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「遊戯王ゼアル」…駄作でした / やり込みinFF

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管理人の日記
これだけはどうしても書きたかった。

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 久しぶりの更新がこのような内容なのは残念だが、これだけはどうしても書いておかなければならない。先日全146話が終了した「遊戯王ゼアル」が、とんでもない駄作だったのである。特に、最終話の締め方がもう言葉にならないほど糞で、さすがの俺でも心の眼→爆裂パンチを喰らわせるレベルだ。遊戯王シリーズ最低であることはもちろんとして、そもそもこんなものをシリーズの一作として認めたくないほどである。
 ・・・さて、「遊戯王ゼアル」は、2011年4月から放送している「遊戯王シリーズ」の第4作であるが、俺は以前にも「イマイチ面白くない」という日記を書いたことがあった【2012/11/21】。その理由は、「デュエル(作中におけるカードバトル)がワンパターンで退屈」「話がパッとしない」というもので、どちらも当時の俺を深く失望させたものだった。
 ――そして、あれから1年半。2部構成の前半後半全てを視聴し終わった現在での俺の感想はと言うと・・・上記の改善されるどころか更に悪化しており、もはや擁護する余地は何一つとして存在しない。もし「ゼアル」が無ければ、『5D's』があと3年見られたか、新作の『アークファイブ』が既に大団円を迎えていたのだ。そう思うと、もはや怒りすら覚えるレベルである。

 では、ここからは具体的に「ゼアル」の何が駄目なのか指摘していきたいと思う。大きな不満点は上に書いた二つなのであるが、もはや「イマイチ」「パッとしない」などという生ぬるい表現では事足りない。ここは、「デュエルが糞」「ストーリーが糞」とハッキリ断言させていただくことにしよう。やれ、そうなると読者の皆さまは(;・∀・)「え゛っ、それって何が残ってるの?」と思われることだろうが、そうだよ何も残ってないよ糞なんだよこのアニメは!!
 ・・・まず、「@デュエルが糞」について。これについては、「相変わらずワンパターンの初手エクシーズ」「高レベルモンスターの召喚条件無視」「更なる効果更なる効果」などなど、どれも「カードゲームとしての面白み」を完全に殺してしまっている。従来の「上手く素材を確保して強力モンスターを召喚する」「敵の切り札をコンボ攻撃で撃破する」などといった面白みなど、まるで存在しないのだ。これに関しては説明しても分かりづらいだろうから、具体的に初代遊戯王の登場人物で例えてみることにしよう。だいたい、「ゼアル」のデュエルはこんな感じである。

「ゼアル」の“デュエル” こんな感じ
遊戯「先行は貰う!俺のターン!手札から@を特殊召喚!Aを特殊召喚!Bも特殊召喚!
    @・A・Bを生け贄にオシリスの天空竜を召喚!!」

杏子「行けー遊戯ー!!」

海馬「俺のターン!魔法カード『C』発動!
    デッキから『青眼の白龍』3体を特殊召喚する!!

    Cの更なる効果!フィールド上のモンスターを融合させ『青眼の究極竜』を特殊召喚!

遊戯「だがオシリスの効果で召喚されたモンスターの攻撃力は2000ポイントダウンする」

海馬「馬鹿め!Cによってオシリスの効果は無効となった!これで攻撃力も0!!
    ワハハハハ!この攻撃で終わりだーーー!!」


杏子「遊戯ー!」


 ・・・。ほんとこれ。「ゼアル」では本当にこのような「ワンパターンな初ターン切り札」「高レベルモンスターの召喚条件無視」「詰め込み効果」が平然と行われてきたのである。普通、強力なカードは使うために厳しい条件が必要であり、その素材をどうやって揃えるかというところに面白みの大きな比重が存在した。それを無視して、手札1枚で大型モンスターを召喚したところで、一体どこにカードゲームアニメとしての面白さが存在するのだろうか。しかも、1回きりではなく、ほぼ全てのデュエルがこんな感じなのだ。もはや、デュエルと呼ぶのも馬鹿らしい“もどき”である。頼む!死んでくれ!!
 ――しかも、内容がつまらないだけでなく、どうでもいい外野を映したり、ダメージモーションをやたら大げさにしたり、モンスターの進化・変身シーンでCGを過剰使用したりと、進行テンポも非常に悪い。繰り返される演出やワンパターンな展開は、「またか・・・」と視聴者を呆れ果てさせてしまう。遊戯王シリーズとしてはもちろん、単体のバトルアニメとしても底辺レベルの出来と言わざるを得ない。

 続いて、「Aストーリーが糞」である。これについても、張り巡らせた伏線がほとんど回収されておらず、打ち切り漫画のような展開で終わってしまっている。例えば、このアニメの大きな目標は「『No.』と呼ばれるカードを100枚集めること」であったが、半分も集まっていない。そのほか、ストーリーの根幹に関わる要素や主人公出自の謎なども解説されないか一言二言触れただけで終了という酷いザマである。
 ・・・とまあ、言いたいことは山ほど存在するのであるが、今回は特に「最終章の結末」という点に絞って説明いくことにしよう。『ゼアル』の最終パートでは、万物の過去・未来を全て書き換えることができる「ヌメロンコード」という物を巡って争いになり、多くの犠牲が生まれてしまった。しかし、その「ヌメロンコード」を使えば、死んでいった敵・味方を全て蘇らせ、この悲惨な戦い自体を無かったことにできる。だが、主人公はその使用を拒否する。理由は「必死に戦ってきた積み重ねが自分たちの未来なのであって、それを否定するようなことをしたくない」、これを言ったのが数週間前のことだ。が、最終回では結局そのコードが使われてしまってキャラクターが全員蘇ってEND。(;^o^)「は?」という声がリアルに漏れてしまった。その使用過程も、例によって「あいつが使ったんだ!」の一言で終わり。アホか。金魚の糞みたいなクソ女の告白シーンとか入れてる暇があったら、そういう物語に関わる部分を描写しろよ。
 ――と、こんな感じで。デュエルだけにとどまらずストーリーも滅茶苦茶に崩壊しており、とても正視に耐えるものではない。俺は、こんなものを「面白い」と言う人とは、決して分かり合えないことだろう・・・。

 と、こんな感じで。『ゼアル』では、遊戯王アニメを支える二大要素が完全に駄目となっており、擁護不能の純然たる糞アニメと化してしまった。強いて良い部分を挙げるとすれば、「作画は良い」「初期は遊戯王らしい面白みがあった」「実際に販売されるカードの出来は頑張っている」くらいのものだが、しかしそれも全て1年半前の時点で分かっていたことであり、逆に悪かった「デュエル内容」「ストーリー展開」という点は、正気を疑うほどの低品質にまで下がってしまった。やれ、3年前に『5D's』が終わった時の感想【2011/3/30】と比べてみても、まず文章の雰囲気でどれくらい評価が違うかということが分かるであろう。
 ・・・さて、そんな最低駄作の『ゼアル』も終了し、4月からは『アークファイブ』という新作がスタートする。現時点では、監督が『5D's』の人になることなど明るいニュースが多く、俺は期待をしているのだが・・・もし次もこんな酷い作品だったら、どうなるかは想像に難しくない。何も言わず、静かに視聴を止める。それだけである。
 ――やれ。俺は、幼い頃に出会ってずっと親しんできた「遊戯王」というものを、自分にとって一生物の作品になると思っていた。だがその信頼は『ゼアル』によって大きく傷つけられてしまった。もう二度と、こんな悲しい思いはしたくない。次の『アークファイブ』こそ、遊戯王の原点に立ち返り、ワクワクと楽しめるような作品になっていて欲しい。それが俺の望みである。

(2014年3月25日) 51 PV

登録タグ/ 遊戯王アニメ
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