜アキ、100000石饅頭、9州、1000歳空港、0戦、12指腸、1000代田区、753、10000能ツール、絶対0度、10000000010000長者、スーパーコンピューター「10000000000000000」、1000李休、46時中、10000国博覧会、1ロー・・・。


(2012年6月30日)

登録タグ/ 文章制作の話
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 最近、AKBだか何だかの女の子が大量に出てくるスマートフォンのCMで、「ト・イ・レ シャンプー♪」などという邪悪な歌詞が使われているものがある。調べてみると、それは「乃木坂46」というAKBの姉妹グループの「おいでシャンプー」という曲らしいが、「おいで」と「シャンプー」という言葉は互いに全く関連性が無いため、人類の優秀な誤り訂正機能の影響を受け、すぐさま「トイレシャンプー」という単語に変換されてしまうのだ。
 ・・・まったく、昔から「便所飯」という文化のことは聞いていたが、まさか今度はトイレでシャンプーと来たものか。まあ確かに、便器は頭を入れるのには丁度いいサイズであるし、体の他の部分を濡らさなくても良く、しかもスイッチをひねると適量の水が流れてくるというのは大変エコであるが・・・いやしかし、いくら何でもトイレで頭を洗うというのは駄目であろう。それはさすがに、人間としての誇りを失っている気がする。

 しかし、この「トイレシャンプー」という用語は、ひょっとすると「ユニットバス」という文化を皮肉ったものであるかもしれないのだ。
 ・・・というのも、実家暮らしの皆さまは、「ユニットバス」というものをホテル(※性的な意味で)くらいでしか見たことが無いであろう。そもそも、「ユニットバス」とは効率的な建築のためにあらかじめ作っておいたパーツを組み合わせるだけのストラクチャーお風呂を指す言葉だったのであるが、現在では主に風呂・洗面所・トイレが一体化された簡略化のための部屋のことを指す。こういうものは、特に住宅事情が苦しい都会ではよく見られる形態であり、二畳ほどの小さな部屋に入ると、右にトイレ・真ん中に洗面所・左にお風呂と、狭いスペースに機能が密集させられている。もちろん風呂桶は、体育座りしなければ入れないほどの小さなサイズである。・・・やれ、「都会に住む」ということは、よく若者たちの理想論だけで語られることが多いが、つまるところは育った土地や大切な家族をわざわざ自発的に捨てて、そういう狭苦しい住環境に自分から幽閉されるということである。そのリスクを最初から知っていたとしたら、一体どれだけの人が都会暮らしを選んだことだろうか・・・。
 ――そんなわけで、「ト・イ・レ シャンプー♪」という言葉は、別にあながち便器の中で頭を洗っているという哲学的な状況だけを指しているというわけではない。それは、ひょっとしたら「都市に出てきて、仕方なくトイレの隣で体を洗っている貧しい人々」という状況を風刺しているのかもしれないのだ。そう言えば、歌詞の中にはどう考えても「ションベン♪」としか聞こえない空耳が有ったりするが、そのことも、俺の説の信憑性を更に高めるものであるかもしれない。それは、「スローモーションで」という歌詞の一部でしか無いのであるが・・・。

 さて、この日記を見てくださっている方々は、家族と共に暮らしている方、はたまた単身赴任や一人暮らしをしている方、その他にも様々な環境で暮らしている人が居ると思う。やれ、そういう俺よりも遙かに苦境に立たされている人から見れば、生き甲斐が見つけられずに友人たちも皆が去ってしまった俺でさえ、「まだ恵まれている」「甘えている」と思う場合もあるかもしれない。その指摘は、まったくもって正しいというものである。
 ・・・だから、もし皆さまの間で、身近に信頼できる人がいるのであれば、是非ともその関係を大切にしてほしいと思うのだ。それは家族であっても構わないし、気軽に飲みに誘える友人であればもちろんだ。そういうものは、どこにでも有り触れたものだと思うだろうが、いざそれを失ってみると、初めてそういうものの大切さに気付くというものなのである。だからこそ、俺は自嘲的な意味を込めて、そういうものを皆さまの中では大切にしてほしいと思うのである。それが、そういうものを全て気付かずに捨ててしまった俺からの、せめてものお願いというものなのだ・・・。
 ――というわけで、現実としてはトイレ・洗面所・お風呂が一体となった部屋でトイレシャンプーを行っている人々は今日も多いと思うのであるが、もし身の回りに大切にできる存在があるのであれば、そういう人に積極的にアピールして、それを失う前にその大切さを確かめて欲しいと思うのである。やれ、皆さま大学生という身分での実質ニートは、それはそれは幸せなものであると羨んでいるかもしれないが、俺にとっては、大きな目標があって、趣味のサイトも進めてられていた高校生時代のほうが遙かに充実した毎日を送ることができていた。だからこそ、皆さまにも、そんな大切な日々を失って欲しくないものなのである。なんだこの結論・・・。


(2012年6月30日)

登録タグ/ 雑多な内容
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W杯 アジア最終予選
日本 6 - 0 ヨルダン
(2012/6/8 - 埼玉スタジアム2002)


 本日も、前回のオマーン戦【2012/6/3】に引き続き、2014年W杯のアジア最終予選の試合が行われた。第2戦は、ホームでのヨルダン戦である。ヨルダンと言えば、あの2004年のサッカーアジア杯・中国大会では、PK戦で2回外した後からの大逆転でギリギリ勝つことができ、また去年1月のアジア杯・カタール大会では、「DF吉田の足に当たってゴール → 後半ロスタイムに吉田得点」という吉田劇場が展開された。そんなわけで、これまで日本はヨルダン相手にストレート勝ちをしたことが無く、この最終予選でも苦戦が強いられるものと思われていたのだ。
 ・・・が、その蓋を開けてみると、3-0で勝ったオマーン戦を遙かに超えるスーパー完全勝利であった。6-0というスコアはもちろん、内容としても圧倒していたし、後半開始直後に攻められたように見えたところも川島△が完全に抑えており、守りが崩されたようなこともなかった。そして攻めは、本田△や長友△などが規格外のパフォーマンスを発揮し、決めるべき以上のものを決め、6得点にまで持って行けたという感じである。
 ――まあ、あえて悪かったところを言うとすれば、それは相手であろう。途中で退場者が1人出たようだが、何のことはない、あのパフォーマンスであればヨルダン選手は15人くらい居なければ日本と互角にはならないだろう。とにかくもう、中盤のマークがスカスカで、日本選手はとても自由にパスを回せていた。それを見て、俺は開始5分くらいで、(;^o^)「こりゃ勝ったな・・・」と確信したものだった。しっかし、あの何もしていないのにあちこちでコロコロ転がるのは一体なにを表現していたのだろうか。そうか!今までヨルダン相手に苦戦していたのは、ああいう見え見えの演技にいちいち笛を吹かれていたからか!!

 そんなわけで、次の試合は舞台をオーストラリアに移し、12日にアウェーでのオーストラリア戦が展開される。まず「アウェー」ということで、相手国のスタジアムで戦うことになるため、「観客の雰囲気」「慣れないコンディション」「審判の判定」などに悩まされてしまうことが多い。サッカー界では、「アウェーでの引き分けは勝ちと同じ」などという言葉も有る通り、アウェーはホームより遙かに難しい戦いとなるのだ。
 ・・・しかも相手は、あのオーストラリアである。昨年1月のアジアカップ決勝ではFW李の劇的ゴールで何とか勝つことができたが、2006年のドイツW杯では試合終了間際に大量得点を決められて惨敗していることから、日本にとっては苦手意識の強い相手である。オーストラリアは、アジアの中でも日本・韓国と並びトップクラスの実力を持った相手であり、本戦出場のためには大きなライバルとなるだろう。
 ――それだけに、もし次のアウェー・オーストラリア戦で日本がここまでのような完全勝利を飾ることができれば、それは日本の実力が完璧だということに他ならないのである。「負け」か「引き分け」ならこれまで通りの日本代表であるが、もし勝てればそれはもう日本の実力は完全にアジアレベルを超えている。というか、オマーン戦・ヨルダン戦でのパフォーマンスをそのまま発揮できれば、オーストラリアなどは圧倒することができ、そしてW杯本戦でも大旋風を巻き起こせるはずである。それくらいのポテンシャルを、今の日本代表は持っているのだ。さあ、強豪とされるオーストラリアを、ただの“豪”へと変えてやろうではないか。

 それはそうと、今回戦った「ヨルダン」と言えば、イスラエル・シリア・イラクなどのワールドクラスキ○ガイ国家に囲まれていながらも、まだマシな治安状況になっていることから、イラク戦争(2003〜)の報道が加熱した際には、「イランの隣国ヨルダンの首都アンマン」という言葉で親しまれたりもした。冷静に考えてみると、この「アンマン」という名前はかなり面白いのであるが、しかし「ヨルダン」と同じイントネーションで定着してしまったため、残念ながら全く注目されずに終わってしまった。もし、首都の名前が「ニクマン」とか「パンマン」とかだったら、また違った展開になってきていたのかもしれない。
 ――ちなみに、ヨルダンのアルファベット表記は「Jordan」という綴りになっている、余談だが。またまたそんなジョーダンを・・・・・・・・・・・。











(2012年6月30日)

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 先日、女性の初産年齢の平均が初めて30歳を超えたという報道が為された。これはいわゆる晩婚化・非婚化の影響であり、俺は(;^o^)「このまま行くと『結婚』という文化自体が消え去ってしまうのでは?」と思っているのであるが・・・そもそも、今の若者は結婚どころか恋愛すらしないのがザラなのである。恐らく、我々の世代の人間のうち2〜3割程度は全く恋愛を知らずにこの世界を去っていくであろうし、恋愛が「幸せな結婚」という形に成就せずに終わってしまった人も含めれば、「恋愛ができない」という人の率は更に上がるはずである。
 ・・・というのも、例えば数年前の成人式(20歳/大学2年生)のアンケートでは、「現在恋人が居ない人」8割で、「これまでに一度も恋愛をしたことが無いという人」4割であったという。俺は、ここまで生きてきた若者として、この割合を正しいと思っている。だいたい俺の回りも、これくらいの割合であった。それには後述する色々な理由があるのだが、とにかく「恋愛をしない」「恋愛ができない」というものは、今の若者の間には有り触れたことであり、むしろ多数派であると言える。ちなみに、我々の世代の生涯未婚率は3割とも4割とも言われており、恋愛非経験率も相応に上がっているだろうが、果たしてどうなることやらだ・・・。

 さて、「恋愛」をするためには、まずは「告白」が必要だと言うところであるが、この告白というものが非常に大きなクセ者なのである。というのも、「告白」というものは、好き同士が形式として行うような場合を除き、大抵は失敗してしまう。そうやってフラれた時点で、普通の人は人間性を否定されたかのような苦しみを受けるのであるが、まだ悪夢は終わらない。というのも、世間で言う「堂々告白してフラれればスッキリする」というのは大嘘であり、大体は諦めきれずに引きずってしまい、最終的に周囲の人間関係をズタズタに引き裂くような形になって終わってしまう。俺はこれをジャンプ漫画の法則と呼んでいる(長期連載漫画に関して、「綺麗に終わってほしい」というのがファンの心情であるが、綺麗ならば商売的な問題で連載が終わらず、大体はグダグダになって人気が無くなってから連載が切られるため)「告白」は、失敗すると極めて辛いものであるが、失敗する可能性は非常に高く、また後々まで辛い思いを背負っていかなければならない。そういう現実のうえで、1年に何度も告白できるという人のほうが、人間として信頼できないというものであろう。
 また、「告白」で始まる以外の恋愛の形として、「何となく仲良くなった二人が恋愛関係へと変わっていく」というパターンも存在するのであるが、こういう「雰囲気」というものは、人によって得手不得手が著しく出てきてしまう。そして、それが不得意な人間は、永遠に恋愛をすることができないのである。就活と同じで、こういうものは全て「リア充」が奪っていってしまうのだ。まあ「リア充」とは“行動力があって魅力的”ということであるため、恋愛面でちやほやされるのも当然であるが・・・逆に「リア充」でない人は、恋愛をしようとすると、少しも良い思いをすることができず、逆に人間性を否定され続けるような悲劇を味わうことになってしまうのである。

 俺は、「恋愛」と「就職」はよく似ていると思う。だが、一つ大きな違いは、就職はしなければ生きていけないが、恋愛はしなくとも生きていけるということである。反面、「成功すると嬉しいが、失敗すれば人生を否定されたかのようなショックを受け、そして不得意な人は一向に成功できない」というところは同じだ。それならば、わざわざ苦しい思いをしてまで「恋愛」なんてしないという人は、実に多いはずだ。
 ・・・まったく、世の中でよく言う「最初から恋愛がしたくない人」など居るはずがない。誰だって恋愛で良い思いがしたいのは当たり前である。だが世の中には、そもそも告白する勇気が出ない人、告白に失敗して人間関係をズタズタにしてしまった人、そして行動力と魅力が“多少”足りずに女性と付き合えないという人が確かに存在する。そういう人たちが、今や「恋愛ができない人」として過ごしているのである。「だったら成功するまで告白すべき」というのは他人事だよ。何度苦しめばいい、何度見送ればいい・・・。
 ――なにはともあれ、就職はしないと生きていけないが、恋愛・結婚はしなくても生きていける。そして、「誰でもいいから結婚させてほしい」などと考えていると、ブラック企業ならぬブラック嫁を引き当ててしまう可能性が高い。だが、恋愛結婚に必要な「恋愛」には非常に高いハードルを乗り越える必要があり、できる人とできない人の間に圧倒的なまでの壁が存在する。そして昨今では様々な理由により、「恋愛をしない」「結婚をしない」ということが人生の選択肢として認められるようになった。そりゃ恋愛率・結婚率は下がるわけだよ。むしろ、どうして昔はあんなに高かったのか・・・?

 と、いうわけで。いま恋愛をしていない皆さん、また産まれてこのかた恋愛をしたことが無いという皆さまも、まったくもって安心して良い。あなたの思う、「異性に告白するのが怖い」「告白して失敗し、人間関係をズタズタにしてしまうような経験をしたくない」「何となく異性と仲良くなることができず、恋愛に発展するような雰囲気にすることができない」という感情は、他の多くの人も持っている。もちろんその場合も、何らかの契約によって恋愛や結婚が成立すれば良し。しかし、そうでなくとも全く恐れる必要は無いのである。「恋愛をしなければ人間では無い」という価値観は、もはや過去のものとなっているのだ。
 ――そんなわけで、本日は「恋愛をしたくなくなる画像」というテーマで、(;^o^)「うわああああああああああああああああああああ」と叫びたくなるような画像を集めてみた。やれ、部外者からはバラ色に思える恋愛の世界も、決して美しい話ばかりというわけではない。さあ、皆さまも一緒に、これらの画像を見て絶叫してみようではないか・・・!!



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(2012年6月30日)

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W杯 アジア最終予選
オーストラリア 1 - 1 日本
(2012/6/12 - アウェー:ブリスベーン・スタジアム)


 いやはや、本日のサッカー日本代表・オーストラリア戦は、審判のせいで何が何だか分からないクソ試合になってしまった。まあ、結果だけを見れば、厳しいアウェーの試合を引き分けに持ち込んで勝ち点1をゲットすることができたし、ああいう試合も「スポーツ」ではなく「お笑い」と捉えれば、楽しめないこともない。まあ、酷い試合ではあったが、いろいろな意味で見応えはあったと言えよう。
 ――まず、この試合は、ここまでオマーン戦・ヨルダン戦と予選を連続で快勝してきた日本にとって、一つの山場となるものであった。オーストラリアは日本の大きなライバルと言える相手であり、また相手国で試合をする「アウェーゲーム」ということで、今までの試合よりも遙かに苦しくなることが予想された。それだけに、この試合こそが、日本代表の真価を問うようなものになるはずだったのだ【2012/6/8】
 ・・・が、実際に試合を終えてみると、もう何もかも審判がぶち壊してしまったのである。特に後半が酷く、不可解なカードが乱発され、両チームから退場者が出てしまった。また、日本の失点は、コーナーキック位置争いのファウルによるPKであるが、もう日豪誰が見ても何がファウルなのか全く分からないという感じになっており、選手ともども苦笑するしかなかった。そして極めつけは、後半ロスタイムにフリーキックを取っておきながら、何故か蹴るまえにゲーム終了という事態が起こり、人々を著しく混乱の渦に巻き込んだ。まあ、引き分けだったから良かったものの、もしこれがどちらかの国に著しく不利な結果で終わっていたら、乱闘騒ぎにすらなっていたかもしれない。また、オーストラリアがフェアに戦ってくれたから良いものの、やたらとすっころんで痛がるようなどっかの国(※複数)が相手だったら、日本は全く自分たちの試合ができなかっただろう。

 さて、「サッカー」が審判によってこのようなお笑い試合になってしまうことは、決して今回が初めてというわけではない。ある人が、「なんか前にも審判が試合を台無しにしてしまったことがあった気がする・・・」と言っていて、俺はそれに「アジアカップの日vs韓とか?」と答えた。確かあの試合も、審判がやたらとカードを取ってゲームをグチャグチャにし、日韓両国に不可解すぎるPKが与えられ、とんだ三文芝居という感じになってしまっていた【2011/1/25】。で、気になった俺はもう少し調べてみると・・・なんと、あの韓国戦の審判と今回の審判は同じだったのである。あー!それなら納得だわ! 確かに、あの時もこんな感じの試合展開で、何とも言えない気持ちになってた気がするわー!ハハッ!! なんでそんな奴がまだ審判やってるんだよ・・・。
 ――ちなみに、その審判はサウジアラビア出身ということで、今回の判断は、いわゆる「中東の笛」なのではないかと言われている。「中東の笛」とは、カッコいい響きであるが、要は侮蔑語であり、「中東の審判は糞すぎるんだよバーカwwww」という意味を示している。今風に言えば、「中東の笛(笑)」という表記となるだろう。ご存じの通り、アジアカップで日本はこの「中東の笛(笑)」に相当苦しめられたし、今回の試合の判定に関しても、カード乱発で日豪を両成敗して他の中東国を有利にするという恐ろしい推測が為されていたりする。実際、そういうことが有りそうだから怖い。中東のヤバさは、東アジアの常識を遙かに超えてるからな・・・。

 と、いうわけで。「日本vsオーストラリア」というアジア屈指の好カードは、サウジアラビアの審判によって台無しとされてしまった。その意味で、今回の試合は日本vsオーストラリアvsサウジアラビアのバトルロイヤルであったと言えよう。前半は日本とオーストラリアがそれぞれの良さを見せつけて戦っていたが、後半にサウジアラビアが乱入して両者に攻撃を仕掛け、結果として三つどもえの大乱闘になってしまったという感じである。まあ、最後は皆が打ち合った結果、全滅して三国死となってしまったのであるが。
 ――さて、今回の「日本vsオーストラリアvsサウジアラビア」の試合におけるMVPは、俺はサウジアラビアのアル・ガムディだと思うのである。あのゲームメイク力は凄すぎる。どっかのチームに雇われないものかな。たぶん、お笑い要員としては出番あるっしょ。うん。そして次の試合は、9月のイラク戦である。これに勝てば、ほぼ日本の本選出場が決まるのだが、さてどうなることやらだ・・・。


(2012年6月30日)

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 うーむ、何かやる気が出ない、落ち着かない・・・。
 というわけで、ちょっとだけ(数日くらい)更新をお休みします。すぐ再開しようと思うので、気長にお待ちください。
 明日から本気出す!!かも

(2012年6月30日)

登録タグ/ 明日から本気出す
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 本日のTOKYO MXの再放送分をもって、アニメ:「魔法少女 まどか☆マギカ」の全12話を視聴しおわりました!
 ・・・実は、俺は去年あれほど話題になったこのアニメを、これまで通しで見たことが無く、部分部分のシーンだけを見て、(;^o^)「うーむ、よく分からないな・・・」などと偉そうにコメントしていたものだった。が、この4月から、東京限定のローカル局である「TOKYO MX」で「まどか☆マギカ」が再放送されるということで、俺はこの3ヶ月間、放送日である毎週木曜をとても楽しみにしてきたのだ。
 ――さて、去年の俺は、なんと地震で延期となった11話・12話だけを単独で見るという暴挙をやらかしており、予想通りアニメの結末は全くの意味不明となってしまっていたのであるが・・・今回、全話を通して見てみると、これはなかなか上手く締めたという感じになっているではないか。少なくとも、収拾が付かなくなったからめちゃくちゃにして終わらせたという感じではなく、またハッピーエンドとして終わっている点にも不満は無い。各話が放送される「1週間」という期間も、短すぎず長すぎず、ほどよく物語への没入感を深めてくれていたように思う。俺にとって、「まどか☆マギカ」は、この3ヶ月楽しませてくれた、とても良いアニメだったのだ。

 さて、この「魔法少女 まどか☆マギカ」という作品を全く知らない人のために、まずは軽くこのアニメの説明をしておくことにしよう。「魔法少女 まどか☆マギカ」は、文字通り「魔法少女」という特殊な存在が、社会を脅かす「魔女」を倒していく・・・と見せかけて、実はその「魔法少女」自身が後に「魔女」へと変わってしまうというどんでん返しが待っているのだ。そのため、作中では、魔法少女が魔女を倒せば新たな魔女を生んでしまう、かといって魔女を倒さなければ魔女によって世界が崩壊してしまう・・・という苦しい葛藤が描写されるのである。あれだ、「シンを倒しても・・・」とか、「ファルシを倒しても・・・」とか、それと同じパターンだ。
 ・・・まあ、このような一筋縄ではいかない展開というものも、物語としてはよくある設定であるが、この「まどか☆マギカ」では、演出や作画など、その他にも独特なものが多く、まさに異文化に触れるような気持ちで楽しんでいける作品であることは間違い無い。これまでの、いわゆる「深夜アニメ」に飽き飽きしているような人にとっては、特にこの「まどか☆マギカ」はお勧めであると言えよう。
 ――そんなこんなで、ご存じの通り、この「まどか☆マギカ」は、インターネット上で大きな波紋を呼び、様々な「二次創作」を生んでいたりする。それを進化の過程と歓迎する人が居る一方で、そういうものを煙たがる場合もあるかも知れないが・・・まあ、それも興味を持つきっかけの一つということで、まずは原典に触れてみてほしいと思うのである。まあ、管理人である俺としては、「名作保証。」とまでは行かないが、しかし有り触れた“萌えアニメ”ではなく、単体の作品として独特であり見応えのあるアニメであった。だから、そういうものに触れてみることは、決して皆さまにとっても無駄な経験にはならないであろう。ちなみに、俺のイチオシはマミさんである。誰が何と言おうと俺はマミさんなので、この点については反論してくださらないようにお願いしたい。ああもう、マミさんはお美しいなあ。ほむほむ(笑)

 そんな「魔法少女 まどか☆マギカ」であるが、話題となっているのは、そのインパクトある内容だけではない。各話ごとの「題名」が、これまた様々な議論を呼んでいるのである。
 ・・・というのも、「まどか☆マギカ」では、第1話:「夢の中で逢った、ような・・・」から、最終話:「わたしの、最高の友達」まで、各話ごとにそれぞれ登場人物の台詞をモチーフとした、特徴的な題名が取り入れられている。その印象深さと、「全12話」という区切りの良さから、ネット上では様々なコピペネタの素材として使われることになったのだ。
 ――と、いうわけで。本日は、「魔法少女 まどか☆マギカ」の再放送が無事に終了した記念ということで、俺も「まどか☆マギカ」の各話タイトルをモチーフとした改編ネタを作ってみることにしたのである。これは、あくまで氷山の一角であり、他にも世界には様々なものが存在する。この記事が、そういった様々な作品に触れるきっかけとなってくだされば幸いである・・・。


@ 「留年少女 俺☆マギカ」

#01 説明会で逢った、ような・・・
#02 それはやりがいあるだろなって
#03 もう倍率怖くない
#04 内定も、面接も、ないんだよ
#05 内定なんて、あるわけない
#06 こんなの問題おかしいよ
#07 ESの気持ちと向き合えますか?
#08 御社って、ほんとバカ
#09 そんなの、推薦許さない
#10 もう誰にも頼れない
#11 ニートに残った道しるべ
#12 わたしの、両親の年金



A 「クソゲー少女 せら☆マギカ」

#01 夢の中で出てきた、ような・・・
#02 続編とっても嬉しいなって
#03 もう何も一本道じゃない
#04 寄り道も、やり込みも、ないんだよ
#05 強敵なんて、居るわけない
#06 こんなのブレイクできないよ
#07 フリーズのバグと向き合えますか?
#08 カイアスって、ほんとバカ
#09 そんなの、財布が許さない
#10 もうDLCに頼らない
#11 最後に残った楽しみ方
#12 今作の、連打の戦闘



B 「童貞少女 俺☆マギカ」

#01 夢の中で逢えたらいい、ような・・・
#02 毎日とっても楽しいなって
#03 もうフラれるのも怖くない
#04 彼氏も、お眼鏡も、あるんだよ
#05 度胸なんて、あるわけない
#06 こんなの告白できないよ
#07 フラれた気持ちと向き合えますか?
#08 告白って、ほんとバカ
#09 そんなの、相手が許さない
#10 もう恋なんてしたりしない
#11 最後に残った魔法使い
#12 わたしの、賢者のモード



C 「代表少女 は〜ふな〜☆マギカ」

#01 リーグ戦で出れたらいい、ような・・・
#02 ゴールはとっても嬉しいなって
#03 もう蘭語も怖くない
#04 ドリブルも、ヘディングも、あるんだよ
#05 出番なんて、あるわけない
#06 こんなのシュートができないよ
#07 FWの気持ちと向き合えますか?
#08 監督って、ほんとバカ
#09 そんなの、相手が許さない
#10 もう身長に頼らない
#11 最後に残った交代枠
#12 わたしの、今後の出番





(2012年6月30日)

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 更新停止はまだまだ続く! 最初は「やる気が出ない」という問題だったのですが、その後に色々と面白くもない予定が入り、月明けくらい(〜7月2日?)までは、まともな更新ができなさそうな感じです・・・。
 それはそうと、この夏休みには、「FF13:クリスタリウムなしクリアー」の再放送を、「おまけ」シリーズの全内容を含め、Ustream生放送を用いて行いたいと思います!(※生放送のみで、日誌としては連載しません)
 ――今では懐かしい存在となったFF13に触れるのも良し、世界を驚かせた最高峰のテクニックを知るのも良し、管理人の全盛期を振り返るのも良し、ただただ雑談するのも良し・・・。この生放送は、私にとっても視聴者の皆さまにとっても、特別な時間になるかと思います。詳しい予定は、また決まったらお送りするので、とりあえずは楽しみにお待ちください!!俺も楽しみにしています!\(^o^)/

(2012年6月30日)

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 PS:「ファイナルファンタジー8」は、「FF」シリーズの8作目であり、俺が初めて「やり込み」を行ったタイトルでもある。その意味で、当サイトの原点とも言えるタイトルであり、俺としても非常に思い出深い作品だ。
 ・・・まず、基本事項を確認しておこう。「FF8」は、プレイステーション用ソフトとして1999年に発売されたタイトルである。前作『7』が、PSにハードを移して世界的な大ヒットを収めたということで、『8』はPSにおける2作目として開発が為された。その「グラフィック」は、PS本体の性能を引き出して前作よりも遙かに美しく斬新な表現が実現されており、また「システム」も、魔法や召喚獣を「装備品」として使用する新たなアプローチが取られており、敵モンスターもまるでマンネリが無い魅力的なメンツが揃っていた。その他、シナリオやBGMに関しても人気が高く、『8』は今なおシリーズの大傑作として、思い出に残る作品となっている。
 ――と、俺は思うのであるが、なんとこの「FF8」は、世間ではクソゲーの代表格として評価されてしまっているのである。まったく、このように1999年当時としては絶句級の質を誇り、今なおシリーズ中でも異彩を放っているタイトルが、どうして「クソゲー」と呼ばれてしまったのだろうか? 本日は、そんなところから、「FF」シリーズやゲーム界全般について考えてみることにしよう・・・。

 さて、FF8が「クソゲー」と呼ばれてしまった最も大きな理由、それはシステムの分かりづらさである。
 ・・・というのも、FF8における「魔法をパラメーターに装備する」という要素は、それまでのゲームでは全く存在しなかったものであり、多くのユーザーを困惑させるに至ってしまった。そしてこのFF8では、敵を倒すと経験値を得て「レベル」を上げることができるのだが、敵の「レベル」も味方と連動して上がるため、結果としてレベルを上げるだけでは全く有利にならないということになってしまう。また、FF8の最大の特徴とも言える「特殊技」は、「瀕死時に低確率で出せる技」という説明しか為されていなかったため、HPを回復して安全圏から戦う一般ユーザーにとっては、滅多に目にすることが無い技となっていた。さらに、歴代シリーズで強力な攻撃手段として活躍してきた「召喚獣」を、『8』ではほぼノーコストで使用できるのであるが、その演出が30秒程度とかなり長く、しかも2回目以降のスキップ機能なども無いため、従来シリーズの印象で召喚獣を連打して戦っていたユーザーにとっては、「長ったらしい演出をひたすら見せつけられるだけのクソゲー」と化してしまったのである。
 ――だが、もちろんそれがFF8の真の姿というわけではなく、それらのシステムを利用した『8』ならではの楽しみ方も存在する。だから、FF8が悪かったのは、システムそのものではなく、その「分かりづらさ」だったのである。例えば、敵を倒すなどして素材アイテムを入手し、その素材から魔法を作るという「精製」は、ゲーム性の根幹となってもおかしくないくらいのシステムであるが、作中ではそれについての説明がほとんど為されず、その有用性に気付くことができないユーザーが続出した。また、爽快かつ強力な「特殊技」は、「HPが低い時にターンが回ってくると一定確率で発動できる」という技として説明されていたのであるが、実はボタンでターンを回すと再び発動判定が行われる」という裏技的テクニックが存在し、それを知っていると知らないとでは有用性に雲泥の差が出てきてしまう。このように、ゲームバランスを大きく左右しうるシステムが非常に分かりづらいというのが、FF8の唯一にして最大の問題点だったのである。

 まあ、俺のように新しいもの好きのユーザーにとっては、むしろこのようにシステム回りを一新するのはもってこいという話なのであるが、しかし世の中のユーザーの大半はそうではなく、いわゆる“シンプル”なものを求めている。だからこそ、「新しいものを提供してやろう」とした制作側と、「今まで通りのRPGが遊びたい」というユーザーの考えが行き違ってしまった『8』は、結果として悲劇の作品になってしまったのである。
 ・・・さて、FF8の最大の失敗点は、システムが大きく変わったのに昔のものを残してしまったということかもしれない。例えば、「レベル」であれば、誰でもそれを上げれば強くなると思うだろうし、「魔法」「召喚獣」は、コストを払う強力な攻撃と考えるであろう。だが、それらはFF8においては、そこまで重要な物とはなっていない。だから、もし現代風にFF8を作り直すのであれば、思い切って「レベル」を廃止するような改革をしたほうが良いであろう。そうやってシンプルにしても、ゲーム性が落ちないどころかむしろ洗練されるということは、パラメーターが3つしか無いFF13の例を考えていただければ、よく分かるというものである。
 ――ちなみに、FF8が「クソゲー」と評価されている理由のもう一つに、「シナリオ」があるのだが・・・これは俺としては全く賛同できないと言わざるを得ない。メインとなるキャラクターは全員が魅力的であり、美麗グラフィックで語られる「魔女」をテーマとした物語は極めて印象的なものである。演出が長すぎてダレるようなことも無く、無愛想であった主人公:「スコール」が徐々に心を開いていくという展開も、異端というよりはむしろ「王道」に近いものであり、自然な流れで理解することができる。そして、サブシナリオやミニゲームなどの「やり込み要素」も充実しており、遊べば遊ぶほどのめり込むことができる。だから、そのような『8』のシナリオが非難されている理由が、俺には全く分からないのである。むしろ、主軸となる大きな筋が通っていて、シリーズの中でも強く印象に残るものであると思うのだが・・・。

 とまあ、そんなわけで。この「ファイナルファンタジー8」は、発売当時は「クソゲー」として評価されてしまったものの、決して“出来の悪いゲーム”というわけではなく、むしろちゃんと理解して遊べば歴史的傑作間違い無しという作品である。むしろ今では、そういった賛否両論の様々な声もまで含めて、「FF8」は話題の絶えない名作になっているという気さえしてしまうのだ。
 ――さて、「FF8」は、このようにゲーム界全体にとって大きな意味を持つ作品であり、また俺にとっても、ジャンクションなしクリアーという「やり込み」を初めてやった作品として、とても意義深いものとなっている。さて、前回プレイ日誌の連載から既に5年が経ったことだし、そろそろ再プレイを行っても良いというものであろう。やれ、既に原作の発売から10年以上が経ち、我々は「大人」であると思っていたスコールたちの年齢を遙かに超え、「ゲーム」というものに対する印象も変わり果ててしまった。そんな中で、FF8はどのような魅力を放ってくれるのだろうか。今から、それが楽しみである。

(2012年6月30日)

登録タグ/ ゲーム一般 FF8
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System: Trishula Ver.1.26