管理人の日記 - 2018年2月の記事 / やり込み in FF

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いつまでFFが特別な存在だと思っているのか?


 先日夜、FFファンを絶望させるニュースが界隈を飛び交った。あの、
2015年6月に、米E3でPS4リメイクが制作されると発表された「ファイナルファンタジー7」の開発状況について、スタッフから「開発体制が整った、順調」という発言が為されたのだ…。
 ………。いや、うん。
説明いります? まず背景として、FFシリーズは、2016年11月に「ファイナルファンタジー15」という最低の駄作を発売してしまった【2016/12/27】。その原因としてよく挙げられるのが、「開発の長期化によるグダグダ」「社内政治による翻弄」「ディレクターの『野村“氏”』から『田畑』への変更」であり、後継作のFF7リメイクやまだ見ぬFF16では、それらの点が改善されることが当然として望まれていた。
 ――やれ、日本の大作ゲームは、ご存じの通り、PS3で冬の時代を迎えた。それが、PS4世代になって、
「メタルギアソリッドV:ザ・ファントムペイン」「ドラゴンクエスト11」「モンスターハンターワールド」など、品質と売上の両面で評価される作品が次々と出現し、ゲーム業界全体が「PS2時代の再来」と言われるほどに元気になってきた。それなのに、FFシリーズから出たのは、悪い意味での大学サークルレベルのスタッフ一味が、「ファイナルファンタジー・ヴェルサス13」の世界観とキャラクターを遊び道具にし、歴代シリーズのファンと製作者を病気と罵っておいて、発売1年以上が経ってもまだ未完成という、まさしく史上最悪のクソゲーとしか表現しようのない作品である。情けないことこの上ない。そんな駄作のことは綺麗さっぱり忘れて、FFに再び世界最高のRPGに戻ってきて欲しい。それが、シリーズファンである私の願いだったのだ。

 しかしながら。そんな期待も、「7リメイク」について、2015年6月の発表から2年以上が経ってもまともな情報が流れてこないという状態で、少しずつだが着実に、雲行きが怪しくなってきていた。そんな中の、昨日の「開発体制が整った、順調」発言である。これは、
「『発表から2年半を掛けて、やっと開発の体制が整ったこと』は、計画通りであり、順調である」ということを意味している。それ以外に解釈の方法があるのなら教えてほしい。このたった1行の文が、7リメイクに積極的から消極的まで様々な期待を寄せていたFFファンの多くを、一瞬でシ骸化へと追いやったのである。
 …説明をすると。一応の前作である「15」が失敗した一つの原因として、上記の通り「開発の長期化によるグダグダ」が挙げられる。初めて情報が公開されてから発売までに、実に
10年以上もの時間が掛かってしまった。それでいて、システムは支離滅裂・グラフィックはPS3.5レベル・シナリオも深い意味は無いという擁護不能の駄作しか出てこないのだから、「作り込んだため遅くなった」のではなく、「開発が長期化してどうにもならなくなり、仕方なく発売にこぎつけた」と表現するのが実際の所なのだろう。だからこそ、7リメイクには、そのような失敗に陥らず、短期集中型で開発をしてほしかったのだ。
 ――ところが、現実に出てきた発言は、「2年半でやっと開発体制が整ったことは順調」というものである。これでは、
完全に15と同じ失敗ルートを歩んでいるのである。スタッフからは、「シリーズの35周年(=約5年後)までには出したい」という趣旨の“冗談”も飛び出たらしいが、冗談じゃないぞ。2年半掛けて開発体制が整ったことが「順調」ならば、そこから完成品が出来上がるまでに、5年で済まない恐れすらある。しかも、FF7リメイクは分作形式ということが既に発表されており、ネットなどでは3部作になるのではないかと言われているが、下手をすると「3部作の第1作」を出すことが5年以内という意味なのかもしれない。3枚組のゲームのDISC1を発売するのでさえ、今から5年先が目標であると言っているのだ。正気か??

 やれ。私は今まで、
「元々面白かったFFシリーズが、社内政治に翻弄され、悪のディレクターである『田畑』に乗っ取られたことで駄作になってしまった」「だから、田畑さえ追い出せば、FFは再び面白くなるはずだ」というシナリオを、心の底から信じきっていた。だが、それは誤りで、実際には「田畑」であろうと「野村」であろうと、開発のグダグダ化は避けられなかったのだ。恐らく、『10』『12』『13』あたりの、システム全盛期を作りあげてきたスタッフは、そのほぼ全てが去ってしまい、もうまともなゲームを作れる状態に無いのではないだろうか?
 …ちなみに、昔話をすると、私は初めて7リメイクの発表が為された際の日記
【2015/6/17で、「祝」と題して非常に好意的な感想を寄せたのちに、その発売日について、当時未発売の15については「2015年末〜2016年初頭」、7リメイクについては「FF7が20週年となる2017年1月31日ごろ」と予想をしていた。それが、まさか2018年になっても「開発体制が整った」だけとは、まったくもって思いもよらなかったのである。別に、私の予想自体は、おかしなものではない。なにせ、「ドラゴンクエスト11」も発表から2年、「モンスターハンターワールド」に至っては、半年強で発売が為されたのだから。しかも、あの情報公開時に加えて、同じく開発が長期化した15が悲惨な出来であるという新たな悪材料まで加わってしまった。そして、もう野村がどうだの田畑がどうだのという理論で、7リメイクの擁護をすることもできないだろう。
 ――そんなわけで。FFシリーズを取り巻く空気は、もはや
絶望的としか言いようの無いものとなってしまった。15は完全なる駄作だったが、間違いなく7リメイクも同じ道を辿ることであろう。しかも、「たかがリメイクの」「3部作の」「1作目」ごときでこのザマであり、正統続編の『16』については未だ情報すら存在しない。この状況を見て、まだあなたは「大作だからしっかり作り込んでほしい」とか「FFシリーズのブランドを信頼する」などとロマンチストな妄想を寄せられるだろうか。私にはできない。早く作って早く出せ。いつまでFFが特別なゲームだと思っているつもりだ。

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下の世代が潰れて死ぬまで、この悪習を続けますか?


 日本人は「勤勉」な民族とされている。これはまったく正しいことだろう。本日は、この
悪習をどうすれば取り除けるかについて考えてみよう。
 …まず、一般に、日本人の勤勉さは、「美徳」とされることが多い。例えば、政府・非政府の両面で、
「海外で活動をする日本人は、仕事熱心で尊敬されている」と言った類の言説はよく聞くものだ。だが、この手の「外人を使って日本人を上げる」というパターンは、わざわざ指摘するまでもなく、もはや完全に陳腐化してしまっており、私から言わせれば詐欺師の言動そのものである。そもそも、民族性などというものは、本質的に利点と欠点の両方を孕んでおり、慎重に取り扱っていかなければならない。そのことは、「民族主義ナショナリズム」という言葉から受ける印象を考えれば、一目瞭然であろう。
 ――さて、「日本人が勤勉である」という民族性の悪い面に関しては、
いま働いている皆さまが感じられている通りである。私はかつて、日本を素晴らしい国だと思っていた。確かに日本には、目を背けたくなるような差別や暴力は無く、自由な言論が認められており、社会基盤も整えられていて、経済的にも豊かである。ところが、その「平和」「豊かさ」と言った価値は、労働者の奴隷的貢献によってしか支えられていない。そのこと気付いて、私の中での評価は一変し、国家に対する信頼は底辺にまで失墜した。この国では、「個人としての幸せ」「余暇時間」などは全て二の次であり、「労働」こそが至高の理念と考えられている。搾取をして楽をするものなど誰も居らず、一般労働者から管理職まで全員が馬車馬のように働いている。進化した技術も、その全てが労働のために費やされる。まさしく、「奴隷の奴隷による奴隷のための国家」であり、「奴隷国家」と称するのが相応しい。

 そんなわけで。「高齢化」によって崩壊が始まった日本社会において、この労働環境の改善は急務であり、国会でも
「働き方改革」と題し、年明けから盛んな議論が行われている。しかし、私に言わせれば、そんなものは暇潰しの議論にしかなっておらず、皆さまも全く期待していないという方が大半であろう。恐らく、本当に皆の望む「改革」が行われる可能性など、クソゲーがアップデートで神ゲーになるくらいの確率しかあるまい。
 …これに関しては、
「プレミアムフライデー」と言ってしまえば十分であろう。当時、私もまだ普通に働いていたものだったが、実際に起こったことは、会話にその単語が出て、笑いものにされて、それで終わりであった。そもそも、この国の労働問題の背景に根ざしているのは、「仕事が多すぎること」「加えて、それに対する人員や予算が全く足りていないこと」であり、小手先で歪みを整えたように見せたところで、また別の場所に歪みが発生するだけである。もし、「働き方改革など不可能である」とアピールするために、このお触れを発したのならば、あまりにも悪趣味すぎるというものだ。
 ――だから、私が思うに、もし本当に政府が「働き方改革」をするつもりがあるのなら、
まずは通常国会を会期通りの150日で終えて、その後の延長も臨時国会・特別国会の招集も一切行わないようにするべきだ。当然、そうすると政治が遅れ、法律が成立しなくなり、関連する官公庁や企業の仕事もできなくなってしまうだろうが、それで良いのだ。決められた通常の時間で仕事が終わらないのならば、人や予算を増やすか、はたまた事業規模のほうを適正な範囲に縮小するしかあるまい。だから、それによって例えば国家の安全が脅かされたり、経済的豊かさが失われたりしても、仕方が無いことなのである。そして国会を皮切りに、官・民を問わず、全ての業界がこうするべきだ。労働者の奴隷的貢献によってしか成り立たない「豊かさ」など、何の豊かさでもなく、そういったものが回り回ってこの国を「貧しく」しているのだ。本当に「働き方改革」をしたいのならば、国会から定時上がりを実践してみろ。それができないのであれば、この議論も、「プレミアムフライデー」と同じく、謎空間に吸い込まれて終わるだけである。

 さらに。この国においては、
優れた人材に対して過酷な奴隷的労働を押し付け、その人物に対価も与えず使い潰すことが常態化している。要は、「仕事をするほど仕事が増える」ということであり、これは国家への貢献や労働意欲に関わる、極めて重大な問題である。やれ、私が育った時代は、「学歴」「年収」「恋愛経験の有無」などによって、「勝ち組」「負け組」などと人生の満足度を他人が勝手に判定するという恐ろしい習慣が存在したものだが、むしろ私に言わせれば、そこで「勝ち組」とされる者ほど、高い社会的責任によって苦しめられているようにすら感じるのである。
 …例えば、最近よく過酷な労働が取り沙汰される「教職員」「医師」は、人と関わる仕事であり、技術面はもちろんとして、精神面でも高いものが要求される。では、私たちは彼らへの十分な対価を与えていると言えるだろうか。
その答えは、彼らから聞こえる苦しみの声に耳を傾ければ十分であろう。例えば医師は、給料が極めて高いことで知られているが、彼らの就業するまでの努力に業務内容と必要技術を考えれば当然であり、むしろお金などもっと配ってやるべきである。「やりがい」とか「社会貢献」などといった詐欺師の言葉は、何の問題の解決にもならず、むしろ彼らをより苦しめる結果になるだけだ。
 ――さらに。私も、かつては上に挙げたものとは異なる職場で働いており、そこは「国民から誇りに思われている」などとよく言われる業界であった。だが、それが実際に働くうえでの意欲になっていたかというと、
答えはNOであり、実態のない不快な持ち上げにしか感じていなかった。なるほど、もし本当に「誇り」に思っているのであれば、例えば長い研修期間を終えて労働意欲に燃えていた者をたった2ヶ月で精神病に追い込んで退職させたり、結婚を間近にしてこれからの社会を支えていく者に何ヶ月も休みを与えず実家の両親に報告すらさせないといった恐ろしい労働環境を見て、何かがおかしいと感じるはずである。自分が「誇り」に思っている人間が、これほど厳しい労働を強いられているというのに、なぜ何の怒りの声も上げないのだ。「知らないから仕方ないだろう」と言い訳するかもしれないが、その程度も知らないくせに「誇り」などと言って持ち上げていたのか。だから、その“国民”が言う「誇りに思っている」など、思っているだけであり、その実態は道具として使い潰すうえでの都合の良い表現にしかなっていない。やれ、私はかつて、「人は戦場でも笑える(笑)などと子供じみた妄言を吐いたことがあったが、あえてその表現に乗るのならば、この国の労働環境は戦場よりも酷いということだ。法律も、従業員も守らないくせに、いったい何を守るというのだ?

 そんなわけで、この日本の将来を覆う空気は、もはや絶望的なものとなっている。日本社会は、あの人口比のグラフにように、どんどんと下が細くなっていき、やがて
下の者が支えきれなくなって、潰れることだろう。もう、どこかの段階で諦めて国を縮小するしか無いのである。
 …ちなみに、こういうことを言う私は、ひょっとすると「反社会的」と捉えられるかもしれない。実際のところ、私は今でも命を懸けてでもやるべき仕事はあると思っている。だが、
違法労働で生きがいを奪い、人を絶望に追い込むような犯罪組織のために懸ける命など、有るわけがない。それを国家が主導しているのならば、当然そこが黒幕であり、そんな悪党のために「死ぬ価値」「生きる価値」も無いというものである。
 ――というわけで。繰り返しになるが、少子高齢化によって、この国の維持が不可能となったことはもはや明白である。それを解決するために必要なことは、違法労働をエスカレートさせることではなく、国の規模を適正なものにまで落とすことである。平成の次の時代の子供たちに、奴隷国家の重荷を背負わせることがあってはならない。社会に貢献なんてしなくて良い。日本人の精神なんて継がなくて良い。身の丈にあった豊かさで、楽しく生きてくれ。

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スマホ版でやりました。実に良かった


 
「逆転裁判」は、カプコンから発売されている推理ゲームのシリーズである。内容は、文字通り「裁判」をテーマとし、主人公の弁護士を操作して被告人を無罪へと導く、というアドベンチャーゲーム(文字を読むゲーム)であり、公式ジャンルは「法廷バトル」とされている。その、「証言」「尋問」し、矛盾点に「証拠品」を突きつけて謎を解いていくというシステムは、後の推理ゲームの多くが類似のシステムを採用するほどの完成度を誇っている。その他、この手のゲームの最重要ポイントである「ストーリー性」はもちろんとして、「演出」「キャラクター」「推理難易度」など、全ての要素がバランス良く出来ており、遊びやすいうえに奥深くなっている。まさしく、「逆転裁判」は、推理ゲーの定番と言える作品だった…。
 …やれ。ここで「だった」と過去形で書いたのは、もちろん
あの『4』の存在があるからである。逆転裁判は、2002年にGBA(ゲームボーイアドバンス)で初作の『1』が発売され、その後に『2』『3』と1年間隔で続編が登場し、その人気を不動のものにしていった。ところが、そこからしばらく空けて、2007年にNDS(初代ニンテンドーDS)で発売された『4』が、とんでもない失敗作であり、しかもあろうことか当時絶頂期だったDSブームが合わさって50万本以上を売り上げてしまい、演出の都合上この作品を無かったことにもできず、シリーズは完全に迷宮入りをしてしまったのである。
 ――まったく。『4』がどれくらい酷い作品だったかは、恐らく当サイトの読者層なら当時直接プレイされたという方も多いだろうが、一言で表すなら
話を読むゲームなのに話がつまらない(犯行のトリック・犯人の動機・謎の明かし方などが崩壊している。当時の感想は【2007/4/25】という感じであり、ゲーム性は著しく低い。また、その不出来さがあまりにも激烈であったため、「『1』〜『3』から世界観を一新するはずが、旧作の人物が出しゃばったせいでストーリーが崩壊した」「現場の声とは別に、『旧作キャラクターを出せ』『当時導入されたばかりであった裁判員制度をゲームで宣伝しろ』という社内政治に翻弄されたせいで駄作になった」という“失敗例”として、今でも「逆転裁判4」の名前が挙げられることもある。「尋問」「証拠品」によって推理ゲー全体に良き判例を示したタイトルが、あっという間に今度は不当判決となってしまったのだ。

 というわけで。恐らく、多くの人のシリーズに対する記憶は、『4』で途絶えており、ひょっとしたら
「『1』〜『3』は名作だったゲーム」くらいの印象で終わっているかもしれない。しかしながら、私から言わせると、今の「逆転裁判シリーズ」が持つ意味は、「駄作を出してしまったが、その不満点に真摯に向き合い続け、最終的には評価を回復させたタイトル」というものになったのである。
 …というのも。2007年に『4』が発売された後は、さすがにあの評判の作品をそのまま続けるのは苦しいと判断されたのか、「逆転検事」などのスピンオフ作品で細々とシリーズが続いてきたが、それで一定の需要を取り戻すことができたのであろう、
2013年に久しぶりの正統続編となる「逆転裁判5」が3DSで発売された。『5』は、物語展開などにそれなりの不満が挙がったものの、『4』のように致命的な破綻は存在せず、また『4』のキャラクターについてもある程度までフォローが為されたことで、「『1』〜『3』には及ばないが、『4』よりは良い」という程度の評価を得ることができた。私も、3DS版(当時は遊戯王のゲームのために購入していた)とスマートフォン版で、おまけシナリオまでを通して2回プレイするほど楽しんだ作品である。
 ――その後、2016年に、更なる続編である『6』が発売された。これに関しては、
当時の私は仕事でまともにゲームをする時間が取れなかったことや、さすがに2016年にもなって3DSで新作はちょっと…という思いがあったため、スマートフォンでのアプリ版が出たらプレイをしようと決めていた。そして、2017年末に、逆転裁判シリーズのアプリ版のセール広告を見て、未プレイだったことを思い出し、2000円で購入をしてプレイを始めたのである。

 さて、そんな
「逆転裁判6」の私の感想はと言うと、『5』に引き続いて『4』の設定を前向きな方向で活かしており、特に最終話の壮大さは、傑作だった『1』〜『3』にも全く引けを取っていない。この作品をもって、『4』〜『6』の三部作が無事に完結したとも表現でき、『4』の悪評価は完全に回復されたと言って良いだろう。
 …具体的には、まず物語は、チベットあたりをモチーフとした架空の「クライン王国」と、従来の日本の法廷が交差する形で行われ、それぞれの特性を活かした個性的な物語が展開される。また、それに伴い、シリーズの新旧キャラが数多く登場するが、ほぼ全ての人物に一定の出番が与えられており、扱いの悪さを感じるようなことは無い。また、前作『5』の不満点として挙げられることが多かった「推理の難易度が低すぎる」「調べるコマンドが自由に使えない」と言った点も、ちゃんと解決が為されている。加えて、3DSでの2作目ということで、グラフィック・演出などの基礎部分もパワーアップしている。そして、上にも書いた最終話に関しては、実質2話分の壮大なストーリーが展開され、次々と明かされる絶望的な真実とそこからの大逆転を味わうことができる。その出来は、
同じく最終話の出来が強烈だった『3』の再来とも言えるものであり、クリア後には強い満足感を味わうことができた。
 ――逆に、不満点と言えば、大きなものとして、全5話の中で
1話と4話の出来が極端に悪いということがある。まず、1話は、証人がいちいち楽器を掻き鳴らしながら喋るため極めて冗長なうえに、悪い意味で難易度が高く、あまり爽快感を得ることができない。当時は、もうここでプレイをやめようかと思ったくらいである。また、裁判パートのみの4話に関しては、冒頭の証言の時点でトリックの大半が分かってしまううえに、明確な疑問点・矛盾点をなかなか指摘することができず、ただただイライラする。しかも、操作キャラクターが「心理カウンセリング」と銘打って、「あなたは○○の感情をいだいていた。これは××だったからじゃないですか!?」机をバンバン叩きながら証人を威圧するという不快な行為をする。それを見た検察側は、「これは悪辣な誘導尋問だ。証人は答える必要は無い」と怒りの声を上げるが、ごもっともである。しかし、裁判長が弁護側を認めることにより審理が進んでいくため、結果として登場する人物全ての評価が下がる最低のエピソードとなってしまった。この1話と4話に関しては、2話・3話・5話のクオリティでカバーができたというだけで、私は擁護をすることはできない。その他、2話に関しては、「無名スタッフの中に共犯者が居た可能性については一切議論されない」とか「本当に人を刺したのなら感触で分かるはずなのに、被告人がそれを証言しない」といった大きめの穴があるが、前述の1話・4話に比べれば崩壊というほどでもなく、むしろよく練られた出来の良い物語である。真犯人が、勝ち方にこだわったあげく負けてしまうのも、また悪役らしくて良かった。

 そんな感じで。前作『5』に引き続き、「逆転裁判6」も実に楽しみがいのある作品であった。
 …ということで。私は、現行の基本無料=ガチャで大量課金という集金システムがあまり好きではないため、このような
適正な金額で正当な対価を得る買い切り型のゲームについては、是非とも推していきたい。まあ、この逆転裁判シリーズに関しては、「初期作品の完全リメイクは一度も行われていない(=画質を上げた移植版は多数発売されているが、ドット絵風だったGBA当時とはかなり印象が異なる)」「PSハードでは1作たりとも発売されていない」という特徴があり、あまり新規ユーザーに優しいとは言えないのだが、3DSなら全シリーズが発売されており、中古店なら安く購入することもできるだろう。また、iPhone・Androidのアプリ版は、同じくシリーズ全作品が配信されているうえに、定期的にセールが行われているため、その際に買うと良いかもしれない。初期作は、画質こそ見劣りするが、その物語は今なお色褪せず、しっかり触れれば15年以上シリーズが続いている理由も分かるというものだろう。
 ――さて。前述の通り、この「逆転裁判」は、結果的にゲーム業界に様々な影響を与えてきたタイトルとなった。初期は推理ゲームのひな形として、その後の『4』は人気シリーズを一転して苦境に導いた反面教師として、そして今では
「ユーザーの不満に正面から向き合い、良作を出し続けたことで、地に落ちた評価を回復させた例」となった。この“大逆転劇”は、他のゲームにも波及してほしいものだな。

登録タグ/ ゲーム一般

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