管理人の日記 - 2012年11月の記事 / やり込み in FF

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 どういうことだか全く分かりませんが、2012年も残り2ヶ月になってしまいました・・・。
 まあ、今月もほとんどやることが無いのですが、とりあえずは人道を踏み外さないよう、真っ当に生きていきたいと思っております。
 ――そんな感じで、どうぞ今月も応援よろしくお願いします\(^o^)/

登録タグ/ 明日から本気出す

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 変態ニュースである。先日、大阪府警の警察官が、下半身を露出しながら捜査をしていたという件で書類送検されることになった。報道によると、どうも捜査車両(覆面パトカー)に乗りながら、ズボンのチャックを空け、窓を介して通行人に見せつけるという手口を使ったそうである。なおその後、問題の警察官は通行人の女性によって通報され、あえなく御用となった。調べに対して、警察官は「性的興奮を感じたいと思った。ゆがんだ性癖を抑えることができなかった」などと意味不明の供述を行ったという。
 ・・・その他、少し昔の話になるが、今年夏には男性海上保安官(48)が全裸にブラジャーを着けて夜の街を歩き回るという奇っ怪な事件を起こしたこともあった。その動機について、海上保安官は「野外で裸になることに興奮を覚えていた」と話したという。そこに気付くとは、やはり変態か・・・!
 ――さて、これらの事件に共通していることは、「@公安系公務員が」「A下半身を露出することに」「B興奮を覚えていた」ということである。少なくとも、「仕事」の面は公務員の場合のみ特に槍玉として挙げられるということを考えたとしても、一般に「下半身を公衆の面前で露出することに興奮を覚える人がいる」ということは、間違い無いと言っても良いであろう。

 では、ここからが本題である。上記のように、「下半身を露出する」ということに興奮を覚える人が居るのは、いったい何故なのであろうか? まあ、そういうものを「精神異常」と割り切ってしまえば話は簡単なのであるが、残念ながら「露出狂」は割とメジャーなジャンルであるため、そうはいかないというものである。
 ・・・まあ、「露出」は精神の病気ということで、そのメカニズムは様々であるが、どうも多いのは「他人を困らせることに喜びを覚える」「自身の性体験へのコンプレックスがある」というパターンだそうだ。普段の生活で生きがいを感じられない人が、「下半身を露出する」という強引な手段で、自らの存在意義を確かめ直すのだ。ほら、アレである。「好きな女の子と仲良くなりたいけど、どうにも手が見つからないから、ついイジめてしまう」というパターンが歪んだ形で進化したような感じである。そして、実際の露出行為をするのがだいたい20代以上の男性ということも、このように「性的な不満足感が少年〜青年時代に満たされず、それが歪んだ形で現れてしまった」という説に信憑性を与えているというものであろう。となると、これからの時代、さらに露出狂が増えるということになるのか・・・。
 ――ちなみに俺であるが、確かに俺も下半身を露出しているとスッキリする。が、もちろんこれは犯罪予告というわけではない。別に俺は「下半身」としか言っておらず、ひょっとしたらただのふくらはぎかもしれないのである。そもそも俺は足首・ふくらはぎ・太ももに関しては意図的に鍛えているが、肝心のあのアレに関しては鍛えようが無いため、とてもじゃないが公衆の面前で見せるようなレベルではない。だからなに?

 さて、このような「露出」行為は、具体的にどのような法律に違反するのであろうか? 「公共の福祉」と言ってしまえば簡単であるが、そのような玉虫色の表現は、できる限り抜きにすることにしよう。
 ・・・調べてみると、上記に類する猥褻(“わいせつ”)行為に関する罪は、刑法の174条から184条までに規定されているという。表題は「第22章:わいせつ・姦淫および重婚の罪」というもので、そこには「公然と猥褻な行為をした者は、刑に処する」と書かれている。つまり、「猥褻と判断される行為が猥褻罪に当たる」のだ。相手がセクハラだと思ったらそれがセクハラということなのである。
 ――結局、法律とは曖昧なものなのである。だが、今の時代に合わせて、そういったものをまとめた「刑法・判例wiki」などというものは出来ないものであろうか。「《公職選挙法違反》は、《贈賄罪》とのコンボ攻撃が強力だ」とか、「Q:神奈川県と鳥取県では議員1人あたりの有権者数が最大5倍であり、逆に1人の有権者が国政に対して持っている権利が5倍も異なってくることになりますが、これは憲法に定められた法の下の平等に違反することになりませんか? A:調整中」などという質疑応答がまとめられたページがあれば、きっと国民にとって役立ってくれるはずでろう。誰が編集するんだ・・・。

 というわけで、「追い詰められた中年男性が下半身を露出する」という行為には、十分な合理性があるということが分かった。
 ・・・が、そのような行為は、当たり前であるが犯罪のため、当サイトとしては「性的興奮を覚えるためにガンガン露出しよう!」などという提言は決して行わないのである。あくまでそれは刑法行為であり、あなたの人生に消えない傷を残すのである。しかし、それでも人は露出をする。これはもう、何か魔術的な魅力が存在するのであろうか? みんなで服を脱ごうぜ!!












登録タグ/ これはひどい マジキチ

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 俺の実家はちょっとした藪のそばにあったため、子供の頃はよく「虫取り」をして遊んだものだった。俺は、幼稚園時代からテレビゲームに触れており、このサイトを開設したのも小6の時というヴィンテージ物のゲーマーなのであるが、もちろん昔からゲーム・インターネット一色だったというわけではなく、幼い頃は人並みくらいには外に出て遊んだものだったのである。
 ・・・具体的に、当時の俺がどう遊んでいたかと言うと、「冒険」と題して藪や森を歩き回ったり、秘密スポットで当時既にレア扱いであったカブトムシを捕まえたり、近所の用水路で魚を捕まえて飼育したり・・・という感じである。まあ、人に自慢できるほどではないが、俺も小さな頃にはちゃんと体を動かして遊んでいたのである。それが今では家すら出なくなっちゃって・・・。
 ――まったく、そんな「冒険」を含め、当時はとにかく色んな場所に行ったものであった。そのことを指し示す証拠として、俺は実家回りのどの道を曲がった場合に関しても、その風景を明確に思い描くことができる。ところが、大学時代に東京に来てからのことを考えると、自分が普段使う道のことしか覚えておらず、頭の中で知らない道を曲がってみれば、すぐさまネットから切断された地図ソフトのようになってしまう。そして、同じような経験があるという人は、決して俺だけでは無いはずである。やれ、子供の頃にはたくさんの「道」があったが、大人になってそれを自ら閉ざしてしまったということか・・・。

 さて、一般的に「虫取り」でメジャーなものはセミあたりであろうが、俺はセミを乱獲することはあまり無かった。というのも、(;^o^)「セミさんは何年も土の中に居てやっと外に出てきたのに、捕まえられてしまうのは可哀想だ・・・」という説は当時から既に存在していたため、そもそもセミを捕まえないか、捕まえてもキャッチ&リリース形式ですぐ逃がしてしまうことが多かったのである。
 ・・・そのため、俺が主に狩猟していたのはである。魚は、近所の用水路に網を入れればわんさか取れたうえに、やたらと生命力が強いため、飼育の楽しみも味わうことができた。また、同じ水槽にお祭りで取ってきた金魚などを投入し、黒っぽいフナと赤い金魚のコントラストを楽しむことも行っていた。余談であるが、むかし俺は「フナを育てると鯉になる」に教えられていたため、頑張って滅茶苦茶デカくなるまで飼育してやろうと決めていたものであった。そんな、鯉が龍になるわけでもないのにさあ・・・。
 ――その他にも実家では、秋になると空を埋め尽くすほどの赤とんぼが飛び交ったり、庭に生えていた柿や栗を取って食べたり、梅の実が食えないくせに毎年散らばりまくってウザかったり、飼い犬の散歩をしながら普段行かないところまで歩き回ったりと・・・もちろん、不快害虫が家に入り込んでくるなどというデメリットもあったわけであるが、いま考えてみると何とまあ刺激の強い毎日であっただろうか。それに加えて、当時は「同年代の男女が一堂に会する」「日々の勉強によって毎日成長していける」という「学校」なる環境まで提供されていたのである。それに比べると、この「インターネット」とやらがいかに矮小で無意味なことか・・・。

 というわけで、俺も子供時代には、人並みの「虫取り少年」としての生活を送っていた。そして、そういった懐かしい記憶がある人は、このサイトの読者の中にも少なくないであろう。しかし、そのような人たちも、様々な理由から、もはや「虫取り」などはほとんど行わなくなってしまったはずだ。子供から大人になるためには、誰もが様々な物を捨てなければならないのである。
 ――しかし、である。そんな子供の頃の心を保ちながら、大人になっても「虫取り少年」を続けている人たちは数多く存在するのである! 彼らにとっては、毎日が虫を追うエブリデイなのである。最近では、俺もそんな「虫取り」に入門したような感じになっている。では、そんな「虫」たちの画像を、本日は様々な形でお送りしてみることにしよう・・・!



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虫=bug





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 またDDRにキチガイ楽曲が登場してしまった。その名も「PARANOiA Revolution」、SP・DP共にCHALLENGE譜面は足19という現行最高難易度の譜面である。やれ、DP足19と言えば、「全ての譜面が過去になった」「哲学」として知られる「POSSESSION」が有名【2012/3/12】であるが、この曲はそれよりも圧倒的に難しい。文句無し、現DDRで最強最悪の超々々凶悪譜面なのである。
 ・・・まったく、俺はここまで、10年以上も「DDR」シリーズをプレイしてきた。その馴れ初めは、小学校の時に親が買ってきた家庭用「2ndMIX」で、その後に「SuperNOVA(第9作)からはアーケードでもプレイするようになり、これまでSP(シングルプレイ:4パネルモード)とDP(ダブルプレイ:8パネルモード)の両方で様々な難関曲を突破してきた。・・・が、そんな俺だからこそ分かるというもので、この「PARANOiA Revolution」のDP-CHALLENGE譜面はマジで気が狂っている。こんなの絶対おかしいよ。マジでキチガイじみてるからやめろ。
 ――やれ。今や「音ゲー」というジャンルは完全にゲーセンへと定着をし、DDR以外にも様々な「音ゲー」が親しまれている。その中でも「難関曲」というものは、ひときわ注目を集めるものであるが、それはシリーズが新しくなるごとに塗り替えられるのが通例であるため、なかなか覚えるのが難しいというものである。しかし、とりあえずDDRに関しては、「PARANOiA Revolution」という曲が最強であると考えておいていただければ良いであろう。もし、あなたが友人・彼氏に連れられてゲーセンでDDRを観賞するようなことがあれば、(*・∀・)「ねえねえ、『パラノイア・レボリューション』の『チャレンジ』ってのをやってみてよ〜♪」と提案してやれば、相方の引き攣った笑顔を見られること請け合いである。まあその場合は、タコ専用譜面のCHALLENGE難度ではなく、まだ人間向けであるEXPERTあたりで勘弁しておいてやるのが情けというものであるが・・・。

 さて。では、そんな「PARANOiA Revolution」の、いったい何がそんなに難しいのであろうか? いつも通り、まずは譜面動画【ニコニコ】/【Youtube】をご覧いただくことにしよう。
 ・・・まず、最初は他愛もないジャンプ&連打地帯からスタートし、その後に軽い4分の矢印から本編がスタートする。が、この地点がいきなり難しいのだ。やれ、「BPM360の4分」=「BPM180の8分」であるため、何のことも無い譜面というように捉える人が大半であろうが、実際にプレイしてみると体が変な方向に浮き上がるような配置となっており、まともに踏むことはかなり難しくなっている。そしてその後は、バスドラムに合わせた5連打がひたすら繰り返される地帯が始まるのであるが、これまた中央のパネルを介した背面基本の難配置が連続しているため、見た目を遙かに超える難関となっている。・・・以上、俺はこの最初20秒だけで殺されるため、以降の譜面をレビューすることは不可能となってしまっている。その後も低速や振り回しなどの難波面が連続するが、そもそも俺は予選落ちなのだ。
 ――まったく、俺は決して自分がヘタクソであるとは思っていないし、むしろここまで難関曲を突破してきたことを、少しは誇りに思っているくらいである。が、そんな俺が、全くと言うほど太刀打ちできないのが、この「PARANOiA Revolution」なのである。これは本気でヤバいわ。ポゼは本気出して練習すればそのうちクリアできそうな気もするが、パラレボはマジで無理ゲーじゃね・・・?

 と、いうわけで。DDRには、また狂気としか言いようの無い楽曲が登場してしまったのである。SPはともかくとして、DPはマジで人間がプレイする譜面ではない。そしてこれをクリアしている人間は人間ではない。
 
・・・やれ、DPには難譜面が数あると言えども、このような超難関は他には有り得ない。「足19」どころか、最高難度の「足20」と言っても問題は無い。むしろ、どうしてこれを足20にしなかったのかという話である。果たしてこの先、これよりも難しい譜面が登場するのであろうか? そうなると、マジで「世界で1人しかクリアできない」とか、そういうレベルになってしまうぞ・・・。

登録タグ/ DDR

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 「ウロボロス」とは、古代ギリシャ語で「尾を飲む蛇」という意味を表している。“蛇”という動物は元から生命力が強く、さらにそれが自らの尾を噛んで輪っかとなっている様子から、ウロボロスという言葉自体が「不死」「再生」「永遠」という状態を表すようになった。そしてその言葉が、後に宗教や哲学・化学などの様々な分野で使われることになったのだ。
 ――そしてもちろん、厨二病が大好きな日本の漫画・アニメ・ゲームなどでも、この「ウロボロス」という言葉は数多く用いられており、しかも大抵は物語のキーとなる重要な場面で使われている。これはそもそも、「ウロボロス」という言葉自体が強い意味を持っていることが、大きな理由として挙げられるのであろう。なるほど確かに、今まで何千年も「ウロボロス」と言う言葉が親しまれてきた理由も分かるというものである。

 では皆さまは、「ウロボロス」という言葉を聞いた時、まず何のことを思い浮かべるであろうか?
 ・・・まず、「ウロボロス」で検索を掛けてみると、Wikipediaの次に引っかかるのが、遊戯王カードの「ヴェルズ・ウロボロス」である。このカードは、あの「氷結界の龍 トリシューラ」のエクシーズ版と言えるカードであり、高い攻撃力とフィールド・手札・墓地の3つに干渉できる能力から、安定した活躍を行うことができる。また、シナリオ上でも「封印されていたトリシューラが悪意の波動によって暴走した」という設定が為されており、数あるカードのなかでも非常に高い人気を誇っている。もっとも、トリシューラ並みの凶悪モンスターを希望していた人たちにとっては、期待外れとなってしまった感から「ワロボロス」などと呼ばれているようだが・・・。
 ――その他、俺が初めて「ウロボロス」という単語を知ったのは、1999年のゲーム作品:「エースコンバット3」に出てきた「ウロボロス」という組織名である。この「ウロボロス」は、精神を全て電脳化した究極世界を作ろうとするテロ組織であり、作中では敵陣営としてプレイヤーの前に立ちはだかるのであるが、シナリオの進行によって自分自身が「ウロボロス」へと参加できるようにもなっている。そのカリスマ性と謎めいた存在から、小学校時代の俺に強い印象を残し、今でも「ウロボロス」と聞くとエースコンバット3のことを思い起こすものである。しっかしまあ、「精神が全てデータ化された世界」か・・・。むしろこれなら働かなくていいし、恋愛とかどうでも良くなるし、食わなくても生きていけるから、今の時代だと完全なる勝ち組になれるのではないだろうか。まったく、SF作品はいつでも時代を先取りしまくってるなあ・・・。

 他の関連する話題としては、有機化学の主要物質として知られる「ベンゼン」は、6つの炭素原子が輪っか状に結合した構造をしており、これは「ケクレ」という19世紀の科学者が「自分の尾を噛む蛇の夢」を見て思いついたのだと言われている。だが、これはもうウロボロスそのものである。やれ、その「夢の中にベンゼン環の構造を見た」という話は、現在ではニュートンのリンゴ並みに眉唾物とされているそうだが、しかしケクレが「ウロボロス」の話を聞いて、そこからベンゼン環の構造を思いついたという説があったとしても、何も不思議ではないというものであろう。
 ・・・だから、もしもう少し幸運が重なって「ベンゼン」が「ウロボロス」と名付けられていれば、我々理系男子にとっては化学を勉強しながら厨二病を味わえるという至福の時間が与えられていたことであろう。なお、油性ペンのフタを空けて匂いをかいでみると、少し酔ったような気分を味わうことができるが、これは有機化合物の持つ麻酔作用であり、吸い続けると禁断症状が現れてくる。だが、そういった崩壊までをも前提としたうえで、ベンゼン=ウロボロスの持つ「究極」「完全」という意味を考えてみると、なかなか複雑なものがあるのではないだろうか。油性ペンでこれだけ厨二病になれるのである。
 ――その他、「ゴッドイーター」で敵キャラとして登場する「ウロヴォロス」、バイオハザード5に出てくる「ウロボロス・ウイルス」などなど、「ウロボロス」は様々な人気ファンタジー作品に登場している。それも、「ウロボロス」という単語自体が持つ汎用性、「古代ギリシャ語」という世界共通のエキゾチックな魅力、そして「円環」「世界」という言葉自体が持つ深い意味が、今日の人気を生み出しているのであろう。

 さて。前述の通り、「ウロボロス」という言葉は、「自らの尾を噛む蛇」を意味している。しかし、もしそれを我々人間たちが行おうとした場合、人間には「尻尾」が無いため、他の何かを噛まなければならない。
 ――ああ!思いついた、アレだ! 「自らのアレ」に噛みつけば、我々もウロボロスを体現することができる。では、その参考画像を載せてみるので、さっそく皆さまもやってみると良いだろう・・・!!























登録タグ/ これはひどい

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 「サッカーが一番面白いスコア」というものは、果たして“何対何”なのであろうか? ただし、ここで言う「面白い」とは、「試合に見応えがあって興奮する」という意味であるとする。例えば、個人的にはこの前の「柏 1-4 大宮」あたりは腹を抱えて笑ったのであるが、そのような背景までを考慮したパターンではなく、あくまでも「試合自体が面白くなるスコア」というものを考えてみることにしよう。
 ・・・まず、サッカーにおける「面白い試合」とは何なのかということから考えてみよう。最初に必要となるのが、「メリハリが付いている」ということである。強いチームが弱いチームを一方的に倒すのでは面白くないし、両チームが延々とロングボールを蹴るだけというのも飽きてしまう。両者ともに調子の良い時間や悪い時間があり、適度にチャンスやピンチを得ながら試合を進めていくことが、一番の「面白い」に繋がるのだ。
 ――やれ、サッカーの試合を見ていると、前後半の45分が「あっという間に過ぎてしまう場合」「ダラダラ長く感じる場合」があるが、それはひとえに「試合に飽きるか否か」という理由が存在するのであろう。もちろん、「面白い」のは前者のパターンである。・・・その他、リアルタイムで進行するスポーツとして「スピード感」も重用であるため、俺はサッカーの面白さを「メリハリ」「スピード感」と定義するのである。

 さて、ここで困った話が出てくることになる。というのも、そのようなサッカーの「面白さ」は、実際のスコアとは関係が無いのである。
 ・・・やれ、例えば「0-1」でも全く見所の無い完全敗北ということはあるし、「3-0」でも僅差の面白い試合だったということは大いに有り得る。また、「1-1」や「2-2」などの引き分けの場合は特に顕著で、「面白い引き分け」と「つまらない引き分け」の間には天と地ほどの差が存在するのだ。「0-0」でも、面白い試合というものは存在するのである。
 ――とまあ、こんな感じで。確かに「ゴールを決める」というのは白熱する行為なのであるが、点差が無くとも魅力に溢れた試合は存在するし、その逆も然りである。まったく、誰だって自分の応援しているチームが勝って欲しいというものであろうが、それとは別次元の欲求として、「良いゲーム」を観たいという感情が存在する。その兼ね合いは難しいところであるが・・・それもまた、「サッカー」というスポーツの奥深いところであろう。

 というわけで、「サッカーは何点差だと面白い」ということを一概に言うことはできないのであるが、それでも俺が好きなスコアを言うとすれば、それは「3-1」である。
 ・・・なぜ、俺が「3-1」を好きかと言うと、まずサッカーで一番興奮するのは、当たり前であるが「シュートが決まった瞬間」であり、それは複数回あったほうが良いのであるが、逆に多すぎるとダレてしまうため、90分を通して2〜4回くらいが良い。また、「2-0で負けているチームが1点を返すと、一気に試合が白熱する」という法則があるため、そこから大きく試合が動いて、最終的に勝っていたほうのチームがギリギリで逃げ切るくらいが良い。具体的に言うと、前半に2点が入るが、後半開始直後に負けていたチームが1点を返し、その後は負けチームが攻め続ける時間が続くが、ディフェンダーやキーパーの必死の防御によって何とかゴールを守り、最後に勝っていたチームがカウンターを決めて3-1で終わる・・・と。こんな感じで、もう書いているだけでワクワクしてしまうような試合展開ができるのである。
 ――逆に、嫌いなスコアは、「0-0」「3点差以上が付くこと」である。やれ、「0-0」でも面白い試合はあるのだが、やはり試合に大きな展開が付くのは「ゴールが決まる」ということであるため、スコアが付いた場合の引き分けに比べ、「0-0」はイマイチ燃えない展開になることが多い。また、「一度に3点差以上が付く」と、その後に逆転することが非常に難しくなってしまうため、一方的な展開になってしまいがちである。
 その他の場合としては、サッカーで二番目くらいに面白いのが「ギリギリのシュートをキーパーがはじく」という場面であるため、そういった展開が続けば、点差が付かなくとも試合はハラハラして面白くなる。やれ、ある程度ゴールは決まって欲しいが、ディフェンダーやキーパーには頑張ってもらい、メリハリとスピード感があって、両チームに奮起してもらうと。なんとわがままな欲求であろうか・・・。

 そんなこんなで、サッカーにおける「面白い試合」とは、90分間飽きずに見られる物のことであり、そのためには「メリハリ」「スピード感」という要素が必要になる。そして逆に、それらの要素さえ存在すれば、スコアが幾つであっても面白く成り得るのだということが分かった。俺は、「3-1」が好きなのであるが、それはあくまで「俺が理想とする試合展開」を書き出しただけであり、それ以外にも様々な「面白い試合」のパターンというものが存在する。だから俺は、これからもそんな「面白い試合」が見られることを祈るのである。そして、そういった正しい方向で日本サッカー界が成長していけるであれば、なおさら良いというものであろう。
 ――とまあ。今回の話題は「サッカーは何対何が面白い?」というものであったのだが、その結果としては「スコアではなく、面白い試合が面白いのだ」というものになってしまった。だがこれでは、「俺はこれくらいの大きさが好きだよ・・・」と同じで、議論の放棄と思われても仕方が無い。というわけで、どうにも自分の中で割り切れなくなってしまったため、ここで唐突に「サッカーで点差が付いた時の気分集」と題し、俺の集めた秘蔵のサッカー画像集を公開してみることにしよう。さあキックオフだ! ピーーーッ!!


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登録タグ/ サッカー

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 彼氏・彼女など当然いるわけもない皆さまにとって朗報である。ついに、2012年のクリスマスが中止されることに決まったのだ。
 ・・・皆さま、「マヤ文明」というものをご存じであろうか。「マヤ文明」は、現在の中米辺りに実在した古代文明であるが、今から1000年ほど前に滅亡してしまったという。そのマヤ文明では、「天文」の技術が特に優れていたとされており、世界で最も速く「暦」という概念を作り出し、農業や地学に役立てたことはもちろん、星々の運行から未来のことさえも予言できていたと言われている。
 ――ところが、そんなマヤ人たちの暦は、ある日をもって唐突に終わりを迎えている。その日付を現在のカレンダーに直すと、およそ2012年12月23日ごろとされている。やれ、未来予知までできるマヤ人が、唐突に日を数えるのを止めてしまったのだ。これはただ事ではない。つまり、「2012年12月23日」をもって、この世界は終末を迎えるのである。

 さて、この予言で注目すべきは、もちろん「12月23日」というドンピシャの日付設定である。見事なまでにクリスマスが中止されている。もう狙ったとしか思えない。
 ・・・やれ、マヤ人が「クリスマスを中止する」という目的を確実に果たそうとするため、勢い余ってその後の日々まで中止してしまったことは少々痛いが、この際そんなことは些細な問題だ。あの、我々の宿敵であったクリスマスが、マヤ文明によって跡形も無く粉砕されたのである。もしかすると、古代マヤ人はこのようにクリスマスが怒りの日と化していることまで見透かしていて、その憎しみが最大限に煮えたぎった2012年という時に、「中止」という裁定を下すに至ったのではないだろうか。そう考えると、なんという凄まじい先見の明である。マヤ・・・恐ろしい子・・・!
 ――なお、この話の信憑性については、「マヤ文明が1000年先の終末を予言できるのであれば、どうして自分たちの滅亡を予測して阻止できなかったのか?」という面からの疑問点が存在する。ごもっともである。しかし、そのような事態になった理由を推察するとすれば、「自分たちの社会が既に手の施しようが無く、せめて未来に残された我々に思いを託したのではないか」などと考えることもできる。何にせよ、古代の人たちがわざわざ俺たちのためにクリスマスを中止してくれたのだから、その恩恵に授からない手は無い。クリスマスは、終わったのである。

 そんなわけで、今年のクリスマスは無事に中止されることが決定した。これでもまだクリスマスを行おうという逆賊が居るのなら、必ず無慈悲な鉄槌を加えてやらなければならない。
 ・・・やれ、我々はやはり日々の務めを行い続けるのが一番良い。それはつまり、インターネット言論の監視と自宅周囲の警備活動である。その誇り高き仕事には、休みなど存在するわけもないのだ。そして、今年ついに、宿敵であるクリスマスが滅んでいったということで、もはや我々による天下統一は目前というものである。さあ、皆で争いの無い理想世界を作り上げようではないか。
 ――しかし、クリスマスが中止になったとして、それでも恋人が欲しいという人は居るかもしれないし、願い事で「彼女が欲しい」などと祈る人も存在するであろう。もし、そのような人々の希望を叶えられなければ、それは決して理想的な社会とはなってくれない。ならばその願い、俺が叶えてしんぜようではないか。クリスマスに「彼女が欲しい」と願う皆さまへ、こんな「プレゼント」が届きますように・・・。





















登録タグ/ 社会一般 これはひどい

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 俺は幼い頃に、よく親から「早くゲームを“卒業”しなさい」と言われていた。それはつまり、ゲームとは「いつかやめるもの」であると捉えられていたのである。これは果たして、どういうことなのか?
 ・・・というのも、俺が子供だった1990年代というものは、スーパーファミコン・初代プレステなどが活躍していたテレビゲームの最盛期であり、「遊び」と言えば誰もかもがゲームのことを指していた。大人も子供もお姉さんも、皆が熱狂的なまでにテレビゲームをプレイしていて、例外は一人として存在しなかった。いま振り返ってみると考えられないことであるが、そういう時代が有ったのである。
 ――しかし、それだからこそ、我々の親である世代は、自分にとって理解できない「ゲーム」というものを敵視し、“卒業”という形でやめさせようとしたのである。やれ、そういう「自分に分からないもの」を排除しようという動きに関しては、俺も分からなくは無いというものだ。今だって、俺は「Facebook」「LINE」などという自分が使わないコミュニケーション手段を必死に否定しているし、「ワンチャン」などに代表される若者たちの流行り言葉を“馬鹿が使うもの”として心の中で卑下している。だから、我々の親たちが、全く未知数の「ゲーム」という文化を嫌ったとしても、別に不思議ではないというものである。

 では、そういった立場から逃れて、客観的な目線で考えた場合、果たして「ゲーム」とは本当に“卒業”しなければならない文化と言えるのであろうか?
 ・・・もちろん、俺はそうは思わないのである。その理由は、「ゲーム」と言っても様々な種類が存在するため、それらを一概に非難することなどできるはずも無いからだ。無論、単に時間を浪費するだけの凡庸なゲームというものも存在するだろうが、例えば歴史をテーマとしたゲームであれば実際の歴史に興味を持つきっかけができるであろうし、そうでなくともゲームを介して他の人と知り合えるのならば、それはとても有意義なことである。むしろ“客観的”に見てみれば、「ゲーム」というものは、画面を通して大量の情報を取り込むことができ、自分の入力がすぐさま反映されるという最高峰の刺激的な遊戯である。だから、もし本当に斬新な物に触れあえ続けるような「ゲーム」が遊べるのであれば、それは読書・テレビなどの完全上位互換と言えるもので、これほどまでに有意義な趣味は他に無いとさえ言えるものであろう。
 ――特に、ゲームにおける「結果がすぐに帰ってくる」というのは、昨今の世間で極めて重用なことであと言える。俺は頭が悪くて世間を渡り歩ける能力など全く持ち合わせていないのだが、それでも「受験勉強」やそれに類するものだけが得意な理由は、ひとえに「自分が出した結果をすぐさま“答え合わせ”として確かめられるため」である。それで結果が合っていれば嬉しく思えるし、間違っていれば改善しようという意欲が生まれてくる。やれ、他の世界に関して言ってみても、食欲でも性欲でもないおよそ人間の欲求から掛け離れた仕事を実行させるためには、このような「報酬」の制度が必要不可欠である。そういうことを考えると、「ゲーム」というものは卒業しなければならないどころか、むしろ「入力 → 即反映」という良いところを、他の文化も学ばなければならないくらいなのである。

 まったく。そもそも、何らかの文化を「卒業」と称し、子供の趣味=“劣ったもの”として切り捨ててしまうのは、決して有ってはならないことである。例えば、子供たちに大人気の「カレーライス」は、味付けを辛めにすれば大人でも十分に楽しめる一品となっているが、それを「子供の食べ物wwww」として排除してしまえば、結局は大人たちも不都合な結果となってしまう。ゲームを「卒業」と廃してしまうのは、間違いなのだ。
 ・・・しかし。その「ゲーム」と呼ばれる文化も、今では様々な変貌を遂げているのである。例えば、ゲームの良い部分が「報奨制度」などとして企業経営に取り込まれている一方で、インターネットの課金制を“悪用”した新たなるコンテンツが登場し、早くも社会問題と化す様相を見せている。そして、幼い頃から「ゲーム」に親しんできた俺も、そういった新たな“ゲーム”に関しては全くの未知数であるため、結局はそれを敵視せざるを得なくなってしまう。自分の知らないものが社会に蔓延すると、それを異星人のように嫌って排除しようとする・・・歴史は、繰り返すということである。
 ――と、いうわけで。「ゲーム」という言葉は、それ自体が様々な意味を持っているだけに、文化としては賛否両論が出てきてしまうということが分かった。しかしそれは、他の「本」「テレビ」などでも同じことであり、逆に言えば「ゲーム」という文化がそれらに並ぶほどの市民権を得ているということでもある。そして、そのような一角となったゲームを「卒業」などとし、未成熟なものとして切り捨ててしまうことは、まったくもって誤った考え方なのである。そもそも我々には、他にも卒業しなければならないことが山ほどあるのではないだろうか・・・!?

登録タグ/ ゲーム一般 社会一般

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 この国には「合同コンパ」、略して合コンという文化が存在するらしい。“らしい”というのは、俺はその実態を全く知らず、そもそも俺にはそういうものが存在するということ自体が信じられないからだ。
 ・・・まず、「合コン」(ごうこん)とは何かと言うと、ご存じの通り、異なるグループが合同でコンパ=飲み会を行うことであり、一般には男女が集まって恋人探しをする会として知られている。だが、そういった概念が一般に知られているのとは裏腹に、大半の人は「合コン」に行ったことが無いであろう。そのため、「そもそも実在しているのか?」「合コンではなくオワコンなのでは・・・」という考えが出てくるのも、至極当然であろう。
 ――ただ、俺の回りにも実際に「合コン」に行ったと証言する人は居るし、その他にも様々な情報から判断するに、やはり「合コン」というものは俺が知らない世界で実在するようである。というわけで本日は、その謎に満ちた「合コン」というもののベールを脱がせてみることにしよう。果たして、「合コン」とはいったい何なのだろうか?

 そんな「合コン」は、実は開幕から問題を抱えている。そもそも、我々はどうやって合コンに参加すれば良いのだろうか? というのも、知っている人と飲むのでは「合コン」にならないし、知らない人には連絡ができない。のっけから合コンは矛盾しているのだ。・・・この問題を解決するには、例えばA社とB社で通例として合同コンパを行うことが企画化されていたりとか、はたまた「友達の友達」という感じで男女が別々に知り合いを集めるか、いわゆる「街コン」のような行事に参戦するといった手順を踏む必要がある。しかし、どれも日常感覚からかけ離れており、まず最初の時点でいきなり難易度が高くなっているのだ。
 ・・・そして、仮に「合コン」に参加できたとして、次は果たして何を話せば良いかという問題が出てきてしまう。有りそうなパターンが、仕事・趣味のことを話して、そこから共通の話題を見つけていくという感じだろう。しかし、例えば俺の趣味は「ゲーム」であるが、この「ゲーム」とは皆さまの知っているゲームとは違うため、恐らく世の女性とは話が合わない。そもそも俺は、こんなマニア向けサイトをやっていることからも分かるように「狭く深く」の人間であるため、それで一般女性と意気投合するのは、あまりにも難易度が高い。かと言って、女性受けする趣味を口車で作っていくというのも、実に馬鹿らしいというものだ。
 ――さらに言えば、そもそも「男女が恋人探しを目的として打算的に会食する」という合コンの概念自体にも、俺は強い嫌悪感を覚えてしまう。楽しく話している最中にも、相手は自分を「こいつは駄目だ」と品評しているかもしれない。そして、後からその結果が「不合格」という形で返ってくれば、それは自分の人生を丸ごと否定されたようなものである。とりわけ、合コンは「飲み会」という形式を取っているため、そのコンパ自体が楽しければ楽しいほど、後々のショックも大きくなってしまう。そういった、悪意の渦巻く“ナントカ活動”みたいなものを、わざわざ自分から増やすこともないというものであろう。

 ところで、ネット上の「合コン」に関する記事を読んでみると、それはそれは多いのが「ハンプティダンプティみたいな女が来たwwww」などと、女性側に問題があるような書き方をすることである。しかし、例えば俺みたいなこんび太郎が女性を非難できるわけもないということで、その点に関してはお互い様というものだろう。
 ・・・が、それでもやはり、「出会いの場」と称して男女の恋愛を打算的にするような行事は、俺はどうしても好きになれないのである。もしそれで何度も失敗が続けば、それは必ずや人間不信へと繋がっていく。そして、そうやってフラれても何とも思わずに次の女性へアタックできる人間というものを、俺は信じることができない。そうまでして、「恋人が居る」というステータスを得たいとは思わないのである。
 ――やれ、男にとって「恋人」「妻」を作ることは、物理的・精神的なメリットが非常に大きく、多少の無理をしてでも得るべきものなのかもしれない。だが、俺のような人間がそれを行えば、その無理は「多少」では済まない可能性がある。まったく、「何十社も受けて全て落とされた」ではないが、「何十人と告白して全てフラれた」と来れば、もう生きることさえできないような屈辱を味わうことは間違い無い。やれ、失敗がかさむ前に何らかの手で成功を勝ち取るか、はたまた合コンとはそういうものだと割り切って何度もフラれ続けるか・・・それをできるか否かが、いわゆる「リア充」と「俺」との違いなのであろう。

 そんなこんなで。確かに「合コン」は出会いの場となるのであるが、そういう「打算的な場」というものには、失敗時の強い不快感が付きまとってしまう。そして、俺のように物事を割り切って考えられない人間には、それはどうにも耐えられそうにはない。もし本当に心の底から意気投合できる相手が見つかれば良いのだが、俺のような性格ではそれを探すのも難しいだろう。その結果として、俺は恋人や結婚相手が一生見つからないようなことになるかもしれないが、別にそれでも構わない。というか、合コンに参加すれば本当に彼女が出来るのか? ただフラれる回数が増えるだけではないのか??
 ――というわけで、俺は「合コン」を求めていないし、「合コン」の側も俺のような人材を必要としていないことが分かった。だが、お酒を通して誰かとの親睦を深めるという「コンパ」の理想自体は決して間違っていないし、俺もそうやって誰かと仲良くなっていきたい。ならば、いま時代が求めているのは、「合コン」ではなく、次のような「コンパ」なのでは・・・!?


1

「オタコン」
オタクたちのコンパ。



2

「商コン」(しょうこん)
取引先とのコンパ。
親睦会と見せかけた営業活動。



3

「シスコン」
兄と妹のコンパ。
妹におごってもらうとレベル高し。



4

「男コン」(だんこん)
男たちのコンパ♂






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 悲しいお知らせである。毎年秋の楽しみとなっていた遊戯王カードの「タッグフォース」シリーズが、この2012年には発売されなかったのだ。
 ・・・まず、「タッグフォース」とは、アニメ:「遊戯王」の世界観をモチーフとしたPSP用ゲームであり、CPUと遊戯王カードで対戦をしながら、アニメキャラクターのシナリオを進めたり、最強のデッキを作っていくことが目的となる。その収録カードは実際の遊戯王カードに準拠しており、数千枚というカードで自由にデッキを組んで楽しんでいくことができる。その魅力は、「いつでも遊戯王カードを遊べる」「アニメの世界観を楽しめる」「カード購入や整理の手間を省くことができる」「遊戯王カードの奥深さを十分に味わえる」「ゲームオリジナルのカードが収録されている」など、他のPSPタイトルと比べても圧倒的であり、遊戯王ファンにとっては凄まじいまでの魅力を放っているガチの名作である。俺は、PSPのキラータイトルはあの有名な「モンスターハンター」ではなく、この「タッグフォース」シリーズだと考えているくらいなのだ。
 ――が、去年9月に最新作である「タッグフォース6」が発売されて以降、今の今まで新作が出るという情報は来ていない。そのため、俺は2011年10月以降に登場したカードを全く使うことができていないのである。やれ、遊戯王カードでは毎年500枚という大量の新カードが登場するため、このままだと俺は完全に遊戯王カードから取り残されてしまう。俺は、幼い頃に「遊戯王」を知って以来、ずっとそれに親しんできており、様々な理由からリアルカードを買うことができなくなってからも、「タッグフォース」で遊戯王カードを楽しみ続けることができていた。が、それが打ち切りになってしまうとなると、俺にとっては極めて由々しき事態になるのである。

 では何故、今年は「タッグフォース」シリーズが発売されなかったのか? その理由として考えられるのが、「@アニメが『ゼアル』に変わったこと」「Aハードの移行期であるということ」である。
 ・・・まず、「@アニメが『ゼアル』に変わったこと」だ。昨年4月からは、遊戯王シリーズの第4作である「遊戯王ゼアル」が放映されており、もし『7』などの新作が出るのであれば、その世界観は「ゼアル」を舞台とすることが確実視されていた。だが、逆に『6』で前作:「5D's」の世界を上手くまとめられたということで、これはシリーズを打ち切りにする格好の機会とも言えるのである。また「Aハードの移行期であること」は、「タッグフォース」はPSPで『6』までが発売されているのだが、昨今の状況はPSPでは遅いしVitaでは早すぎるという感じになっており、それで新作を出すのに尻込みしたとしても、全くおかしくないというものなのだ。
 ――が、それらの要素を考えてみても、例えば@に関して言えば、アニメが「GX」「5D's」と変わった時には普通に1年間隔で発売されていたし、Aに関しても、「ゴッドイーター」のように【2012/9/20】、PSP/Vitaのマルチプラットフォームにしたり、はたまたどちらでも遊べるダウンロードタイトルにするという手もある(※VitaではPSP用のUMDを読み込むことはできない)。俺は、初代PSPをもう6年も握り続けているため、いい加減そろそろガタが来てしまった。UMDディスクは永遠ではないし、PSP本体も苦しくなってきている。だから、もし『6』がダウンロード用ソフトとして配信されるだけでも、絶対に俺はVitaと共に買うであろうし、それが『7』などの完全新作であれは、ますます嬉しくなれる。もはや遊戯王のゲームは、“付録カードのおまけ”では無いのである。

 が、そうやって様々な解決法があるのに、それでも新作の「タッグフォース7」が発売されない理由としては・・・これはもう、残念ながらコナミが新作を出す気が無いと言わざるを得ないであろう。
 ・・・やれ、皆さまご存じの通り、世間では課金システムに優れた「ソーシャルゲーム」とやらが大変にもてはやされており、特定ハードを使った既存ゲームたちは極めて苦しい戦いを強いられている。そういう状況に至って、もし発売元のコナミが“大ヒット”とは言えない「タッグフォース」シリーズを打ち切りにしようと考えたとしても、何ら不思議では無いということである。
 ――が、俺を始めとして、「タッグフォース」には熱狂的なファンが数多く存在するため、是非ともシリーズを続けてほしいというものなのである。「ハードが変わる」というのであれば、PSPでもVitaでも、はたまた3DSや次世代携帯電話であっても着いて行こうと思えるし、「利益が出ない」というのであれば、定価5250円の10倍だって払っても構わない。また、もしパックごとに課金するオンラインゲームのようになるのであれば、さすがに少しは躊躇してしまうだろうが、それでも俺は買うであろうと思う。それくらい、「タッグフォース」は俺にとって重要なゲームなのである。

 と、いうわけで。ゲームを取り巻く状況が変化する中で、密かに「タッグフォース」のような優良作品が打ち切りの危機に瀕していることが分かった。
 ――まあ、単に遊戯王カードを遊びたいだけであれば、実在するパックを買えば良いというものであるが、「収納スペース」「購入費用」や「プレイできる友人の有無」などの問題も考えると、やはり俺には「タッグフォース」しか無いというものである。もう俺にとって、「タッグフォース」は無くてはならない作品なのだ。売り上げだけではなく、本当に面白いと言えるゲーム作品を、これからも出し続けてほしいものである。

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W杯 アジア最終予選
オマーン 1 - 2 日本
(2012/11/14 - アウェー:マスカット・スタジアム)


 10月のフランス&ブラジル戦以来、約1ヶ月ぶりのサッカー日本代表戦である。今回はワールドカップ出場を懸けたアジア最終予選ということで、オマーンと戦うことになった。
 ・・・やれ、前回ホームでの戦いの際は、3-0と圧勝することができた【2012/6/3】のだが、今回は相手国のスタジアムで戦う“アウェーゲーム”であり、最初から難しい試合になるということが確実視されていた。特に問題なのが気温で、この時期でもオマーンは35℃もあり、日本やヨーロッパとは大きく気候が異なっている。また、中東アウェーでの試合は、いわゆる「中東の笛」といったインチキくさい判定や、暴力的なまでのサポーターなど、たとえ強豪国であったとしても雰囲気に飲まれてしまう危険性がある。そのため、日本は一度倒している相手だとしても、決して油断することはできないのだ。

 さて、そんな試合は、結果だけを見れば1-2で日本が勝利することできた。しかし、内容としては予想通り日本の辛勝という感じになったのである。
 ・・・というのも、オマーンの戦略はシンプルな力押しであり、ボールを奪ったらすぐ前に蹴り出すというものであった。また、意識的にスローインやフリーキックから素早くリスタートし、タイミングを崩して攻め入るという戦法も多用しており、日本は何度もゴールを脅かされていた。最終的なスコアこそ1-2だったものの、非常に難しいゲーム展開であり、特に、後半32分にオマーンゴールで同点になってからはスタジアムの雰囲気が異常になり、日本はこのまま負けてしまうのではないかとさえ思ったものだった。最終的には終了間際のゴールで勝つことができたが、内容としては互角であり、負けていてもおかしくなかった。だからこそ、勝てて良かった。
 ――まあ、今回は中東アウェーの戦いであったが、いわゆる「中東の笛」、つまり偏ったジャッジや露骨な時間稼ぎなどが特に無かったという点は、日本にとって幸いだったように思う。個人的にはそういう中東もちょっと見てみたかった気がするのであるが、まあそれで負けたら仕方が無いし、そういう試合は本戦出場を決めてからまったり楽しめば良い。むしろ今回のポイントは、力で劣るオマーンが策を練って戦い、前回完敗であった日本を相手に善戦したという点であり、そこは誠に褒め称えるべきであろう。

 ちなみに、日本の得点シーンを挙げてみると、1点目は長友が敵陣奥からセンタリングをして清武が押し込み、2点目は同じく酒井高徳によるセンタリングを岡崎が決めた。そこから考えるに、どうも日本はサイド攻撃を得意としているらしい。確かに日本代表は他のポジションに比べてサイドバック(左右に位置するディフェンダー)が充実しており、特に長友の性能は驚異的であるため、そこから攻めるのは至極当然とも言える。
 ――そんなこんなで、今回のオマーン戦ではオマーンを横から押すことが勝利のポイントとなった。つまり、「くぱぁ」ではなく「ぁぱく」ということか・・・。











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 レポート書いてました。また明日!!

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 「福島」は有って「新潟」は無い、「石川」は有って「富山」は無い、「上野」は有って「御徒町」は無い・・・何のことかと言うと、これは人の名字の話である。
 ・・・というのも、「名字」というものは、古くは「藤原氏」などで知られるように、良家の人々だけが名乗って良いものとなっていた。ところが、江戸〜明治にかけて全員が「名字」を持つよう決められてしまったため、普通の人々も急に「名字」というものを作らなければならなくなった。だから、その時の価値観で、今に続く「名字」は制作されたのである。
 ――というわけで、今の我々にも引き継がれている「名字」は、そんな一種の「流行」で決まったものなのである。やれ、ご先祖様たちだって、俺たちとそう離れた考えをしているということは無いだろう。だから、「名字」というものを考える際には、聖域的な何かと考えるよりも、「当時の流行で適当に決めてしまった」という見方のほうが適切であろう。恐らく、今の世間では有り触れた「佐藤」とか「山田」とかであっても、当時としては最高峰にナウい言葉であったはずだ。歴史を美的なものとして考えることも時には必要であるが、庶民的な視点から考察するのも、これまた一興であるというものだろう。

 さて、そんな感じで持たされた「名字」によって、我々は様々なエピソードを経験することになった。その代表的なものは、「小学校の頃の席順」であろう。
 ・・・やれ、今はどうなっているか知らないが、俺の頃は「男女混合の名字あいうえお順」でクラスの出席番号が決められていたため、「青木」という名字の人が常に最初に名前を呼ばれることになっていた。彼はドッジボールの時間でも青と黄色のボールを持って投げるという壮大な名前ネタをやらかしていたため、マイナー名字の俺としては、少し嫉妬していたものであった。何せ、常に最初に名前を呼ばれるのである。それに比べて俺は、最初でも最後でも無い、毒にも薬にもならない名字であったため、どこか損をしているという気持ちになっていた。なお現代社会では、こういう意見を増やしすぎると、今度は出席番号をバラバラにするという仰天の解決法を図ってしまうため、心の底で差別だと思っていても、あまり声を大きくしてはいけない。
 ――ちなみに現代では、結婚をすると男性側の名字に統一されるというのが一般的であるが、そうではなく女性側の物にしてしまったり、はたまた夫婦で別の名字を名乗る場合もある。そんな、いわゆる「夫婦別姓」の制度に対しては、ご存じの通り様々な議論が存在するところであるが、そもそも俺は結婚できないため、それに関して意見をするのはやめておこう。その他、出席番号を最初にしたければ「ああか」さんと、最後にしたければ「わんりき」さんあたりと結婚するのが筋というものであるが、それまた結婚しなければ関係が無いというものである。

 ところで、俺の名字はいわゆる“マイナー名字”であるため、親しみやすい「あだ名が」付けられることは無かったのであるが・・・実は俺は、「名字+さん」で呼ばれるのがとても好きだったりするのである。
 ・・・というのも、最近の世間では、むしろそういった「あだ名」はあまり親しくない人に使う傾向があるのだ。何故なら、親しくない人には好かれようとして“あだ名”を用いるが、親しくなってしまえばそういうものは関係無くなり、独自の名前で呼び始める。そしてそれは、往々にして先祖返りである「○○さん」というものであったりもするのだ。文字通り、一種の「先祖返り」と言える現象が起きているのだ。
 ――やれ、俺は誰かが言っていた「呼び名の変わり目が人間関係の変わり目」という言葉が存在する。俺は、この言葉を正しいと思っている。最初は「あだ名」で親しくなろうとして、その後に仲良くなれば、「最初の名前」で呼び始める・・・そういう逆転現象が、現代の若者達の間では起こっているのだ。なお、そもそも話しかけられた時点で強い親しみを感じるとか、そういうことは言ってはいけない。

 というわけで、「名字」というものは、僅か数世代前のご先祖様が作ったものであり、それほどまでにスピリチュアルなものとして扱う必要は無いが、かと言ってどうしようもなく無下にすべきものというわけでもなく、それなりに人の個性を表している面白いものということが分かった。何か古典みたいな結論である。
 ・・・しっかしまあ、現在まで伝わる「名字」が江戸〜明治時代の流行で作られた、ということはである。もし、平成の現代に「名字」の制度がスタートしたら、「田中」「松田」「高松」といったよくある名字が付けられていたかもしれないが、今でいうキラキラネームならぬキラキラ名字が出来上がっていたかもしれない。「光宙」とか「雷宙」とか「運虎」とか「珍々」とか・・・。

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 なんだか最近寒くなってきた。振り返ってみると、今年は10月に入ってからも30℃を記録するくらいの残暑が続いたものであったが、11月頭からはさすがに服を2枚着るようになった。だが、それから半月ほどでもう2枚でも苦しくなってきたのである。となると、これからはTシャツ+長袖+ジャンパーあたりが標準装備となるのか。まったく、少し前まで、あんなに暑かったというのに・・・。
 やれ、服が増えると何が困るかと言うと、まず脱ぐのがめんどくさい(※当然DDR目的)のと、他にも洗濯機がすぐ満タンになってしまうという欠点もある。まあ押し込めば入るのであるが、あまり強引にやると洗濯機がガタガタ音を立てながら5cmほど飛び上がるというスリル満点の光景が展開されることになる。さらに、夏場ならば洗った服を生乾きでも強引に着ることができたが、冬場にそれをするとさすがにキツい。その上、今年は筋トレ効果でもそも着られる服が減ってしまっている。つまり、リアルに「家から出る服が無い」という状況なのである。
 ――その他、唇が毎日のようにバリバリ割れたり、雨がやたらと冷たかったり、変な病気が流行り出したりと、冬は難関がてんこ盛りである。とはいえ、現段階で最低限やるべきなのは、大学卒業に必要なレポート科目を1つ落とさないようにすることだけであるため、まあそれだけは守りつつ、気ままに過ごしていくことにしよう。その後のことは、またそのうち考えるか・・・。

 ところで世間では、ハロウィンが終わればもうクリスマスという感じで、街中が邪悪なムードに包まれている。あちこちに魔除けのようなピカピカ光る装飾が施され、歩いているだけで目を覆いたくなってくる。が、その結果、少なくとも俺のような魔物を遠ざけることには成功しているため、魔除けとしては立派に役目を果たしているであろう。また、本日電気屋に○ナル式イヤホンを買いに行った時には、既に店内にクリスマスBGMが流れており、どこかおぞましい雰囲気を感じてしまった。まだクリスマスまで1ヶ月以上あるぞ!! 洗脳でもするつもりか!?!?!?
 ・・・また、この時期になると、世間の方々は「クリスマスまでには恋人が欲しい」などと言い始めるが、まあその手の発言をしている時点でリア充ということで、俺のようなニートはなんかもうそういう状況を超越しているのである。まああれだ、俺のクリスマスは毎年「Fascination -eternal love mix-」をプレイするという仕事があるし・・・今年はDPも遊べるし・・・。
 ――その他、「クリスマス」以外の冬のイベントと言えば、まずは毎年恒例の「ボジョレー・ヌーボーの解禁」があるが、俺はスーパーで380円の安売り品しか買わないため、イマイチ楽しんでいるという感じではない。また「お正月」は、ちょっと今の状況では親戚たちに顔が見せられないため、できれば一人か、または家族だけで過ごしたい。その他、冬ということで「氷」や「雪」に関連する行事が幾つか思い付くが、どれも着て行く服がなく、遊んでくれる相手がいないという八方塞がりである。しかし、去年までの冬が充実しているかと言えば、別にそうでも無かった。うむ、今年も平常運転である。

 そんなこんなで、いよいよ外が寒くなり、否が応でも「冬」というものを意識しなければならなくなってきた。しかし、「寒さ」に関しては、部屋の中でコートとマフラーを着て布団にくるまりながら過ごすなど様々な対処法が存在するため、何とか上手くやっていきたいところである。少なくとも、朝6時から38℃で蒸されるよりはマシなはず【2012/7/27】だ。
 ――まあ、私生活的には今までで最も宙ぶらりんな感じになりそうだが、どうあっても俺の大学生活はこれで最後だから、良くも悪くも“区切り”はできることだろう・・・。

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 DDRのDP(ダブルプレイ:8パネルモード)における足18は、合計21譜面が存在する。どれも特徴のある超難関曲であり、クリアするためには、地力はもちろん曲に合わせた練習も必要となる。まさにDDRの最高峰と言える難易度であり、SP(シングルプレイ:4パネルモード)の足18・足19とは比べものにならない。あのSP足19:「Valkyrie dimension」【2011/5/30】でさえ、DPの大ボス曲と比べれば、軽いジャブに過ぎないのだ。
 ・・・そんなDP足18を、俺はこれまでに13個クリアすることができたのである。これはもう、本当に努力のたまものとしか言いようが無い。今から3ヶ月ほど前まで、(;^o^)「DP足18とか無理ゲーだろwwww1つもできねえwwww」と泣き言をほざいていた人間がここまで来れるのだから、人類の進化には凄まじいものがある。その能力を何か他のことに活かせなかったのだろうか・・・。

 ところで、そもそも「足18」とは何のことかと言うと、DDRでは譜面の難易度が“1〜20”までの20段階で付けられており、それが足形のようなマークで記されていたため、ファンの間で難易度を「足○○」と呼ぶようになったのだ。初期は10段階であったが、第11作:「DDR X」の際に20段階へと変更され、現在ではSP・DPともに足19までが登場している。ということは、更にシリーズが進むうちに足20も出てくるということになるが、このままだと世界で1人しかクリアできないとかマジでそういうレベルになりかねないため、とりあえずしばらくは足19を最高として展開していってほしいものである・・・。
 ――さで、俺は既にSPでは足19を含む全譜面をクリアしており(X3新曲を除く)、現在の主軸は完全にDPのほうとなっている。が、DPは基本的にSPよりも難しいため、現在は足19の一つ手前である足18で止まっている・・・ということだ。そんなこんなで、ここで一度、俺が今までにクリアした「DP足18」を、いったん整理して説明してみることにしよう!

DP足18:現在のクリア状況
(並びはX3ゲージでの個人的な難易度順となっておりますので参考程度にどうぞ)
・クリア済み
曲名 譜面難度 コメント
CHALLENGE 足18(笑)
Go For The Top CHALLENGE 初見&予習なしでクリアできた唯一の足18です
Trigger CHALLENGE 最初と最後の殺傷力は足18クラスですが、こいつもかなり弱いでしょう
Anti-Matter CHALLENGE SPが既にムズかったのでコイツも特に問題なし
Valkyrie dimension EXPERT 最後さえ無ければ17でいいんですが…
Fascination MAXX CHALLENGE EXPERTが少し固くなっただけ
PARANOiA Revolution EXPERT この程度の振り回しで苦しんでるようじゃ…
Pluto The First EXPERT 踏み続けたらだんだん楽しくなってきた
Pluto The First CHALLENGE ぶっちゃけEXPERTと難易度変わらんでしょ?
New Decade CHALLENGE 少し魔改造した鬼田川地団駄です。脱がなくてもクリアできました
TRIP MACHINE EVOLUTION CHALLENGE 個人的には真ん中よりも最後がキツい
POSSESSION (!?) EXPERT 公式「足17です(キリッ)」
Pluto Relinquish EXPERT とにかく最後に耐えられるか否か
Healing-D-Vision CHALLENGE 遠心力
・未クリア
ΔMAX CHALLENGE 速い
DEAD END-GROOVE RADER Special- CHALLENGE 悪いけど糞譜面だよコレ
MAX300 (X-Special) CHALLENGE 振り回しその@。基本的には最後一発勝負なのだが…
MAXX UNLIMITED (X-Special) CHALLENGE 振り回しそのA。こっちもあと一息なんだけどねぇ…
888 CHALLENGE 体力。そして速い!
Pluto Relinquish CHALLENGE EXPERTよりも振り回しが増えて難しい。クリア難易度はそこまででもない?
PARANOiA -HADES- CHALLENGE 難配置&体力&振り回し&超発狂129連打
Tohoku EVOLVED CHALLENGE なんでや…
・参考:足19
Valkyrie dimension CHALLENGE 足19(笑)
POSSESSION CHALLENGE 全ての譜面が過去になった
PARANOiA Revolution CHALLENGE タコ専用譜面


 ・・・とまあ、こんな感じで。足18も一枚岩ではなく、その難易度にはかなりの幅が存在するのだ。
 ちなみに、いま挑んでいるのは、「未クリア」の一番上に存在する「Δ(デルタ)MAX」という曲である(譜面:【ニコニコ】/【Youtube】。この曲、BPM100から始まって、1拍ごとにBPMが1ずつ加速していき、最終的には573にまで達するというギミックを持っている。そして俺は速い曲が大の苦手であり、そもそもこの曲は純粋な譜面難易度も相当高いため、難しい&速いという二重苦で息も絶え絶えになってしまうのだ。
 ――それでも、1回だけ気合でラスト付近までゲージを残せたことがあったのだが、最後のBPM550からの4分連打で撃沈してしまった。やれ、8分基準で考えてみればBPM275に過ぎないので、俺の実力なら踏めないわけが無いのであるが、もうとにかくラストの速さはマジで残像が見えるレベルであるため、譜面を認識してからの体重移動が全く間に合わないのだ。あと3秒でクリアできるというのに・・・。

 というわけで、数多くの難関曲が登場するDDRでも、残るは11譜面となったが、当然ここからが難しいのである。足18最上位クラスでも既に十分わけの分からない物質であり、その上には全ての常識を覆す足19まで控えている。もう残っているのは全て苦手な曲で、どれを選んでも滅茶苦茶な高難易度が待っている。これから先は、これまでの何倍もの体力・気力を要するような戦いが展開されるのだ。
 ――まったく。俺はゲームが下手な方だとは思っていないし、DDRに向けたゲーム本体と体力的な練習もそれなりに積んできたつもりだ。しかし、世の中には最高難易度の「PARANOiA Revolution」をクリアできる神が10柱も居るらしく、俺はそれよりも遙か下の領域で苦しんでいる。もう、これでは自信が無くなってくるではないか。どうして音ゲーってのはこんなに難しいんだ・・・。

登録タグ/ DDR

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 ここ数年、インターネットが流行した影響で、「テレビを見ない」と宣言する人が増えた。が、個人的には、この発言は駆け出しのにわかニートあたりが行っているように思えるのである。
 ・・・というのも、俺のように半ニート生活を経験すれば分かるのであるが、実際問題暇人で一番難しいのは、「時間を潰す」ということである。まあ、起床時間は適当に12時くらいとして、朝ご飯を食べて速攻で昼寝をしたしてもまだ4時くらいであり、そこから寝るまでに12時間ほどは時間を潰さなくてはならない。やれ、ニートの生活は楽しいようにように思えるかもしれないが、実際には何の変化も無く、酷くつまらないものなのである。
 ――だからこそ、ニートたちにとっては、生活にメリハリを付けてくれる「娯楽」というものが何よりも重要なのである。それは、人によっては「オンラインゲーム」であったり「インターネットへの書き込み」だったりするかもしれないが、「テレビ」というものも、それらに匹敵するくらいに時間を潰す手段として有用な娯楽である。だからこそ、「テレビを見ない」と宣言しているのは、むしろ時間に制約のあるにわか層だと思ってしまうのだ。・・・まったく、ネット上では「テレビ」「ゲーム」「インターネット」などを比較し、いろいろな理由を付けて「テレビよりもインターネットのほうが優れている」と何かを過剰に非難する言説が多く見られるが、こういうものは「紙と電子書籍」の関係と同じで、それぞれの良いところを取り合わせればいいだけの話なのである。「何かを使えばその他は全て廃さなければならない」ということは、現実的に有り得ないのだ。

 さて、俺自身に関して言えば、かつては一応毎日の予定があったことや、PS3のゲームが充実していたことから、テレビでは「遊戯王」と「サッカーの試合」くらいしか見ないという時代も存在した。が、この春に「torne(トルネ)という“PS3でテレビの録画ができる機械”を購入して以来、様々な番組を録画して視聴するようになり、今では立派なテレビっ子と言えるまでに成長したのである。
 ・・・が、これによって、俺には新たな問題が発生してしまうことになった。というのも、録画したテレビ番組を消費しきれないのである。やれ、テレビ番組というものは、新作ゲームと同じで「ライブ感」というものが重要であり、ゲームが発売日を外すと買わなくなってしまうのと同じで、テレビ番組も機会を逃せば全く見ようとは思えなくなってしまうのである。
 ――例えば、俺はNHKで日曜午後7時半からやっている「ダーウィンが来た!」という動物番組が好きで、ある時期からtorneで録画することにしたのであるが、この番組は1話完結でいつ見ても良いゆえに大量に溜まってしまい、消化するのにかなりの労力を要した。さらに、最近ではテレビ朝日系列でやっている「相棒」という推理物ドラマを見るようになったのであるが、これが長年続いている人気シリーズであり、毎週水曜21時のレギュラーシーズンの他、平日午後4時というニート専用時間でも「相棒セレクション」と題して過去のシリーズ作品を放送している。が、俺は何を血迷ったか、最新話だけでなく毎日の再放送も録画し始めたため、毎日1時間も録画番組が溜まるようになってしまったのである。一応、現在は毎日消化できているが、これが溜まり始めるとおぞましいことになるというのは想像に難しくない。しかも、先週土曜には「相棒祭り!まるごと4時間」なる番組を録画してしまい、もうマジでどうしようか非常に苦しんでいるところなのである。やっと本日、「金曜ロードショー」で録画した劇場版エヴァンゲリオンを消費できたと言うのに・・・。

 とまあ、そんな感じで。「テレビ番組の録画」はリアルタイム放送の完全上位というわけではなく、むしろ溜まった番組を消費しきれない危険な賭けとなってしまうことが分かった。だがそれでも、「テレビ番組をいつでも視聴できる」という点は魅力的である。やれ、インターネットにも職人は居るものだが、それと同じでテレビ業界にも職人は存在するものである。そのどちらかを一方的に避けるのは、非常に勿体無いことなのだ。
 ・・・と言っても、いきなり「テレビを見ろ」と誰かに勧められたところで、「見る番組が無い」と嘆いてしまうというものは非常によく分かる。実際、テレビではいわゆる“つまらない番組”というものもかなり放送しており、適当に視聴すると逆に「テレビ」という文化自体が嫌いになってしまいかねない。そこで、仮に俺が好んでいる番組を挙げるとすると、まずは前から視聴していたアニメ:「遊戯王」シリーズは、現在放送している「遊戯王ゼアル」(日曜5時30分〜)は、ちょっと現状の出来は残念という感じであるが、それでも遊戯王シリーズとして俺は視聴をしている。また、少し前まで朝ドラ枠で放送していた「梅ちゃん先生」は、初期は(;^o^)「何じゃこりゃ!」という感じであったが、その後に毎日やり続ける作品として見ていくうちに、ジャンル:「朝ドラ」として定着し、今では“思い出の一作”と言えるほどまで印象に残ったものだった。また、土曜夜に放送している「サタデースポーツ」は、その日のサッカーJ1のハイライトが数多く放映されており、毎週土曜はいかに情報を断ってこの番組を楽しめるかということが大きなテーマとなっている。その他、上で説明した「ダーウィンが来た!」「相棒」なども好きな番組であるし、NHK:「ニュース7」も、平日に出演するアナウンサーの名前をもじった「たけたんタイム」として親しんでおり、録画番組の一員に名を連ねているほどだ。
 ――とまあ、ここまで俺が特に好きで見ている番組を挙げてきたが、その他にも「アニメ」「ドキュメンタリー」「ドラマ」「スポーツ」「動物」「娯楽」などで魅力的な作品は多く、録画なしでも視聴すべき番組は数多く存在する。やれ、これらを全て“テレビはつまらない”というレッテルで切り捨ててしまうなどということは、まったくもって勿体無いというものである。

 と、いうわけで。皆さまの中にも「テレビは見ない」としてテレビ文化を頭ごなしに否定している方もいると思うが、冷静になって考えてみれば、テレビでは毎日新しい映像コンテンツが職人によって配信されており、非常に魅力的な娯楽となっている。その中には“つまらない番組”というものも存在するのだが、そうやって嫌いな物ばかりを挙げて非難するのではなく、あくまでも“面白い番組”を楽しみたいものである。
 ・・・やれ、「テレビ」という文化は10年くらい前までの“国民総出の大ブーム”というものからは程遠くなってしまった感があるが、そもそも俺は「全盛期から少し衰退した文化」というものが、いちばん脂が乗って味わい甲斐があるものだと思っている。そういうものを、「テレビを見ない」と一方的に批判するのは、あまりにも惜しすぎる。あくまでも、様々な文化の良いところを取り上げながら、毎日を楽しんでいきたいものではないか。

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 「遊戯王ゼアル」は、いま現在放送されている、“遊戯王シリーズ”の第4作である。が、昨日の日記にもチラっと書いた通り、俺にはイマイチ「ゼアル」が面白いとは思えないのである。
 ・・・やれ、何が面白くないのかと言ってみると、まずは話があまりパッとせず、さらにデュエル(作中におけるカードバトルのこと)もワンパターンで退屈ということで、まさにイマイチ燃えないという言葉が適任であろう。見るのに苦痛を伴うほどつまらないわけというわけでは無いのだが、かといって魅力的な要素が有るでもない。もはや、その視聴は完全に惰性となっているのだ。
 ――まったく、俺は幼い頃から遊戯王シリーズに親しんできた人間であり、第3作:「5D's」からはリアルタイムでアニメを視聴をするようになった。去年3月には、その「5D's」を大満足で見終わり【2011/3/30】、勢いに乗って「ゼアル」も視聴し始めたのであるが・・・その結果が、現在のウンザリするような気持ちである。これはもう、打ち切りにして良いんじゃないですかね・・・。

 さて、これだけだとアニメを見ていない人には何が面白くないのか全く分からないと思うので、俺がゼアルで特に「駄目だこりゃ」と思ったエピソードを、具体的にいくつか挙げてみることにしよう。
 ・・・まず、俺が過去最高クラスにガッカリしてしまったのが、今年5月に放映された「カイト vs V(ブイ)戦である。この戦いは、いわゆる“大会編”の決勝トーナメントで行われた試合であり、敵側の幹部キャラクターである「V」が初めて本格的なデュエルをするということで、放送前は大変楽しみにしていたものであった。が、その「V」はたった1体のモンスター(&その召喚素材)と数枚の魔法・罠しか使用せず、さらに味方キャラクターを侮ったことが原因となって既存モンスターにトドメを刺されるというあまりにも酷い負け方をし、物語から退場するに至ってしまった。・・・やれ、宇宙をモチーフとしたド派手な演出や、一人称が「私」である青年キャラクターが俺の好みど真ん中であったため、「5D's」の「ルドガー」「ホセ」並みにインパクトのある人物を想像していたのだが、その期待は完全に裏切られてしまったのである。
 ――また、大会編のラストでは、物語のラスボスと言える「トロン」「Dr.フェイカー」との対戦があったのだが、その放送からまだ2ヶ月ほどしか経っていないにも関わらず、俺はそのデュエルが悪いイメージ以外で全く記憶に残っていないのである。どちらもダラダラと長くてつまらないデュエルが続き、「敵陣営の戦う目的」なども「だから何?」と言いたくなるようなショボいものであった。やれ、「ラスボス」という物語上の最も重要なポイントがここまで印象に残っていないというのは、つまるところその物語がつまらないのだと言わざるを得ないであろう。
 さらに言えば、遊戯王のアニメというものは実在するカードゲームとの連携を前提としており、「アニメで登場したカードが現実でも使える」ということが大きな魅力の一つとなっている。が、上に挙げた時期くらいからは、ゴチャゴチャとした効果のモンスターがやたらと増え、実際のカードゲームで使いたいとは全く思えなくなってしまった。あまりにも弱すぎて使い道の無い「CNo.32 海咬龍シャーク・ドレイク・バイス」などは、その代表格と言えるだろう。もっとも、「H-C エクスカリバー」「ガガガガンマン」などの強力モンスターも引き続き登場しているため、まだカードゲームのスタッフは頑張っているほうだと言えるのであるが・・・。

 とまあ、現在の「ゼアル」はそんな悲惨な状況となっているのであるが、しかし初期から全くつまらないというわけではなかったのである。
 ・・・例えば第1話では、いわゆる“ネットのネタ”といった下衆じみたものとは違って、「出た!シャークさんのマジックコンボだ!!」という良い意味でのネタゼリフが登場しているし、10話でシャークが遊馬相手に完全勝利を飾ったシーンは実に驚きであった。「No.61 ヴォルカザウルス」が出てきた時にはどうやってコイツを倒すのか、またこのモンスターがリアルカードとして登場した際にはどういうデッキで活かせるかなどと興味が尽きず、その後の「遊馬 vs ジン」戦でも「No.16 色の支配者 ショック・ルーラー」「No.11 ビッグ・アイ」「CNo.39 希望皇ホープレイ」というインパクトあるモンスターたちが一挙に登場するなど非常に見応えがあり、「シャーク vs カイト」のライバル対決などは1話で終わらせるのが勿体無いくらいであった。そして、こういったアニメの展開は、実際のカードゲームにも必ず良い影響を与えていたはずである。
 ――それが今では、敵側が魅力に欠けたモンスターを出現させ、こっちはこっちで既存のエースを使って殴り倒すだけのワンパターン展開となってしまった。こだわっている点と言えば女の子のムッチリした太ももくらいであるが、あまりにもしつこく押し出されるため、既に飽きるを通り越して鬱陶しいと思っている。その他、「ずっとオイラのターン」「事実上の決勝戦」などとネットに媚びたセリフを用いることは、もはや論外であろう。

 ちなみに、現在の「ゼアル」では、そんな大会編は終了し、1話完結を中心とした新たなシナリオが展開されている。これもまた、今まで以上に露骨な萌え狙いと安直な受けのために作られたことが目に見えており、いい加減ウンザリするというものなのであるが、それでも1話完結ということでテンポ自体は悪くないため、全く興味の無いダラダラとした話を2〜3週に渡って延々と見せつけられた大会編よりはマシになったと言えるかもしれない。しかし、敵側の幹部キャラクターが新シナリオ開始直後で既にギャグキャラと化しているようなこともあり、今後の展開にはまるで期待を持つことができない状況である。
 ――やれ、遊戯王シリーズ最新作の「ゼアル」は、「5D's」のように次の展開が気になってワクワクしながら放送日を迎えるという感じではなく、「録画予約に載っているから見る」「やめるだけの理由が無いから見る」「気がついたら放送日になっていたから見る」という、正真正銘の「惰性で見る作品」になってしまった。もし、俺が遊戯王シリーズに何の愛着の無い人間であったら、「ゼアル」などとっくの昔に視聴をやめてしまっていたことであろう。しかし、俺は「遊戯王」が大好きであり、こういうものは人生で幾つも見つけることはできないのだと思っている。それだけに、今からでも遅くないから“バリアン世界”の四天王たちを真っ当な敵キャラクターとして描写し、毎回驚きと魅力に溢れた物語やデュエルを展開していってほしいのである。もし、それができないのであれば・・・「ゼアル」など、さっさと打ち切りにしてしまえ。

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 今の若者たちにオンライン化されているのは、辞書やエ○画像だけではない。最近では、思い出のアルバムさえもオンラインで共有するようになったのである。
 ――というのも、既に10年ほど前からカメラはデジタルが主流となり、多くの写真がデーター形式で記録されるようになったことは、皆さまご存じであろう。それに加えて、最近では「SkyDrive」「Picasa」などの“オンラインストレージ”を使えば、パスワードを知っている者同士で写真を共有することができるようになった。最近の、やたらとカメラが高性能な携帯電話の普及も、その傾向を完全に後押ししている。・・・そうして現在では、写真を「撮る」「見る」だけでなく、「共有する」という新しい楽しみが生まれているのである。これは、世間では地味な扱いであるが、俺には「写真」という文明の大きな進化であるように思えるのだ。

 というわけで。本日、ちょっとした機会があって、大学時代に所属していたサークルの「アルバム」を見てしまったのである・・・。
 まったく、俺が「見てしまった」と表記した理由は、それこそ自明というものであろう。その写真の中では、懐かしいメンバーの皆が皆、さんさんと輝く笑顔を浮かべて映っているおり、見ていると目が潰れそうになってくるのである。あまりにも良い笑顔すぎて殺されそうになってきたので、仕方が無くこちらも「888」【ニコニコ】/【Youtube】あたりの邪悪なBGMを流して対抗することにした。関係無いけれど、ここ数日でΔMAX・ペンタエンド・888を無事クリアできたので、DP足18も残り5つとなりました。しかし、ゲーセンで右へ左へキタキタおやじのような体勢で走り回ったところで、いったい何が残ると言うのだろうか・・・。
 ――やれ。普通ならば、そういう写真を見て(;^o^)「ああ自分も昔はリア充だったんだなあ・・・」など過去を懐かしむところであるが、冷静になって考えてみると、それは写真に写っている人たちがリア充だというだけであって、別に俺が何かリア充に近づけたとかそういうことでは全く無いのである。まあ、今となっては過去の話であるし、そもそも俺の能力ではどうしようもなかったため、仕方無いというものなのであるが、しかしそういった「思い出」は、今の俺には深く突き刺さるものである・・・。

 そんなわけで、「アルバム」という文化はデジタル化されて共有されるようになったのだが、あまりにも手軽に投稿と閲覧ができるようになった結果、場合によっては人を傷付ける凶器と化してしまうことも分かった。とりわけ、書籍という形ではなく、いつも使っているPC画面にそういった“割り切ることのできない「思い出」”が表示された場合の戸惑いは、なかなか筆舌に尽くしがたい感じである。しかし、そもそも俺が今まともな状態でないのは俺自身のせいであるため、写真には何の罪も無いというものである。まあ、過去は過去だと踏ん切りが付けられるように、これからの未来に良いことがあってほしいというものではないか・・・。
 ――ところで、インターネット上のアルバムには無い、「紙のアルバム」のみの利点というものも存在する。それは「寄せ書き」である。卒業アルバムの最終ページには、必ず真っ白な見開きが用意されているが、これはクラスメートなどから様々なコメントを書いてもらうためのページなのだ。それは、オンラインと違って離れてしまえばもう書けなくなること、自分だけの思い出となること、書籍という特別な空間に保存されることなどで、ネット上のアルバムとは一線を画している。「寄せ書き」は、印刷されたアルバムを自分だけの物にする、大切な作業なのだ。そこで、ふと俺の高校時代のアルバムをめくってみた結果・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・。



パターン@:真っ白だった

(ありがち)


パターンA:男しか居ない
(これもありがち)


パターンB:思い描いていた未来とあまりに違う
(New!!)

 





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 明日は久しぶりに駒場に行くぞ!!

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 今週は踏ん張らなければならないので、少しだけ更新をお休みさせていただきます。
 週の中頃を過ぎたら再開しようと思うので、それまでしばしお待ちください・・・。

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 面接試験も終わって更新再開と思いきや、何故かFF12をプレイしていました・・・。
 ――やれ、試験がちょっとアレな感じだったので意気消沈しているのですが、そろそろ気合を入れ直して頑張っていこうと思います!
 そして、FF12:「たたかう禁止 低レベルクリアー」のプレイ日誌も、来年頭くらいまでには終わらせようと思っています。残っている敵は僅かなので、これは行けるか・・・?

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