管理人の日記ログ


 

●2010年11月2日(火)
強襲!!
機皇帝タクラス∞

 そう言えば本日、久しぶりにゲーセンのDDRでアップデートが行われましたね!
 ――今回の新要素の一つとして、コース限定(=単体の曲としては選べない)とはいえ、待ちに待った「Pluto the First」が解禁された。もともとは家庭用作品で登場した曲であり、BPMが50-4408.8倍もの変化が存在する。難易度こそEXPERTで足17と、特別難しいわけではないものの、変化に富んだ楽曲と譜面を動画サイトで見た後には、すぐさま( ^o^)「これを足で踏んでみたいぜッ!」と思ったものだった。その思いが、やっと3年越しで叶ったということである。
 そして忘れてはいけないのが、ダンスドリルの新レベル追加である。このダンスドリルというものは、いわゆる「段位認定」のことであり、決められた4つの楽曲を連続でプレイするルールとなっている。とりわけ俺は高難易度曲をクリアすることにゲーマー人生を懸けているため、自分の実力が分かりやすいレベルで評価される「ダンスドリル」は、極めて重要なものとなるのである。今まで10年以上前からDDRに親しみ、数々のボス曲を打ち破ってきた。俺は、絶対に負けるわけには行かないのだ。
 ・・・そんなこんなで、本日追加されたダンスドリルのコースのうち、最も難しい「ダンスドリルLv.15」の曲はこちらである。

ステージ

楽曲

難易度

1st

クロノ

18

2nd

(-D-)

18

3rd

ま た お 前 か

18

4th

今日も最後の滝で落ちる作業が始まるお・・・

18



                        ,、 '";ィ'
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       l;、-'゙:   ,/      ゞ=‐'"~゙゙') ./. \    /  '''"/::::;:::;r-''‐ヽ
     ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙         ,,. ,r/ ./    ヽ.   ,'     '、ノ''"   ノ
   ,、‐'゙     ン;"::::::.       "´ '゙ ´ /      ゙、 ,'            /
  '     //:::::::::            {.        V           /
        / ./:::::::::::::            ',       /         /
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 いやはや、いつかはこうなると分かっていたのだが・・・やはり、実際に見てしまうと凄まじいものが存在する。ダンスドリルLv15の楽曲は「Trigger」「Healing-D-Vision」「PARANOiA HADES」「Pluto Relinquish」の4曲で、その全てが足18となっている。最初の「Trigger」はともかくとして、残りの3つには全て"殺し"の場面が存在するため、単体を取り上げたとしてもクリアは難しい。それを3曲連続でである。技術力はもちろん、凄まじいまでの集中力と体力が要求されることになるだろう。
 ・・・確かに、単純な楽曲の難易度で言えば、前作の最高レベルと大差は無い。しかしながら今回のダンスドリルは、ミスをした場合のゲージの減少量が約2倍、一方でゲージの回復速度は約1/5となっており、前作とは桁違いにクリア難度が上がっているのだ。こんなの、ホントに日本でも数十人しかクリアできないぞ('A`)

 そんな「ダンスドリルLv15」。実際にプレイしてみたところ、1曲目の「Trigger」は抜けられたものの、予想通りと言うか何と言うか「Healing-D-Vision」ラスト65連打で終了してしまった。仮に、それを抜けたとしても、次が魔人専用譜面「PARANOiA HADES」だからなあ(´・ω・`)
 ――ということで、かなり苦しめてくれそうな今回のダンスドリル。だが、ゲームはこれだから面白い。決して理不尽に難しいというわけではなく、かといって簡単には乗り越えられず・・・まさに絶妙な難易度である。おっしゃ。ならば何ヶ月掛かったとしても、必ずクリアしてやろうじゃないかッ!

……………

 いよいよ2010年も大詰めの11月となった。なんか、この時期になると必ず駒場に逝っている気がする・・・(^q^)
 というのも、大学生活も4年目(※実質学年は3年生)となった俺であるが未だに2年生の単位が取れていないため、そのために1〜2年生向けの授業を行っている駒場キャンパスへと通わなければならないのである。自転車ならば片道1時間、電車でも1ヶ月の定期代は10000円。まったく、大学全体の卒業は先だとしても、現在のような悪い意味でのダブルスクールは早く終わらせてしまいたいものだ。(;・∀・)「何で4年生なのに駒場に居るんすか?」という目線がくやしい・・・!でm
 ――それにしたって、大学なんてところは、一体何のために存在するのだろうか。この3年半の間に、俺は本当に馬鹿になった。専門知識では高専で学んできた人々に遠く及ばないし、その他に関しても、もはや何かを学ぼうという意志は完全に消え失せてしまった。もう俺は劣化していくだけだよ('A`)

 だが、大学生活への無力感を感じながら、毎朝7時に起きて、夜7時に帰ってきて、誰とも話さず、夕飯を食べて風呂に入ってネット掲示板を見て、ただ眠りに入る。そんな毎日を繰り返していては、いつか気が狂ってしまうに違いない。そんな毎日には、何の意味も感じられないのだから。
 ・・・だから俺は、こう考えるのである。子供の頃から大好きな「遊戯王」になぞらえて、大学生活は"ゲーム"なのだと。駒場と本郷という2つのキャンパスに通わなければいけないことはタッグキャンパスという新しいルールである。今、俺の目の前には、5つのパーツで構成された「機皇帝タクラス(インフィニティ)というモンスターが存在する。「タクラスA(アタック )」「タクラスT(トップ)」「タクラスG(ガード)」「タクラスC(キャリア )の4体が、本体の「機皇帝タクラス∞」と合体し、1体の巨大な敵として立ち塞がっているのだ。
 ――だが、苦闘の果てにタクラスを倒したとしても、まだまだ第2・第3の敵が待っている。そう、「機皇帝コマバクル∞」「機皇帝クソキョウジュ∞」である。彼らの目的は、俺たちの歴史を改竄すること。その策に落ちてしまえば、就職面接で(;w∀w)「あの、卒業学年と在学年数が一致しないのですが・・・」と訊かれるという恥辱プレイを強いられてしまうことになる。タクラシテルの三皇帝・・・恐ろしい敵だわ(´・ω・`)

 とまあそんな感じで、遊戯王っぽく例えると、あんな大学生活でさえも面白くなってくるのだ。
 ちなみに、俺には現在留年カウンターが1つ乗っていて、このカウンターが3つに達すると俺は人生(デュエル )に敗北してしまうため、授業に出席し、84の単位ポイントを稼ぐ必要がある。そして授業に遅刻をしないためには、道端のGちゃんBARちゃん相手に激しいデッドヒートを繰り広げなければならないのだ。
 さあ逝くぜ! ライディングタクラ、アクセラレーションッ!!
 ――今月もよろしくお願いします\(^o^)/




 

 昨日、学校で(あり )を観察してみましたッ!
 というのも日記に書いた通り、先日はDDRのアップデートがあったのだが、その更新が行われるのは毎回ぴったり午後3時。ということで、午前中だけで授業が終わった俺は、何とかして時間を潰さなければならなかった。まあ、特にすることは無かったため、菓子パンを買って、外の講堂前でグダグダしていたのである。
 ・・・先週末のぐずぐずした天気とは裏腹に、外は気持ちの良い秋晴れ。穏やかな時間へと羽を伸ばしながら( ^o^)「リア充爆発しろ・・・」などと考えていると、ふと足下のレンガに蟻が群がっているのを見付けた。どうやら、地面に垂れた"シロップ"のようなものを舐めているようだ。
 ――そこで興味が湧いた俺は、食べていたメロンパンを小指の先ほどにちぎり、蟻たちの近くに置いてみたのである。

 すると、どうなったか。
 ・・・3分ほど経つと、シロップを舐めていた蟻が徐々にパンの方へとやってきて、あっと言う間にパンは蟻だらけになってしまったのである。ARRRRYYYY(アリイイイイイイイイ)!!!!!!!
 面白かったのは、大体の蟻はパンを口先くらいのサイズにまで崩してから巣へと持っていくのだが、一匹だけ体の何倍もの大きさのパンくずを持ち上げていたのである。当然、重くてフラフラしていたので、他の蟻が( ・ワ・)「手伝うぜ!」と加勢しようとしたのだが、(・∀・;)「離せ!俺が連れて帰るッ!」とでも言わんばかりに、他の蟻を強引に吹っ飛ばして一匹で巨大なパンくずを運んでいた。まったく、「一人で頑張っちゃう俺カッケー★」みたいな厨二病は、どうやら蟻の世界にも存在するようだ。
 ――ということで。穏やかな昼辺、広い広場(文章構成力×)の黒蟻を、俺は一人で眺めてたのである。蟻を一緒に眺めてくれる相手が居ない\(^o^)/

……………

 今、世間ではπがあーだこーだと大騒ぎされているようだが、ここは思い切ってπ=0で考えてみることにしよう。すると、驚くべき事実が浮かび上がってくるのだ。
 ――「π=0」何とも掴み所の無い話である。例えば「半球の体積」は、半径をrとしてV=(2/3)*π*r^3と表わすことができるが、πが0ならば体積も0。つまりπ=0ならば、r=0と同じことになってしまうのだ。なるほど、「π=0」「r=0」か・・・。これは一つの真理を言い当ててるな(´ー`)
 ちなみに、楕円を立体にしたような球は「楕円体」と呼ばれるようだ。x軸・y軸・z軸のそれぞれの径をa・b・cとした場合、その「楕円体の半分の体積」は、シンプルにV=(2/3)*π*a*b*cと表わすことができる。が、やはりこちらもπ=0ならばr=0でありV=0である。まあ、当然の成り行きだろうが・・・('A`)

 では、実際に「π=0」の場合、我々の生活にどのような影響がもたらされるのだろうか。
 その影響は計り知れないものがあるが・・・やはり最も大きいのは、半球の体積が存在しなくなってしまうということでろう。我々工学部の学生は、ルノワールの絵画のような美しい半球を常に求め続けている。そのことからも分かるように、男たちの生活にとってπは無くてはならないものとなっているのだ。
 ・・・逆に、「π=0」であり、我々がπについて考察を挟むことすら許されないとしたら。そんな生活は酷く退屈なものとなってしまうであろう。俺なんて1日のうち、何回πについて考えるだろうか。だから、限りなくπが0に近いとしても、そんなことは現実に有り得ないはずなのだ。

 ――と。ここまで文字のみでお話してきたが、「π=0」というのはやはり図形的な問題であろう。
 そういうわけで。本日は「『π=0』の場合」の画像を、皆さんに見ていただきたいと思う・・・。






∞ = 0


π=0







 うわあああああああああああああああああああああ
  あああああああああああああああああああああああ
   あああああああああああああああああああああああ

─┼─┐─┼─  /  ,.          `゙''‐、_\ | / /
  │  │─┼─/| _,.イ,,.ィ'    ─────‐‐‐  * ―
  │  |  │    |  |  | イン  ,◎-◎、、   // | \
                   _,.-'-‐‐‐‐-'、_ / ./ |  \
                    (从 从)'' /  /  |
                 _/    )    / ∵|:・.
                 ぅ/ /   //    /∴・|∵’
                ノ  ,/   /'    /.∵.;|∵’:;
 _____      ,./ / /    /    / ∵.;|∵’,
(_____二二二二)  ノ ,∠∠_/゙〈ミ    / ∴ |∴
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     ●-―-●
   __/ -――‐-ヽ___
 ,'" .,. '"  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ  ヽ
 ヽ_/   /l、 i i   '; ノ
   |  --t'\ト-+  ノイl
   (>|/>_ <ヽ<) l  うわああああああああああ
   ソ | |o゚ ヽ ) ゚oノ | (   ああああああああああああ
  ,イ、ヘノ>‐v‐<´ | ,イソハ    ああああああああああああ
   ` /〈:::::::::::l ヽ"
   /  /kア;;;;;ヾ`; l
 (´<ヽ 7::::::::::::::\ゝ',
  ヽノ/:::zヤ:::::::ヘ:::\ゝ
    `―r‐r―r‐r―‐'






         ,◎‐◎、
      _,.-'-‐‐‐‐-'、__
     'ー、<VWWWVW-'
       ヽ_ヽ∧ww∧、 うわああああああああああ
       /ヾ-──-'/   ああああああああああああ
      /   ,    /.     ああああああああああああ
     / l  ;'   / :|
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一応学校には逝ってるんですよ


 最近のコンビニでは「1リットルのペットボトル飲料」が販売されている。これは、500mlでは少ないが1.5リットルを持ち歩くのは重すぎる&手間が掛かりすぎる、という消費者のニーズから作られた絶妙な量であり、利便性を考慮したコンビニならではの商品だと言えよう。
 そして特徴的なのが、その1リットルペットボトルの形である。1リットルの飲料ケースというと、どうしても「牛乳パック」や「醤油の入れ物」のように、縦に長い形を想像しがちである。しかしながらコンビニの1リットルペットボトルは上図のように横に広い形をしているため、カバンのスペースに無理なく詰め込むことができるのだ。正直、500mlペットボトルがちょっと太くなった程度にしか感じない。初めて見た時は(;^o^)「え゛っ、これに1リットルも入るのッ!?」と、我が目を疑ったものだった。
 ――そういうわけで、取り回しの良い「1リットルペットボトル」なのだが、難点は値段が高いということだろうか。その価格、1リットルにして208円。高い・・・。いや確かに、500mlが150円で売られていることを考えると決して高い値段設定では無いのだろうが、それにしたってスーパーに行けば2リットルが138円で買えてしまうことを考えると、どう考えても1リットルで208円は割高なのである。少なくとも、「メイン飲料」として毎日のように買っていくわけにはいかないよな('A`)

 そういうわけで、価格の面に問題が存在し、今まで積極的に用いることができなかった「1リットルペットボトル」
 ・・・が。先日なんと、某本郷キャンパスのロー○ンにて1リットルペットボトルのお茶が105円で売っているのを発見してしまったのである。105円っ・・・100円×消費税の内税表示っ・・・・・・畜生っ・・・!くやしいっ・・・でも買っちゃうっ・・・・・・!ゴクンゴクンっ・・・!
 ――どうやら、そのお茶はローソンオリジナルの商品であり、既存のブランドでは無いため、安い価格で販売できているようだ。まあ有り体に言えばパチモンなのだが、消費者にとっては嬉しい話である。味も他のお茶とほとんど変わらず、それで価格が半分ときたら、これはもう買うしかないという話だ。そして、密かに重要な「容器の強度」も、某くそはすのようにベコベコのものではなく、208円の物と同一であった。容器目的での購入も十分にOKのようだ。
 ちなみに、俺がそのような大量のお茶を必要とする理由は、もちろんDDR中に飲むためである。この肌寒い時期になっても、激しいプレイによってシャツは汗びっしょりになるので、水分をたっぷり補給しなければ普通に危険が危ない。「DDRで無職男性(22)が死亡」なんてニュースが流れたら、最高に笑えないぜ('A`)

 そういうわけで、日用品の「1リットルペットボトルのお茶」が208円→105円と安く買えるようになったことは、俺の家計にも大きく影響を与えてくることであろう。
 なに、(;・∀・)「そもそもゲーセンに行かなければお茶代もゲーム代も要らなくなるから、資金を節約できるんじゃね?」だってッ!? ゲームは別枠なんだよ・・・(;^o^)

……………

 キャプション(caption)とは、日本語では「字幕」と訳されることが多いが、本来は写真やイラストに付けられた説明文全般のことである。「字幕」だと、どうしても映像の下に付けるコメントという印象が強くなってしまうため、ややピンと来ないものの、やはり「キャプション」=「説明文」と理解しておくべきであろう。
 ――そんなキャプション。実は、写真やイラストで最も重要なのは、このキャプションなのである。というのも、写真は「真実を写す」という文字面からは裏腹に、空間を切り取って対象化したものなので、どうしても「伝えられること」「伝えられないこと」が出てきてしまう。本来なら、そのような"写真が持つ本質的な欠点"こそをキャプションで補っていくべきなのだが・・・現実には逆に、「伝えられない部分」があるのをいいことに、意図的に意味をねじ曲げてしまう場合が存在するのである。
 ・・・書くかどうか迷ったが、やはりこれは具体例を挙げるしか無い。例えば海外では、「日本軍の残虐行為」というキャプションが付けられた謎の死体写真が公開されているが、それが本当に日本軍との戦闘で死んだ人間かどうかは疑わしいものがある。実際には何らかの目的があって、他の戦争における犠牲者の画像を「日本軍に殺された!」と偽って説明している可能性も、"無きにしもあらず"なのだ。ちなみに、このことに関しては、コメント欄に何も書き込まないでください(´・ω・`)

 そうやって、「キャプション」は人を騙す可能性が存在する。だからこそ我々は、画像自体を見るのと同じように、そのキャプションにも目を光らせなければならない。
 ――世の中の嘘には、その大抵に「理由」が存在する。例えば、「べっ別にあんたのためにお弁当を作ってきたんじゃないからね!!!!1111////」というものであれば、本当は早起きして弁当を作ってきたのだが、その気恥ずかしさを隠したいがために「嘘」を付いているということになるのだ。ははっ。氏ねよ('A`)
 そのため、人を騙くらかすために作られた「嘘」を注意深く読み解くことにより、かえって真実に近づくことができる。キャプションの問題もそれと同じであり、あえて「偽物の説明」が付けられた本当の理由を見破れば、制作者の意図を何よりも深く理解することができる。そうやって、反対側から"真実"を理解する方法も存在するのだ。

 では本日は、俺の画像フォルダの中から無作為に数個を抽出し、それに「キャプション」を付けてみることにしよう。
 ――果たしてこの中で、「偽物のキャプション」はどれなのか。そして、その「嘘」から見える真実とは何なのか。それは、皆さんの力で紐解いて欲しい・・・。




◆1

(AAry


「メリークリスマス!」





◆2

そんなことより聞いてくれ>>1よ(棒)


「犬みたいな人」




◆3

ど う し て D ホ イ ー ル と 合 体 し た ん だ


「黒歴史」





◆4

やべぇ、自分の顔で濡れるわ・・・


「俺」





◆5

※画像ははめ込み合成ではありません


「全部俺」












俺の本当の姿を見せてやる・・・!


           ┼ヽ  -|r‐、. レ |
           d⌒) ./| _ノ  __ノ
           ===============







 

●2010年11月5日(金)
恋愛新喜劇!!
「駒場の休日」

 最近の昼ご飯のトレンドは「カップ焼きそばにマヨネーズ叩き込み」である。カップ焼きそば"の中には、"からしマヨネーズ"などという名称で味付けマヨネーズが付属されていることも多いが、それに加えて更に妊娠でもしそうなくらいに大量のマヨネーズを掛けてしまうのである。
 ・・・何故そんなことを行うのかというと、個人的に"濃い味"が好きということもあるが、一番の理由はカロリーを補充するために都合が良いということ。というのも、最近のカップラーメンけたことに熱量が400kcalくらいしか無いため、主食として用いるには明らかにエネルギーが足りない。一方で「カップ焼きそば」は元々が700〜800kcalと高カロはふざリーに油の固まりであるマヨネーズを投入すれば、その熱量は軽く1000kcalを超えてくれるのだ。
 ――やれ、高カロリーの食品と言うと、(;・∀・)「太るのは嫌だなあ・・・」などとマイナスのイメージを持たれることが多いが、食べるのは面倒&金の無駄というスタンスを取っている俺にとっては、安くて高カロリーの「カップ焼きそば」はまさに救世主。ってかぶっちゃけ、太る理由って間食(特に夕食の後)をするからだろ(´・ω・`)

 ということで、そんな「カップ焼きそばにマヨネーズ叩き込み」。付属されているマヨネーズに加えて、更に市販のマヨネーズを掛けるため、言うまでもなく味のバランスは崩れてしまう。麺はベトベトになるし、マヨネーズの油がソースを跳ね返してしまい、味付けはバラバラ。見た目的には明らかに失敗作だ。
 ・・・しかし、味としてはそこそこイケる。マヨネーズの甘みがソースと無理なく調和するうえに、エネルギーを求める脳が本質的に「おいしい」と感じさせてくれる。マヨネーズでギトギトになった焼きそばは、舌で食べる物ではない。体全体で味わう物なのだ。
 ――そんなわけで、一人暮らしの我が家なのだが、カップ焼きそばの調味料として使うためだけにマヨネーズが存在しているのだった・・・。

……………

 「エンディングが渋い作品」を一つ挙げろと言われたら、俺は間違い無く、映画「ローマの休日」(1953/米)の名前を出すであろう。そのストーリーは次の通り。
 ――某ヨーロッパ王室の王女が、そのストレスだらけの生活にしびれを切らし、ローマを訪れた際、密かに宮殿を抜け出してしまう。そこで彼女は、あるアメリカ人記者に出会う。記者は当初「王女がお忍びで遊んでいる!」ということをスクープにしてやろうと企んでいたのだが、城からの追手を巻き、休日のローマを満喫しているうちに、いつしか二人は恋に落ちてしまう。だが、やがて夜が訪れ、王女が宮殿へと帰らなければならない時が来たのであった・・・。
 ・・・まさに、遊戯王5D's「ラブコメディー」の王道・代名詞・金字塔とでも言うべき作品である。放映は1953年で、白黒フィルムで制作された映画であるため、女優オードリー・ヘップバーンの美貌やローマの美しい街並みをカラー映像で味わえないのは非常に残念だ。それでも、その作品としての魅力は、70年が経った今でも色褪せること無く、我々の胸へと迫ってくるのである。まったく、白黒映画なのに「色褪せていない」というのは妙な表現だが、俺にはそうとしか形容できんよ(´・ω・`)

 ところで、その「ローマの休日」のエンディングが"渋い"というのは、果たしてどういうことだろうか。上のあらすじの続きを書いてみよう。
 ――結局、城に帰ることになった王女は、翌日宮殿で記者会見を開いた。そこで彼女はアメリカ人記者と再会したのだが、「王女」と「記者」という立場上、決して互いの想いを伝えるわけにはいかない。その時、ある記者が質問した。「王女が旅したヨーロッパで、もっとも印象に残った街はどこですか?」と。言いよどむ王女に、側近は"どの街もそれぞれに魅力的で・・・"などと当たり障りの無い発言を行わせようとするが、王女は言った。「ローマです。私が旅したローマのことを、私は一生忘れることは無いでしょう」。それを聞いたアメリカ人記者は、静かに宮殿を後にするのであった・・・。
 ――いやあ、渋い!渋すぎるッッ!! もちろん、物語のエンディングとしては、「身分の差を乗り越えて王女と記者が結ばれる」という結末にする手もあっただろう。しかしながら、そういった月並みな展開を避け、あえて悲恋物語にすることで、物語に深みを与えているのだ。また、「アメリカ人記者が何も語らずに宮殿を後にする」というラストカットも、幼かった頃の俺は(;^o^)「え・・・!結局二人は結ばれないの・・・!?」などと消化不良に感じたものだったが、今考えてみると、そこには"破れた恋"を振り返る何とも言えない哀愁が漂っている。そしてその姿は、どんな言葉よりも雄弁に、「名作」とされる映画のラストシーンを語っているのだ。

 俺は王道路線のハッピーエンドも好みだが、「ローマの休日」のような渋いエンディングも大好きである。
 ・・・最近の話を挙げるとすれば、例えば「ファイナルファンタジー13」のラストシーンは、"ハッピーエンド"に相当するであろう。だが俺としては、テーマソング「君がいるから」のイントロが流れ始めた辺りのカット(※ネタバレ防止のため微妙表現)だけを映し、そのままスタッフロールに入ってしまっても良かったと思うのである。それだともちろん、(;・∀・)「え?世界は救われたの??それとも滅んだの??」などという疑問が生まれてきてしまうが・・・そういった適度な余韻があってこそ、「渋いエンディング」になるというものである。あれほどしっかりと本編のストーリーが作れるのならば、あえて最後で「王道」を外れてみても良かったはずだ。
 ――ただ、このような「渋いエンディング」は、あくまで「王道のエンディング」が存在するうえでのメタ要素であることは忘れてはいけない。たくさんの「王道」の中で、たまに「渋い物」があるからこそ、それが魅力的に感じられるのだ。もし、世の中が"余韻の残るエンディング"で満ち溢れてしまったとしたら、それは(;・∀・)「何が何だか分からない」「ちゃんと説明してほしい」などと評されてしまうことであろう。
 やはり、「王道」であろうとなかろうと、重要なのはしっかりと物語を作り上げることである。表現方法など、物語の魅力を高める"小技"に過ぎない。だからこそ、渋くなくても良い物語は存在するし、渋さを狙って失敗してしまったストーリーなども散見されてしまうのである。まったく、難しいもんだね、"いい話"って(´;∀;`)

 さて。
 日頃は安直な言語表現ばかりに頼っている俺であるが、「ローマの休日」のエンディングのような渋い演出をやってみたいという気持ちも存在する。
 ・・・そこで!本日は、「ローマの休日」ならぬ「駒場の休日」というタイトルで、"俺の悲恋物語"を綴ってみることにしよう。
 ――こっそり駒場に来ていた王女と出逢う俺。当初は( ^^q)「オウフwwww日記のネタktkrwwww」などと考えていたが、宮○庁の役人から彼女を守っているうちに、やがて恋に落ちる。だがそれは、身分の差から決して結ばれることのない悲恋だった。そして後日、記者会見の場で、俺は王女と再会するのであった・・・。





       ザワ・・・
   ザワ・・・              \ドモー/
           ザワ・・・     ┏(^ヮ^ )┓ (w∀w )
┏( ・∀・)( ・∀・)( ・∀・)┓       | |       zz
  ┏( ^o^)( ・∀・)( ・∀・)┓    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | |    | |     | |       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
|ご訪問されたキャンパスのうち  .|
|どこが一番お気に召しましたか? |
 ̄  ̄  ̄  ̄  ̄ ∨  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
┏(^ヮ^ )┓ (w∀w )
┏( ・∀・)( ・∀・)( ・∀・)┓       | |       zz
  ┏( ^o^)( ・∀・)( ・∀・)┓    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | |    | |     | |       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



                 _ _ _ _ _ _ _ _ _
                ( どのキャンパスも魅力的で・・・ )
                  ̄  ̄ ∧∧∧∧ ̄○ ̄  ̄
                    <駒場です> 0
   ザワ・・・!?             ∨∨∨∨   o
          ザワ・・・!?      ┏(^ヮ^ )┓ (w∀w )
┏(;・∀・)( ・∀・)(・∀・;)┓      | |       zz
  ┏( ^o^)(・∀・ )(;・∀・)┓   .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | |    | |     | |       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




                   _ _ _ _ _ _ _ _ _
                  |駒場です            |
                  |私が滞在した駒場のことを .|
                  |私は一生忘れないでしょう |
                    ̄  ̄  ̄∨  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄

                      ┏(^ヮ^ )┓ (w∀w;)
┏(;・∀・)( ・∀・)(;・∀・)┓       | |       zz
  ┏( ^o^)( ・∀・)(;・∀・)┓   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | |    | |     | |       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




                          パアアァァァ
                         三┏(*^ヮ^)┓
┏( ・∀・)( ・∀・)( ・∀・)┓        三  / |
  ┏( ^o^)( ・∀・)( ・∀・)┓    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     | |    | |     | |       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄





 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
   ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

  ┏( ^o^)┓              | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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     フッ
┏(^o^ )┓三              | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / |    三              |
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●2010年11月7日(日)

 皆さんは「映像の世紀」という番組をご存じだろうか。これは、1995年〜1996年にNHKで放映されたドキュメンタリー番組であり、そのタイトル通り、「映像」という技術が初めて登場した20世紀を、その記録動画を使って順番に振り返るという形式になっている。
 ・・・それだけならば、どこにでもある歴史番組の一つに過ぎないのだが、「映像の世紀」が特徴的なのは、100年間の映像を「第一次世界大戦」「ベトナム戦争」などに区切り1時間強という見やすい放送時間に編集していること、そして何より「声優の司会進行」「BGM」といった演出の絶妙さが群を抜いていることである。
 ――やれ、戦争を伝える動画作品というと、「戦争は嫌だ!怖い!残酷だ!」などという政治思想(イデオロギー)をあの手この手で刷り込んでくる物が一般的であるが、「映像の世紀」は逆に、あえて抑揚の無い口調で進められるのである。女性アナウンサーによる淡々とした司会進行、そして熟練の声優が演じる歴史証言の数々・・・。要は、実際の歴史映像を見てそれをどのように解釈するかは、完全に我々の手に任せられているということなのだ。
 また、加古隆による演出BGMも忘れてはいけないだろう。特に、メインテーマでもある「パリは燃えているか」は、悲しみに溢れながらも壮大な曲調となっており、流される場面の絶妙さも併せて、聞けば必ず印象に残る曲である。ホントどうでもいいがMAD素材としても優秀だぜ(´ー`)

 そんな「映像の世紀」。最近では再放送も無いため、視聴は難しくなってきているが・・・歴史の一面を分かりやすい「映像」の形で味わえる貴重な作品であり、皆さんには是非とも視聴して頂きたい番組である。さすがに「『映像の世紀』だけで歴史を学ぶ」というのは不完全であり危険ですらあるが、他の手段で歴史に触れた後に「映像の世紀」を視聴する、または逆に「映像の世紀」で興味を持った事柄に関して自分で色々と調べてみる、といった双方向的な利用は、極めて有用であると言えよう。
 ――まったく。"歴史を学ぶ"というと、どうしても(;w∀w)「徳川何代の将軍はうんたん・・・」などという話になりやすいが、正直言ってそんなことはどうでもいい。それよりも、この100年の「生きた歴史」を知ることのほうが遙かに重要である。20世紀が変貌させた「戦争」の姿を、世界の少数民族が直面した(している)悲劇を、現在の世界を作り上げた力の正体を説明できないで、どうして「歴史を学んだ」などと言えるのだろうか。
 とりわけ、我々日本人が学ばなければいけないことは、「日本は平和すぎる」ということである。世界に目を向ければ、国家レベルで難民となった人々や、絶え間の無い戦乱で地獄と化した国家、破壊と殺戮により焦土と化した都市などをザラに見ることができる。だからこそ、我々は知らなければならない。世界の真実を、そして何故日本人だけが平和を満喫できたのか、そしてそれを維持するためにはどうすれば良いのかを。平和を求めるのなら、戦争を知らなければいけないということである。

 というわけで、「映像の世紀」。全ての回のクオリティが高く、10+1話の全てを視聴していただきたいのが本懐であるが、特にオススメするとすれば、二度の世界大戦を描いた第2話「大量殺戮の完成」と第5話「世界は地獄を見た」、そして冷戦をテーマとした第8話「恐怖の中の平和」&第9話「ベトナムの衝撃」を見るべきであろう。日本の歴史、そして現在の世界に大きく影響を与えた出来事をテーマとしており、そこには現代人として知っておくべき知識が集約されている。
 ・・・まったく。子供時代に「映像の世紀」を見た時には、( ^o^)「なんで人間は戦争ばっかりやってんの?馬鹿じゃねぇの」などというムカつく感想を抱いたものだったが、大人になってから見てみると、また違った考え方ができるもんなんだなあ(´・ω・`)
 ――特に、第二次世界大戦を描いた第5集「世界は地獄を見た」のラストシーンは、広島・長崎への原爆投下で終わるのだが、そこで俺は産まれて初めて、直接的に自分が悲しい以外の理由で涙を流してしまったのである。今まで俺が泣いたのは親に怒られたとか女の子にフラれたとかそういうのばっかりだったが、初めて俺は、日本人が直面した運命の悲しさに、目頭を熱くしてしまったのだ。まったく、「年を取ると涙もろくなる」と聞くが、これはまったく・・・('A`)

 そんなこんなの「映像の世紀」。これは"テレビ番組"という枠を超えた素晴らしい作品であり、日本人ならば是非とも視聴するべき番組だと言えよう。
 ――個人的には、下手な話を学校で教えるよりも、「映像の世紀」のような作品を国語や社会の時間で紹介するべきだと思うが、どうだろうか・・・。


歴史は繰り返す・・・ あの頃は、人々はまだ疑うことを知らなかった。
「ロマンに溢れた遠足」「荒々しく男らしい冒険」
「戦争は3週間。出征すれば、息もつかぬうちにすぐ終わる」「大した犠牲を出すことも無い」
――私たちは、こんな風に、1914年の戦争を単純に思い描いていた。
クリスマスまでには、家に帰ってくる。
新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。
「クリスマスに、また!」

従軍したオーストリア人作家ツバイク / 「昨日の世界」より
(映像の世紀 第2集)
 
実際に活躍した戦車はフランス軍のものですがね 鉄板の鎧に身を固め、長い列を作って転がってくる機械。
その毛虫のような姿。人間を押し潰し、傷付くことの無い鋼鉄の
(けだもの)
僕らは、この
「戦車」を見ると、自分の薄い皮膚の中に小さく縮こまるような気分になった。
その驚くべき重さの前には、僕らの腕は藁のようにか弱い物だ。手榴弾は、マッチくらいだろう。
この
「戦車」という奴は、何よりも戦争の恐ろしさそのものに見えた。

従軍したドイツ人作家レマルク / 「西部戦線異常なし」より
(映像の世紀 第2集)
 
十十十十十十十十十十十十十十十十十十十十十十十十 戦争から、(きら)めきと魔術的な美が、ついに奪い取られてしまった。
アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、兵士たちと危険を分かち合いながら、
馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことは、もう無くなった。
これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室に居て、書記官たちに取り囲まれて座る。
一方、何千という兵士達たちが、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。
これから先に起こる戦争は、
女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。
やがて、それぞれの国は、大規模で限界の無い、
一度発動されたら制御不可能となるような、破壊のためのシステムを生み出すことになる。
人類は、初めて自分たちを絶滅させることができる道具を手に入れた。
これこそが、人類の栄光と苦労の全てが
最後に到達した運命である。

ウィンストン・チャーチル / 「世界の危機」より
(映像の世紀 第2集)



・・・・・・・・・・・・ 父上様、母上様。喜んでください。いい立派な死に場所を得ました。
「皇国の荒廃、この一戦にあり」。大君の御盾となって、潔く死に就き、宿敵を撃滅せん。
男子の本懐、これに過ぐるものが、またと有りましょうか。
二十三年間の幾星霜、よく育ててくださいました。今度が、そのご恩返しです。
よくも立派に、皇国のために死んでくれたと、褒めてやってください。
ああ、
我ら特別自爆隊。
向かうところは、敵空母へ急降下!

神風特攻隊員の遺書より
(映像の世紀 第5集)



俺らの母ちゃんが産まれた時代だぜ 確かに、俺たちは攻撃されている。不注意に頭を上げれば、弾がヒュッと耳をかすめる。
だけど、敵が見えない。奴らはどこかに居て、俺たちを見ている。
奴らは、俺たちがどこに行くのかさえも、ちゃんと分かっている。
俺たちは常に、
敵の仕掛けた罠で犠牲を払っていたんだ。
作戦に出るときは、長い列になって歩いて行く。
自分の足が踏もうとする地面を見つめながら、
今日は
誰が罠に掛かるだろうか。やられるのは誰だろう、と思っている。
精神が、ほんとクタクタになる。

アメリカ軍兵士の回想より
(映像の世紀 第9集)





 


●2010年11月8日(月)

 
「この世に神々の黄昏が到来せし時 声なき歌が響くであろう」
 
「はかなく消える命を憐れむ 女神エトロの嘆きの歌が」


 大学で午前中の授業を終えて校舎から出てみると、外はとても良い天気。ちょうど12時を回ったころの日光が、俺に優しく降り注いだ。とても暖かかくて、綺麗だった。思わず俺は、持っていたカメラを取り出し、辺りの風景を撮影してしまったのである。
 ・・・普段の俺は、カメラを使うと言っても、せいぜい日記か何かのネタに使う写真を撮るくらいで、「単なる景色」を撮影することなど、ただの一度も無かった。それが今日は、石造りの都市に現われた一途に美しい秋の姿を見て、素直に感動し、カメラを取り出してしまったのだ。
 ――まったく。戦争映像を見て涙を流したり、秀麗な自然に心を奪われてしまったり・・・。一体いつから、俺はこんな人物になったのだ。毎日が幸せなはずだった。いろんな人と話すのが楽しくて仕方無いはずだった。それが今では、およそ「昇華」された感情しか持つことができない。一個の人間として世俗の心情を持っていない者など、人間であるはずがない。俺は、俺の形をして、俺の声で喋り、俺のような文章を書く、錆び付いた機械人形に変わり果ててしまったのだ。

 画像には写っていないが、上の写真を撮影する際には、舞い落ちる葉がキラキラと光を反射し、一種"幻想的"とも言える雰囲気を醸し出していた。
 ・・・そう言えば、俺が好きだったゲームには、こんな設定があった。命が儚く消える時、光り輝く水晶が舞い、その力が奇跡を起こすと。落ち葉だって「命」だ。太陽光を反射してキラキラと輝く落ち葉の姿は、まさに水晶そのものであり、「本当の奇跡」を起こしてくれるようにさえ思えてしまった。
 ――そんなことを考えながら美しい風景を眺めていて、俺は無性に悲しくなった。こんなにも世界は美しいのに、俺はたった一人で生きていかなければならない。そしてたった一人で死んでいかなければならない。もはや時間は意味を失った。絶望の人生は、真っ暗な階段をどこまでも降りていくようなもの。一歩ずつ、一歩ずつ。止まることも、戻ることも許されない。いっそ崩れてしまえと思いながら、ただひたすらに、死への時間を歩んでいくのだ。

 半端な気持ちで、他人に興味を持ってしまったから。
 ――また、苦しまなければならない。




 
 
全自動たまご割り機の大先輩、「全自動昼食機」 「少年H」でもこのシーンが出てましたな こんな感じに「セリフ」が挿入されます

 コメント欄の書き込みでオススメしていただいた、チャップリンの「モダン・タイムス」(1936/米)を見ましたッ!
 「モダン・タイムス」は、資本主義社会において人間が"機械の一部"と化してしまっている状況を風刺した、コメディ映画である。題名の"Modern"とは"現代の・新しい"という意味であり、強引に題名を日本語に訳すとすれば、それは「新しい世界」などといった感じになるだろう。
 ・・・しかしながら、当時も現代も、日本人は欧米に倣うことが社会の発展だと考える嫌い(ヽヽ)があるため、そんな欧米の資本主義を痛烈に風刺した「Modern Times」の邦題をそのまま「モダン・タイムス」としたのは、映画内容と日本の社会状況を深く理解した、まさに名訳であると言えよう。

 と、題名の話は個人的な趣味なのでこの辺にするとして、「モダン・タイムス」の内容に移ることにしよう。
 ・・・具体的なストーリーは、一般に知られているように「人間が機械の一部とされてしまった資本主義を風刺した映画」そのものである。特に大きな見所は、冒頭15分の工場のシーン。機械仕掛けの工場で、チャップリン演じる工員があまりの単純作業にヒステリーを起こし、ついには歯車の中に飛び込んでしまう。「モダン・タイムス」が教科書などで紹介される場合には、必ずこの歯車のシーンが使用されため、知っている人も多いであろう。
 そして、その事件がきっかけで工場を辞めることになったチャップリンは、各地の仕事を転々とするが、どこに行っても上手く行かない。やがてチャップリンは、人間が人間らしく生きられる土地(当時の世相を考慮すると、アメリカ?)を目指し、仕事を探す過程で出会った少女と共に、新天地へと旅立つのであった・・・。
 ――全編を通して光るのは、やはりチャップリンの演技である。当時は無声映画と発声映画(トーキー)が混在した時期であり、前者に属する「モダン・タイムス」でもBGMしか流れないシーンが多いのだが、そのこととチャップリンのコミカルな演技も併せて、まさに漫画のような映画と言える作品であった。

 しかし個人的には、娯楽映画としての要素が少々強すぎるように感じ、「資本主義に対する非難」(=共産主義の推進?)という点が、あまり伝わってこないように感じた。まあ、こう思ってしまうのは、「モダン・タイムズ」からは時代も国も離れているうえに、そもそも俺は働いていないため、仕方無いことなのかもしれない。
 なにはともあれ、近世の欧米には、他国を植民地として搾取していたのとちょうど同じように、自国の労働者をも奴隷として扱っていた時代があった。今の世界だって基本は同じだ。弱者の正義や権限など、強者によって簡単に踏み躙られてしまう。だから、我々は「強者」になるしか無いのである。俺には・・・できなかったよ(´・ω・`)

……………

むかしむかし。とんでもない罪を犯して、地獄に堕ちた老婆がいました。
  しかしながらその老婆は、生前一度だけ「クモ」を助けたことがありました。
  神様はそのことを覚えていらっしゃり、老婆を助けるため、地獄に一本のクモの糸を垂らしました。
  それにより、老婆は地獄から救われたそうです。

 このような童話を聞いて、幼い頃の俺は(;^o^)「じゃあ俺ぜったいクモは殺さねぇ」と誓ったものだったが、実は上の話には続きがあるのだ。
 ・・・というのも、モチーフとなっているのは恐らく芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だろうが、そこでは地獄に堕ちた人物は老婆ではなく、「カンダタ」(←何故か変換できない)という男であった。その男は生前に放火・殺人などの様々な罪を犯したが、一度だけ森の中で見付けた小さなクモを殺さずに見逃してやったことがあった。それを覚えていたお釈迦様は、地獄に堕ちたカンダタを憐れみ、クモの糸を垂らして地獄から救い出そうとした。・・・と、ここまでは「老婆」のパターンと大差は無い。
 ――が、違うのはここからである。糸を垂らされたカンダタは、それを登って地獄の外に出ようとした。だが、登っている最中にふと下を見てみると、同じく地獄から這い上がろうとする大勢の亡者たちが、一列になってクモの糸を登ってきていた。このままでは糸が切れてしまう。カンダタは言った。「これは俺を助けるために垂らされた糸だ。他の者は下りろ!」と。すると次の瞬間に糸が切れ、カンダタは再び地獄に堕ちてしまったという。
 ・・・そして、この一部始終を見ていたお釈迦様は、「悲しそうな御顔」をしてその場を立ち去ったそうだ。もちろん単純に、クモの糸に沢山の亡者がぶら下がり、カンダタが下りるよう促した瞬間"偶然に"糸が切れたという解釈も可能だが・・・個人的には、「クモの糸」を切ったのはお釈迦様自身ではないかと思うのである。自分だけが助かろうとするカンダタの卑しい心が、再び地獄へと落ちるに相応だとお釈迦様に判断されてしまったのだ。まさに因果応報。ドラえもん的な感じやね(´・ω・`)

 さて。
 「糸」は人間生活に大きく役立っている。実用品としては、何かを結んだり縛ったりする物として必要だし、我々の着ている"服"だって、細い糸を何重にも編んだ物だ。
 また、糸は「物を結びつける」「細いが強い」などのイメージを持つ要素として、慣用句にも登場することがある。前者ならば「運命の赤い糸」(笑)などがそうだし、後者ならば「一縷の希望を紡ぐ」(一縷:細い一本の糸 / 紡ぐ:より合わせること)などが、"弱々しくも力強い物"の象徴として使われているパターンであろう。
 ――他にも、「記憶の糸を辿る」は"繋がっている物"を少しずつ引っ張っていくイメージで、「裏から糸を引く」は"操り人形"を動かす様子に(ちな )んでおり、「もつれた糸」は"絡んでしまった糸"から転じてグシャグシャになってしまった物の姿・・・と。うわっ、こりゃ枚挙に暇が無いわ('A`)
 というわけで、これからも「糸がうんたん」と言った系統の慣用句は、どんどんと増えていくことであろう。「糸を吊る」とか「糸が赤く染まる」とかどうかねえ(´ー`)

 俺は手先が器用な方に入ると思うが、「靴の紐」「人との縁」だけは結べない性分である。
 だが、この苦しい時勢に、どうしてそんなことを言っていられるだろうか。俺は、結ばなくてはならない。"希望"を紡ぎ、未来へと繋げなければいけないのだ。
 ・・・もちろん俺にだって、最低限に糸を繋ぐ"固結び"くらいはできる。だが、それでは駄目だ。希望の無い人生などに、意味は存在しない。綺麗な結び目を付けなければ、すぐにボロが出てしまうのである。だからこそ、"蝶結び"や"リボン結び"と言った魅力的な結び方を行わなければならないのだ。
 ――まったく、冒頭の「蜘蛛の糸」では無いが、たった一本の「糸」が、その後の生き方を変えてしまうこともある。だから、普段は外見に無頓着な俺でも、その「生き方を変える」糸の結び方くらいには、せめてこだわってやろうと思うのだ・・・。




                ,,,,,
       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
      / ∧∧    //|  セッセッ
    / (    )  //    セッセッ
    || ̄/  |つ ̄||/
    ||, (___つ . ||





      \ | /
   ∧_∧
  (  ^o^ ) ∞ よっしゃ!
  (    つ   やっと「蝶結び」が出来たぜッ!
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       ::                .|ミ|
        ::               .|ミ|           ::::::::
         :::::     ____ |ミ|          ::::
           :: ,. -'"´      `¨ー 、       ::
   ::        /   ,,.-'"      ヽ  ヽ、    ::
   ::     ,,.-'"_  r‐'"     ,,.-'"`     ヽ、 ::
   ::   /    ヾ (    _,,.-='==-、ヽ         ヽ、
   ::   i へ___ ヽゝ=-'"/    _,,>         ヽ
   ::   ./ /  > ='''"  ̄ ̄ ̄               ヽ
  ::   / .<_ ノ''"       ヽ               i
  ::   /    i   人_   ノ              .l
  ::  ,'     ' ,_,,ノエエエェェ了               /
    i       じエ='='='" ',              / ::
    ',       (___,,..----U             / ::
     ヽ、           __ ,,,,------------i'"  ::
      ヽ、_    / ヽ /´ ヽニニニニニニニヽ   ::
         `¨i三|   ○   i            ヽ  ::
          i  ヽ /''\__/           |   ::
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            //    ヽヽ

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●2010年11月11日(木)
驚異!! 大自然の
免震アーキテクチャ

 本日11月11日は、PS3の4歳の誕生日ですね!
 いやはや、( ^o^)「FF13のためにPS3を買う!」と決意し、"大学合格記念"として当時6万円もした60GB版の本体を買ってもらった俺【2007/03/11】。それから2年半は日照りの時期が続いたが、2009年の年末に「ファイナルファンタジー13」が発売してからは、毎日のように起動するゲーム機となってしまった。
 ・・・とにかく俺にとっては、FF13の登場が衝撃的であり、PS3の印象=FF13と言っても過言では無い。もう俺はFF13が楽しすぎて生きていくのが辛いというレベルである。たぶん一日のうち「FF13について考えている時間」「萌えな女子本郷生について考えている時間」を比較したら、間違い無く前者が長くなるんだろうな('A`)

 そんなPS3であるが、発売当初はまったくもって酷い評判であった。
 ・・・当時の事を覚えている人が居たら、是非とも振り返って欲しい。2006年〜2007年のPS3は、本体価格が5万円と極めて高いうえにソフトも少なく、その売り上げは散々なものであった。他社陣営からは明らかな「失敗ハード」扱いをされ、買う人間はまるで馬鹿者のような目線で見つめられた。コンビニに「PS3はなぜ失敗したのか?」などという題名の書籍が並び、世間は「誰でも楽しめる」などという"ゲーム"の話で持ちきりだった。そういう時代があったのだ(´・ω・`)
 ――それから2年。2009年9月に"薄型PS3"が発売され、FF13の発売を控えていたことと3万円という価格が功を奏し、やっとPS3が売れるようになってきた。また、その頃にはHD対応のワイドテレビが普及しており、HDMIケーブルを使った絶句級の画質を多くの人が楽しむことができた。陳腐な表現であるが、発売から3年してやっと時代がPS3に追いついたということなのである。

 何はともあれ、我々にとって一番重要なのは、やはり「ファイナルファンタジー13」であろう。"何とか"とかいうハードのせいで制作スケールが小さくなってしまったのは非常に残念なことであるが、それでも画質・音質を始めとして、全ての要素がPS3ならではの圧倒的なクオリティとなっている。バトルは過去最高レベルのスピード感と戦術性を両立しているし、ストーリー性も進化したグラフィックにより「シナリオを読み解くことがゲーム性の一つ」とさえ言えるほどの深みを誇っているのだ。
 ・・・まったく、どれだけ時代が変わろうとも、やはり俺が心の底から「世界最高のゲーム」と言えるのは、「ファイナルファンタジー」シリーズしか有るまい。そして、現存するハードの中で、俺が理想とする「FF」の世界を実現できるハードは、PS3しか存在しない。だからこそ俺は、全力でPS3を支えてこうと思う。
 ――やれ、FF13は敵を「ブレイク」してダメージを増やすことが重要となるゲームであるが、それは同時にPS3の人気も「ブレイク」させてくれたんだな(´ー`)

……………

 先日、茨城県南部を震源とする地震が有った。この「先日」っての、実は先週金曜日なんだがな。どんだけ更新遅いんだよ俺・・・(´・ω・`)
 ――そもそも地震とは、地表を構成する「プレート」という"板"が動く際に発生する余剰エネルギーが地上へと解き放たれたものであり、地球が生きている証拠でもある。なるほど、ファンタジー作品ではよく人智を超えた「神」などというものが登場するが、この現実にも「自然界」という神が存在したんだな。
 ・・・そう言えばアメリカでは、今でも「ID説」が話題になるという。IDとは"Intelligent Design"・・・「偉大なる知性」によって、この世界が設計されたという考え方である。なるほど確かに、この世界は偶発的に出来上がったと考えるには、少々クオリティが高すぎる。きっと、「自然」という名前の神様が、この宇宙を、美しい地球を、数多(あまた )の動物や植物を、萌え萌えの女子本郷生を設計してくれたのだろう。ありがとう神様(^q)^

 さて、ID説に対する解釈は俺の個人的な好みなので置いておくとして・・・この国は「地震」に満ちている。何故なら、日本という国はプレートのちょうど境目に位置しており、まさに地震の総合結社となっているのだ。世界で発生する大型地震のうち2割が日本で発生しているという統計もあり、人口比(50:1)を考えれば、実に日本人は普通の人々と比べて12.5倍もの地震に晒されているということになるのだ。どうしてこうなった・・・どうしてこうなった・・・('A`)
 そんな感じで、日本は昔から地震が多かったため、文化的な面でも数多くの差違が生まれた。例えば日本では木造建築が主流であるが、これは西洋のような石造りの街を作ると一発の地震で崩壊してしまうからである。木造住宅は一見脆いように思えるが、地震・台風と言った災害には非常に強いため、この国に適した建造法と言えるのだ。逆に、西洋の石造りこそ、湿度が低くて過ごしやすいうえに「地震が全く無い」という環境下で初めて成り立つ、特殊な建築なのである。

 なにはともあれ、「地震」というものは恐ろしい。それが一旦起こってしまえば、人間に止める手段は無い。グラグラと地面が揺れるのを感じたら、我々はただ隠れ怯えるしかないのである。しかも、それがいつ起こるのかが全く予想できないというのがこれまた嫌らしい・・・。
 ――仮に、もし地震を未然に防ぐとしたら、原因である「プレートの歪み」核攻撃で破壊するとかそういう話になると思うが、普通に破壊すると溜められたエネルギーが解放されて余計に揺れるだけなので、何の意味も無くなってしまう。つまり地震を無くすためには、エネルギーをゆっくりと解き放つような方式が必要となるのだが、それは縮みきったバネをゆっくりと元に戻すような作業である。それだけの力を生み出すことも、それを実現する機構を作ることも、人間には不可能であろう。

 ・・・そういうわけで、今この瞬間にも「地震」が起こる可能性は存在している。理不尽な力によって命を奪われてしまう恐れが、今すぐにでも有り得るのだ。
 だからこそ我々は、地震を経験した人々の話を聞かなければならない。まったく、仮にくたばるにしても、今すぐになんてのはゴメンな話だ。もっと、やるべきことをやってから死ななければならない。それまでは、生き長らえなければならないのである。
 ――ということで俺は今回、「地震」を体験した女性に、話を聞いてみるのである・・・。




  ∩  ∩
  | | | |
  | |__| |     人人人人人人人人人人人人人人人
 / 一 ー\  < この前の地震は           >
/  (^) (^)  | < ものすごい揺れたんですよ先パイ >
| //  ○ // |  YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
\__  ─  __ノ




   ∩_∩
  / \ /\
 |  (^)=(^) |     人人人人人人人人人人人
 |  ●_●  |   < へぇ! 君にも        >
/ //   ///ヽ  揺れるモノがあったんだね>
| 〃 ------ ヾ |   YYYYYYYYYYYYYYYYYY
\__二__ノ








   ∩_∩
  /--‐'\\
 | ,_;:;:;ノ=(゚)。|
 |,;;:ノ●_● ゚|
/        ヽ
| 〃 ------ ヾ |
\__二__ノ





 


●2010年11月12日(金)

 
このオッサンがFF13最強キャラクターです

 2ヶ月間に渡った「FF13:最強キャラ決定戦」。本日の「終章 〜サッズ(E)!〜」の更新をもって、無事に連載を終了させることができましたッ!
 ――いやあ、最初に企画を思い付いた時には(;^o^)「同じ敵に対して6人分の記事を書くなんて、絶対ネタ切れでつまんなくなるだろ・・・」なんて思っていましたが、読者の方々には楽しんでいだたけたようで何よりです。皆さんサッズの魅力が分かりましたか? ぶっちゃけそれを伝えることが今回日誌の一番の目的だったりします。
 ・・・何はともあれ、プレイする前には「お遊び企画」なんて言っていたけれども、内容はかなり本格的となってしまいました。文字数は124138。A4用紙で約120枚・・・。毎回思うんですが、どうして俺ってこんなに長く書いてしまうんでしょう。この半分くらいの文字数で、同じ内容が十分に伝えられると思うんですがねえ(´・ω・`)

 そんな「FF13:最強キャラ決定戦」。9月21日〜11月12日の2ヶ月間に掛けて、全9回の連載でした。
 ――ではでは、また次回やり込みでお会いしましょうッ!\(^o^)/



 

 FFシリーズでは毎回、「ピアノコレクションズ」という音楽CDが発売されている。これは文字通り、FFのゲーム楽曲をピアノアレンジしたCDであり、スーファミ時代のFFから発売されている、由緒正しきシリーズである。どうしてFF12では出なかったし・・・(´・ω・`)
 ――とはいえ、その楽曲は"抜粋"の形を取っており、CD1枚で収録時間は60分程度。価格も2000〜3000円と高めであり、基本的には非常にコアなファン向けのアイテムだと言える。そりゃ、ゲーム自体のサントラがCD4枚組で100曲とか入ってるから、やっぱりピアノコレクション単体だと割高に感じちゃうよね(´・ω・`)
 ・・・というわけで、FFシリーズの大ファンであり、ゲーム中で使用されている音楽が収録された「オリジナル・サウンドトラック」は毎回買っている俺も、「ピアノコレクションズ」には手を出せないでいた。学生時代の"お小遣い"だと、2000〜3000円というのも重くのし掛かってきてしまうんだよね・・・。

 とりわけ最新作のFF13では、PS3の性能とディスク容量を活かし、実際の楽器による生演奏をそのままゲーム中で使用するに至っている。となると、「ピアノコレクションズ」には、果たして存在意義があるのだろうか。いろんな楽器が使えるというのに、わざわざピアノ一本に絞る必要性は・・・?
 加えてFF13のピアノコレクジョンズでは、収録された楽曲にイマイチ納得が行かないのである。俺が激闘を演じた「宿命への抗い」「降誕」「ルシの試練」などのバトル楽曲がほとんど無く(せめて「降誕」は入れてほしかった・・・)、聴き応えがありそうなのは「FF13:プレリュード」「誓い」「閃光」の3大テーマと、あとはせいぜい「優しい思い出」(ヴァニラのテーマ)くらいか。やれ、FF13ピアノコレクションズには全10曲が収録されているのだが、その3/5が微妙って、一体どういうことなのよ('A`)

 そんなこんなで、「ピアノコレクションズ」に対してひたすら否定的な意見を重ねてみた俺であるが・・・実際に「ファイナルファンタジー13:ピアノコレクションズ」の楽曲を聴いてみると・・・あら不思議。抱いた感想は、ピアノって凄いなというものだったのである。
 ――だって、「ピアノ」なんて所詮は一個の楽器に過ぎないのに、明るい曲調も暗い曲調も、激しい戦闘曲や切ないイベントシーンも、その全てが表せてしまう。それって、とっても素晴らしいことではないか。たった一つの楽曲で作品の世界観を表現するって、作曲者や演奏者の腕も併せて、並大抵の業じゃないぞこりゃ('A`)
 ・・・というわけで本日は、そんなFF13の「ピアノコレクションズ」の楽曲を、動画という形で軽く編集してみることにした。まあ映像は"おまけ"であるが、見て聴いて楽しんでいただけたら幸いである。やれやれ、俺もこれくらい上手にピアノが弾けたらなあ(´・ω・`)



「ファイナルファンタジー13 ピアノコレクションズ」楽曲
(メインテーマ3曲「誓い」「閃光」「FF13:プレリュード」より、抜粋)

……………

 ( ^o^)「君を殺して僕も死ぬ!」
 ・・・そんな末恐ろしいセリフが、この世の中には存在するという。俺が初めてこの言葉を知ったのは確か、漫画「デスノート」であったか・・・。そこでは、見ず知らずの男の告白を登場人物女性が断ったところ、「じゃあ、君を殺して僕も死ぬ!」と刃物を向けられて迫られる、というシーンが描かれていた。
 ――言うまでも無く、そんなものは犯罪である。やれ、「男女が二人で死ぬ」と言うと、どうしても「心中」という言葉を使いたくなるが・・・それはあくまで「愛し合う男女が同意の上で死を選ぶ」という状況下に限定されたものである。一方的な意志によって"相手を殺して自分も死ぬ"などというのは、単なる「殺人」に他ならない。クソッ、俺みたいなボッチには、心中をする権利すら与えられないというのかッ!! リア充ェ・・・(´・ω・`)
 ちなみに、世の中には「無理心中」という言葉が存在し、これは「他人を強引に心中へと巻き込む行為」のことを差す。一般的には、「夫婦が共に自殺を決意した時に子供までを巻き込んでしまう場合」などを言うが、カテゴリ的には上記の「じゃあ、君を殺して僕も死ぬ!」というのも、一応は「無理心中」に入るんだとか。

 何はともあれ、仮に誰かと恋愛関係で結ばれないとしても、それで勝手に相手を殺してしまおうなんてのは、まったくもって恐ろしい話と言うしかない。
 ・・・もちろん、いわゆる"負け組"である俺は、「相手が幸せさえなってくれれば、自分のことはどうでもいい(笑)なんて美辞麗句で恋愛感情が片付けられないことは理解している。だが、自分が上手く行かないことを理由に「相手を殺してしまう」などというのは、そもそも実行可能な事なのだろうか?
 ――いいや、俺にはできない。相手を殺すくらいの覚悟があるのならば、自分を殺したほうが遙かに楽であるし、自分を殺すくらいの覚悟があるのならば、我慢して生きていくほうが遙かに楽である。人を殺すとか怖いし、かといって自分を殺すのも怖いから・・・結局は、生きていくしかねえってことじゃん(´・ω・`)

 しかしながら。
 (おだ )てれば犬だって木に登るのと同じように、俺にだって気合さえあれば、どんなことでもできてしまう。つまるところ・・・萌えな女子本郷生に対して、牙を剥きながら(;^o^)「じゃあ、君を殺して僕も死ぬ!」などと迫ることが可能なのである!!
 ――ただ。俺には昔から、肝心なところで言葉を言い間違えてしまう癖がある。緊張すると頭がグルグルしてしまい、用意していた言葉を紡ぐことが全くできなくなってしまうのだ。だからこそ、"命を懸けて想いを寄せる相手に迫る時"にも、次のように失敗して可能性が存在するのである・・・。



登場人物
( ^o^) ←俺
(;^ワ^) ←女子本郷生



( ^o^)「僕を殺して君も死ぬ!」

 (^ワ^;)「えっ」
(;^o^)「えっ」
 (^ワ^ )『僕を殺す』んですか」
( ^o^)「そうです、君を殺すんです」
 (^ワ^ )「でも、最初に死ぬのはあなたですよね」
( ^o^)君が殺して僕が死ぬんですか」
 (^ワ^;)「えっ」
(;^o^)「えっ」
 (^ワ^ )君が殺して僕も死ぬんですよね」
( ^o^)僕が殺して君が死ぬんですよ」
 (^ワ^ )「つまり、君が殺して僕も殺すんですか」
(;^o^)「えっ」
 (^ワ^;)「えっ」
( ^o^)君を殺して僕も死ぬ!
 (^ワ^ )「なにそれこわい」
(;^o^)「えっ」
 (^ワ^;)「えっ」





 


●2010年11月15日(月)

 
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 ( ^o^)「ついに俺も、Twitterを始めてみましたッ!!」
 ――いやあ、"ツイッター"と言えば、今をときめく話題のサービス。それは何やら、「つぶやき」という書き込みを身近な人々と共有できるシステムらしい。特徴は、その"つぶやき"という名前が表わしている通り、とにかく気軽に書き込めること。要は、自分で適用範囲を決められる1行掲示板のようなものなのであるが・・・昨今では非常に多くの人々/団体が「Twitter」を通して発言しており、それらの書き込みに興味があるのならば、利用していく価値があると言えよう。
 ・・・やれやれ。「自分のホームページ」を持つことが最先端だった時代は、もはや大昔である。"全米で大流行!"と胡散臭い文句で「ブログ」が登場し、それから「mixi」が発展したと思ったら、その次は「Twitter」か。それにしたって、これだけインターネットで「気軽」という要素が重要視されるようになってしまうと、もはや「日記」なんかを書いている奴は、本当に何もすることが無くて、友人も彼女も居ないような暇人しか残っていないんだろうな。ははは。俺だよッ!!

 俺は、今となっては古めかしいHTML形式のホームページを運営していることからも分かるように、インターネットでは「保守派」の立場を取っている。
 ・・・ところが俺は、別に新しい物を全て拒絶しているというわけではなく、むしろ逆に、サイトに合うような形で新要素をどんどん取り入れようとしていると言える。例えば、「動画サイト」が流行った時には、既存の「やり込みプレイ日誌」の機能を全て動画サイトに移転するという考え方もあったのだが・・・それは行わず、逆にやり込みプレイ日誌のほうに「動画サイト」の要素を馴染ませていくことになった。ちなみに、今でも「動画とテキストの融合」という課題は、目下研究中だったり。
 ――そして、今流行の「Twitter」も、ひょっとしたらサイト運営に何らかの形で利用できるかもしれない。いや、多くの人が「つぶやき」を楽しんでいる現状を鑑みれば、少なくとも"ツイッターの運営理念"自体は、決して学んで損は無い物であろう。そしてそのためには、実際に「Twitter」に触れてみるのが一番なのである。

 ・・・ということで。
 "新しい時代のネットサービス"に対する勉強も兼ねて、俺も【owata_tsurutyo】という名前でツイッターを始めてみましたッ!
 内容は、リアル世界とネット世界が入り乱れた公私混同(?)な感じになると思われますが・・・物好きな方がいらしましたら、どうぞ「フォロー」をお願いします\(^o^)/




 

 テレビアニメを作っている「アニメーター」は、やれ薄給だ、やれ激務だなどと、その負の部分ばかりが強調されてしまう。
 ・・・しかしながら俺は、「映画監督」「作曲家」「漫画家」などの人々と同等に、いやそれ以上にアニメ制作者はクリエイターであると思うのだ。

 なぜそんなことを考えるのかと言うと、それはひとえにアニメの出来が素晴らしすぎるからである。というのも我々は、毎週のように放映されるテレビアニメを見て、そのあまりの出来映えに( ^o^)「きっとこれはコンピューターの自動処理(?)か何かで作ってるんだろうな・・・」などと思ってしまう。しかしながら、所詮アニメは"紙芝居"。膨大な量の手作業によって、力押しで「動くイラスト」を作っているに過ぎないのだ。
 ・・・例えば、遊戯王5D'sの第107話【2010/10/12】を例に取ると、動画関連だけで実に55人もの名前がスタッフロールに連ねられている。それだけの人数が2〜3ヶ月間毎日のように絵を書いて、やっと1話・20分強のアニメが出来上がっているのである。これだけでもう、アニメ制作者の方々には頭が上がらないってもんだよ(´・ω・`)
 ――それに加えて、そのアニメーションのクオリティがこれまた素晴らしいのだ。これだけ大勢の人が関わるプロジェクトとなると、そもそも遊戯王が好きではなく、(;w∀w)「仕事だから描いてるんだよ」などというアニメーターさんも居ることであろう。だがしかし、そんなことは視聴者側には微塵も感じさせない。むしろ逆に、制作者さんたちは心の底からアニメが好きなんだなと思わせてくれるような名シーンばかりを演出してくれるのである。

63話。カード曲がってるェ・・・ 50話。次回予告のこのシーンが当時衝撃的だった
107話。この回は他にも良い構図が多すぎる・・・ 78話。キチアーノ可愛いよキチアーノ


 どれもこれも、単体のイラストとして見ても遜色の無いクオリティを誇っているが、実際のアニメではこれが動くのである。もちろんそれは「アニメ」である以上当たり前のことなのだが・・・そんな映像を我々が楽しめるのは、大勢のアニメーターたちが身を削り、体を粉にして働いてくれているおかげなのだ。
 ――まったく。「クリエイター」ってのはホントに凄い。心の底から自分の仕事に誇りを持っている人たちが、様々な手段で我々を楽しませる物を"創って"くれている。技術が有って、才能が有って、仕事自体も好き。そんな人が全力を尽くして、他人を喜ばせる物を作り上げる。「仕事」って、そういうのが理想だよなあ。

……………

 俺の人生を狂わせた(ヽヽヽヽ)最大の要因を挙げるとすれば、それは間違い無く「実家を出て一人暮らしを始めたこと」である。もちろん個々の要素としては、「大学での学問に上手く馴染めなかったこと」「対人関係が上手く行かなかったこと」「バイトが軌道に乗らなかったこと」、そして「進級できずに留年してしまったこと」などもあるが・・・それらは全て、「大学に通うため東京での一人暮らしを始めた」ということに端を発している。もし、俺が今でも家族と共に暮らしていたとしたら、俺の大学生活は――いや"俺の人生"は、全く異なったものになっていたことであろう。
 ・・・やれやれ。「社会勉強になる」とか「好きなだけゲームができる」とか(^p)^「彼女作って家で遊び放題だぜあばばばばばばっばばb」なんて思っていた頃のワクワク感はどこへやら。今から言ってしまえば、「一人暮らし」なんてロクなものではない。部屋は狭くてどんどん汚くなっていくし、ご飯は3食とも温めるかお湯を掛けるだけのレトルト食品。お金が無いため物を新しく買い換えることもできず、壊れた物は壊れたままだし、着ている服はボロ切れのように擦り切れていく。寒い夜に帰ったとしてもそこには誰もおらず、誰とも喋らないまま、ただ服を着替えてネットの掲示板を見て、床に就いて一日を締めるだけである。
 ――まったく。そんな「一人暮らし」には、およそ人間らしいところが存在しないではないか。それを3年半も続けた俺は、もう完全に疲れ果ててしまった。恐らく俺の心も、"何年も着た古着"と同じように、ボロボロに擦り切れてしまったんだろうな('A`)

 だからこそ俺は、この年になって( ^o^)「家族っていいな・・・」と思い始めたのである。
 ――「家族」は、健康で文化的な生活を与えてくれる。生存を保証してくれることはもちろん、暖かい空間を作り上げ、会話によって心を繕ってくれる。もちろん、家族と言っても人間同士の関係である以上、いつも順風万欄というわけには行かないであろう。だがそこには、人が「人」として生きていくために必要な要素が、全て詰まっている。少なくとも、悲哀と孤独で塗り固められた「一人暮らし」よりは、遙かに人間らしい生活が送れることであろう。
 ・・・それだけに。もし、これから「一人暮らし」を始めようと思っている方が居るとしたら、よく考えて欲しい。あなたは果たして、「たった一人」で生きていけるのか。凍えるような夜闇の中でも、希望を失わずに歩んでいけるのかと。――俺には、無理だった。「世界最高水準の学問に触れる」とか「青年時代の掛け替えのない仲間」とかそういう文句で自分を鼓舞し、何度も前に進もうとしてきたが・・・それも限界。たった一人の「一人暮らし」なんて、もうたくさんだよ('A`)
 だから、もし俺が無事に大学を卒業できたとしたら、その後は家に帰って家族と暮らそうと思っている。それ以上の物は求めても、もう何も手に入りやしない。俺は大学に入って初めて、自分の無力さを理解することができた。何の役にも立たず、誰の心も動かせない。でも、家族なら・・・"家族"なら、俺を一人の人間として認めて、そして支えてくれる。だから、もし俺に「能力」とか「人生」なんてものが残っているとしたら、そんな"家族"という人たちのために用いるのが道理というものではないか。

 ということで。今日は、いつもの日記とは作風を変えて、俺の家族を紹介してみることにしよう。
 ・・・俺の家庭は6人家族。特に裕福な家庭というわけではなかったが、父親が"とある仕事の重役"に就いていたおかげで、資金的には満足な生活を送ることができた。親は、学校教育に熱心というわけではなく、しつけも甘過ぎでも厳しすぎでもなく・・・総合すると、割と普通か、または幸せなほうの家族だったように思う。
 そんな家庭に、俺は産まれた。幼かった頃(今も?)はゲームばかりしていたが、中学・高校の一時期に勉強をしてみたらグンと成績が伸びて、それで調子に乗ってしまい、ついには東京の有名大学に入学するに至った。まったく、三男っていう一番どうでもいいポジションの癖して、俺が家族で一番面倒な奴なんだな('A`)
 ――そんな我が家の家族構成は、父・母・兄・兄・俺・妹である。俺はコレなので説明不要として、さっそく他の5人を紹介してみようではないか・・・!




1 「俺と妹」編


   恋愛でもしろよ...     ,,,-ー-ー-ー-ー―-ー-ー-ー-ー-ー-―-ー-ーー-ー-ー
       ____       | あ、もしもし、お兄ちゃん!?
     /     \     / この前、遊戯王カードの最新パックを買ったら
   /::::::::::::::::    \ _ 「シューティング・スター・ドラゴン」のホロが当たったんだよ!
  /::::::::::::::::  U    || |  凄いでしょ!今度家に帰ってきたら見せてあげるよ。
  |::::::::::::::::::::::::   U ∩! ,ヽ | あと「ナチュル・チェリー」はやっぱりキモかわいいよね。
  \::::::::::::::::       | ー ノ |  あれを入れておけば無理なく「ナチュル・ビースト」が召喚できるよ。
   | :::::::::::::::    | i j   | 今度お金を貯めて、【ナチュル】のデッキを作ってみようかなあ・・・。
   |  :::::::::::::    ゝ__/   | あ、それから前に言ってた「巨大ネズミ」のリクルート先として
   |  ::::::::::     /    | 「N・グラン・モール」ではなく「ならず者傭兵部隊」を入れる理由は
  (__(__   ヽ    | 「大嵐」が禁止になってから除去カードが蔓延して
  /  ,_/  ___ノ     | 「奈落の落とし穴」以外に「次元幽閉」も積まれる傾向にあるから
  `ー'  `ー'         | そういう環境で、相手を対象取って除去できるというのは十分に
                 .'''ー--ー-ー-ー―-ー-ー-ー-ー-ー-―-ー-ーー-ー-ー





2 「俺と下の兄」編


           ∧_∧
     ∧_∧  ( ^o^  ) 「兄ちゃん、このゲームなんて言うの?」
    ( ´_ゝ`) /   ⌒i   「ああ、『ファイナルファンタジー8』っていうんだ」
    /   \     | | 
   /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
 __(__ニつ/ テレビ / .| .|____
     \/____/ (u ⊃



 _人人人人人人人人人人人人人人人_
 >   これが俺とFFとの出会いだ   <
  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄


          ヘ(^o^)ヘ
             |∧
            /





3 「俺と上の兄」編


      r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/      >::::::::::ヽ
.      〃  ヽル1'´        ∠:::::::::::::::::i
       i′  ___, - ,. = -一   ̄l:::::::::::::::l
.      ! , -==、´r'          l::::::/,ニ.ヽ
      l        _,, -‐''二ゝ  l::::l f゙ヽ |、 金に困ったら俺に相談しろ
        レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_   !:::l ) } ト
       ヾ¨'7"ry、`   ー゙='ニ,,,`    }::ヽ(ノ  少しくらいなら貸してやれるぞ!
:ーゝヽ、     !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、       ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{   __)`ニゝ、  ,,iリ::::::::ミ  お前の兄ちゃんは8万円踏み倒してるけど
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ ,  
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::/// な!
:::::::::::::::::::::::::::::l ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /
::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ /





4 「俺と母」編

J( 'ー`)し げんきですか。いまめーるしてます
(`Д)   黙れくそ女 メールしてくんな
J( 'ー`)し ごめんね。おかあさんはじめてめーるしたから、ごめんね
(`Д)   うるさいくたばれ 殺すぞ
J( 'ー`)し お金ふりこんでおきました。大学ではがんばってね。しんぱいしています
(`Д)   おい いい加減にしろ
J( 'ー`)し けっして無理はしないでください。おかあさんは、あなたが元気なだけでうれしいです
(`Д)   やめろって言ってるだろ
J( 'ー`)し 好きだったクマのマグカップをもたせましたが、いまでも使えていますか
(`Д)   もうやめろよ...
J( 'ー`)し あなたがりっぱな大学にいってくれて、かぞくみんながほこりにおもっています
(`Д)   ...
J( 'ー`)し とうさんがいないので、家はおかさあんと妹のふたりです。それでもたのしくやってます
(´・ω )  ...どうしてこんな母さんを残して 東京に来てしまったんだろう...
J( 'ー`)し おねがいだから元気に大学をそつぎょうして、ぶじに家までかえってきてください
(´;ω )  やめてお母さん、一人で生きていくのが辛くなるからやめて
J( 'ー`)し ところで、妹がさいきん遊戯王におかねをつかっていますが、あなたのせいですか
(`Д)   おいやめろ




5 「俺と父」編

       ______
   _、_ ∠...まあ、座れよ |
 ( ,_ノ` )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∂u          ┏(^o^ )┓
     / ̄ ̄           | |



       ________ ∧∧∧∧
   _、_ ∠お前 彼女は出来<やめろォ!!>
 ( ,_ノ` )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∨∨∨∨
     ∂u          ┏(^o^;)┓
     / ̄ ̄           | |



       _______ ∧∧∧
   _、_ ∠今って大学何年 <よせェ!!>
 ( ,_ノ` )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∨∨∨
     ∂u          ┏(^o^;)┓
     / ̄ ̄           | |



       ___________   ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
   _、_ ∠...どうだ、生活は楽しいか |  < うん すっごく楽しいよ!!   >
 (;,_ノ` )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  < 最近ホームページで連載した >
     ∂u          ┏(^o^*)┓ < やり込みが評判良くて 続編を>
     / ̄ ̄           | |     ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨


                                      ┼ヽ  -|r‐、. レ |
                                      d⌒) ./| _ノ  __
                                      ================
                                      制作・著作:我が家





 


●2010年11月17日(水)

 「ファンサービス」の理想形とは、果たしてどういうものであろうか。
 ・・・そもそも「ファンサービス」というのは、元々は"顧客への気配り"を表わす和製英語であり、それは一つには、芸能人やスポーツ選手が「握手会」「サイン会」「投げキッス」などを行うことを指している。なるほどそれは、有名になりながらも一人一人の愛好家(ファン)を大切にするという、まこと著名人のあるべき姿であろう。
 ――ところが、我々の愛する「漫画」「アニメ」「ゲーム」では、前面に出てくるのは作中の登場人物であり、クリエイター自体に興味が持たれるわけではない。そのため、それらの文化における「ファンサービス」というと、もっぱら「ファンを喜ばせる物を作ること」を指す。なんだ、"人の機嫌を取ろうとする"という意味で、スポーツ選手のファンサービスもゲーム制作者のそれも、何ら変わりは無いではないか・・・と言いたいところであるが、実はこれが全く異なっているのである。
 というのも、例えばスポーツ選手の「ファンサービス」――握手会やサイン会や投げキッスは、その全てが場外で行われるものである。ところがゲーム制作者の場合は、表現の形が「ゲーム」しか無いため、その範囲内でファンを喜ばせるしかない。つまるところ、それは場内で行われるものなのだ。そして、それらの「場外」「場内」の違いが、両者の「ファンサービス」の在り方に決定的な影響を与えているのである。

 ・・・と。ここまで書いて、ちょっと何を言っているのか分からない感じになってしまったので、そろそろ具体例を挙げてみることにしよう。
 今から1年ほど前。アニメ「遊戯王5D's」で、通称「鬼柳編」と呼ばれるシナリオが放映された。これは、作中で以前に登場した「鬼柳京介(きりゅうきょうすけ)」という人物の"その後"に焦点を当てたシリーズだ。鬼柳はファンからの人気が非常に高いキャラクターであり、俺も最初は楽しみしていたのだが・・・それが怒りを覚えるほどにつまらなかったのである。まあ詳しい理由は当時の日記【2010/01/13】を見ていただくとして、簡単に言うと「露骨にファン受けを狙い過ぎていた」んだな(´・ω・`)
 ――また、もう一つ例を挙げよう。その昔、「マザー3」というあまり出来の良くないゲームをプレイした【2006/04/30】のだが、その終盤では、"名作"とされた前作「マザー1」「マザー2」の要素が数多く使われていた。イラストや小道具が登場したのはもちろん、なんとエンディングテーマの1/2が前作までの曲という徹底っぷりである。しかも、「3」のオリジナル部分が十分素晴らしかっただけに、歴代シリーズのBGMを使う必要性には、甚だ疑問符が付いてしまうんだよ('A`)

当時の感想:「やっと終わってくれた」 もはやファンサービスというより"言い訳"


 さて、これら2つの「駄目なファンサービス」に共通していることは、どちらも「作品自体の出来の悪さを、ファンの感情で覆い隠そうとしていること」である。上記の場合でも、それが単品の作品としてしっかりと完成されていれば、過去の名場面を用いるような演出も十分に"アリ"だったであろう。だが現実は逆で、2つの例はともに、はっきりと出来が悪い。そんな穴を、"過去に評判が良かった要素"を利用して埋めようとしているのが、「駄目なファンサービス」なのだ。
 ・・・何故それが「駄目」なのかと言うと、まずはクオリティの低い作品に過去の名場面が利用されるのが嫌だし、それに加えて( @∀@)「ホラホラ、こういうのが見たかったんでしょ? これで満足でしょ?」などという制作者側の底の浅さが、これまた不快感を催すほど気に入らないのである。
 ――まったく。斜陽気味のスポーツ選手が試合中にご機嫌取りのパフォーマンスをするのを見て、一体どこの誰が喜ぶというのだ。アスリートは「場内」で魅力的なプレーを行って初めて、「場外」で"気配り"というファンサービスを行うことが許される。ならば、「場外」が存在しないアニメやゲームのクリエイターが行うべき"ファンサービス"とは・・・もう皆さん、お分かりであろう(´ー`)




 

 前に読んだ小説「西部戦線異状なし」では、「腸詰」という言葉が何度か出てきた。はて、"ちょうづめ"? どうやらそれは「豚肉を使った食品」だということが文中からは推測できたが・・・その詳しい内容までは、ついに小説を最後まで読んでも理解することができなかった。
 その後、気になったのでインターネットで「腸詰」という言葉を検索してみると・・・ああ、やはり。それは「ソーセージ」のことだったのである。小説「西部戦線異状なし」の主人公はドイツ兵であり、そのドイツで有名な豚肉の料理と言えばソーセージ。そんな、中学校の地理で学んだ無駄知識が、ちょっとだけ役に立ってくれたのだ。
 ――ちなみに「腸詰」という言葉の語源であるが、予想通りというか何というか、元々は動物の腸に肉を詰めて作っていたことに由来するらしい。現在では諸事情を考慮して腸の皮を使わない場合もあるが、最終的な形が似ていれば、そういうのも「ソーセージ」と呼ぶんだとか。

 ・・・ということで、取材用として「腸詰」を食べている俺なのであるが・・・やはりどうしても、こういう物を食していると邪念が流れ込んできてしまうのである。ほら、「赤くて長い肉の棒」じゃん? それを「食べる」って・・・ねぇ。しかも名前が「腸詰」。いったい腸に何を詰めると言うのだ・・・。
 しっかしまあ、自分が勝手にアレコレ妄想してしまうのは俺が変態だから(こずえちゃん的な感じで)という理由でOKなのだが、周りにそれを煽られてしまうと腹が立つ。例えば、カレーを食べている時には( ・∀・)「そういえば、昨日のウ○コはベチャベチャだったな・・・」などと言ってくる文字通りのクソ人間が必ず出てくるが、それと同じでソーセージを食っている時にも( w∀w)「どころでこの肉棒を見てくれ。こいつをどう思う? すごく・・・大きいです・・・」などと話しかけてくる輩が存在するのである。
 ――おい、やめろッ! 「皮が剥けちゃいました先パイ////」とか言うな! 「チュパチュパペロペロwwww」とか妙な擬音を立てるな! くわえたまま上目遣いでこっちを見つめてくるんじゃないッ!! くそっ、うれしい・・・。悦んじまって飯が食えないだろが・・・(;^o^)

……………

 生命の遺伝情報は、「A」「T」「G」「C」と呼ばれる要素のみによって記述されている。これはそれぞれ「アタック」「トップ」「ガード」「キャリア」を示しており、アタックはその名の通り「攻撃」を、トップは頭脳なので「効果の無効化」を、ガードは「防御」を、そしてキャリアは「全体のバランス調整」を担当している。そしてパーツには、それぞれの部位にLv1→Lv3→Lv5という3段階の強化形態が存在し、上位のパーツに付け替えることで、その能力を更に強化することが可能なのだ。
 具体例を挙げると、「スキエルA5」は"相手モンスターを無視して直接攻撃する"、「ワイゼルT3」は"1ターンに1回、魔法・罠を無効化する"、「グランエルG」は"装備したシンクロモンスターを盾にする"、「スキエルC5」は"1ターンに1度戦闘を無効化し、相手モンスターを破壊した時に300ポイントのダメージを与える"という能力を持っている。これら4つのパーツが組み合わさって、機皇帝という1体のモンスターが形成されているわけだ。
 ――そして、これらのパーツには全て互換性があるため、例えば「機皇帝スキエル∞」「ワイゼルA3」を装備させることもできてしまう。もちろん、元々の機皇帝には部位ごとの弱点を補うような能力が設定されているのだが、様々なパーツを組み合わせ、独自の進化を模索するのも面白い。君だけの最強機皇帝を作り上げろ!週刊「イリアステル」、創刊号は250円。付録カードは「機皇帝ワイゼル∞」!!

 ・・・と。ここまでまるで意味の無い文章を書いてしまったが、遺伝子を構成する「A」「T」「G」「C」とはそれぞれ「アデニン」「チミン」「グアニン」「シトシン」という塩基物質であり、その配列によって生物の遺伝情報が決定される。この世界の多彩な生物も、そのほぼ全てがたった4種類の塩基物質によって記録されているのである。あのおいしそうな豚肉も牛肉も女子本郷生も、その実は全て「A」「T」「G」「C」の4文字だけでプログラムされているのだ。
 ――まったく、俺は理三ではないが、これにはさすがに生命の神秘を感じざるを得ない。この世界の生命が、たった4文字の組み合わせで設計されていると聞いて、一体誰が信じるというのだ? 仮に人間だけに絞ったとしても( ^o^)ノ「またまたご冗談を(AAryという話なのに、他の動物や植物でさえ、同じく4つの塩基の配列で記録されているなんてことになると、これはもう「生命の神秘」としか言いようが無いのである。
 そして、そんな環境に身を置いていると、我々は様々なことを考えてしまう。こんなにも美しい世界に、どうして我々は醜く生まれてしまったのだろうか。自然の壮大さを前にして、我々はただ小さく縮こまるしか仕方が無い。あまりの凄惨さに居たたまれなくなるほどだ。オワルセカイ、コワレルキミ。悲しいね。だけど(以下ry

 ということで、ここまでの話を纏めてみよう。機皇帝は、シンクロモンスターを吸収して攻撃力を上げる「機皇帝グランエル(インフィニティ )などの本体と、その名を冠したA(アタック )」「T(トップ)」「G(ガード )」「C(キャリア )の4つのパーツが組み合わさって構築されている。その一方で、生命体はA(アデニン)」「T(チミン)」「G(グアニン)」「C(シトシン)の4つの塩基配列によって情報が記録されている。そして両者の間に関連性が有るのかというとまったく無いのだが、ある程度の文字数を稼がなければならなかったので・・・。
 ――それはつまり、この美しいセカイ(一発変換)は全てたった4種類の記号によって設計されているということである。世間の人々は理系科目にはあまり興味が無いようだが、この「遺伝情報の記述方式」くらいには、さすがに驚きを抱いて欲しいものだ。少なくとも、俺は驚いたよ・・・。



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 / 一 ー\  < 生命の遺伝情報は、全て「A」「T」「G」「C」の塩基で記述されています >
/  (^) (^)  | < あなたも、あなたの家族も、あなたの恋する女子本郷生も         >
| //  ○ // | < その全てが、たった4種類の記号によって設計されているんですよ    >
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/ //   ///ヽ < まあ俺の彼女は「0」「1」だけで記述されてるんだけどね >
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        しwノ





 


●2010年11月20日(土)

 今年も、この時期がやってきましたね。そう、毎年恒例の「駒場祭」でございます!
 ということで、大学34年生の俺も、しばしの間リア充行為を満喫してくるため、その間サイトの更新がまばらとなってしまいます。皆さまには、ご迷惑をお掛けします・・・。
 ――よしッ! その分だけ今回の駒場祭では、女子本郷生に萌えてきてやるぞッ!!\(^o^)/


 


●2010年11月25日(木)

 4日間も更新をサボってしまい、申し訳ありませんでした。11月21日(日)〜11月23日(火)に掛けて行われた駒場祭が、無事に終了いたしました!
 ――と言っても、俺はネタに使う写真を撮っていただけであり、主立った仕事は何もしていないんですがね・・・。まあそういうお手伝いは、2年生や3年生がやれば良いでしょう。働きたいと思っている人は大勢居るし・・・何より、あと1ヶ月で卒業する4年生が1年生と仲良くなっても仕方無いですしね(;^o^)
 俺としては、以前から【2008/3/15】歌いたかった"真理ちゃん"こと千原英喜の「マリア・オリエンタリス」が歌えたので、とても満足の行く駒場祭となりました。一緒に歌ってくれた方々には、本当に感謝の念が尽きません。もし来年が有ったとしたら、また何かやりましょう! 最近のマイブームは「どちりなきりしたん」です。

 さて。
 去年の駒場祭で俺は、こんなことを書いた。「自分が居なくても何の問題も無いと分かって、とても悲しい」【2009/11/20】。俺は、未熟なりにも様々な方面に働きかけ、様々な人に影響を与えようとした。そうやって、自分の存在意義を確かめようとした。・・・だけど世間は、そんな俺にとんと(ヽヽヽ)構わず、新たに出来た仲間と親睦を深めていった。まあそれは、俺が無力だから仕方無いことなのだが・・・それでもやはり、自分が他人にとって何の意味も無い存在だと気付き、とても俺は悲しかったのだ。
 ――だがしかし、今年の駒場祭では逆に、俺は「自分が居なくても何の問題も無い」と気付いてとても嬉しく思えたのである。いやちょっと何を言っているか分からないと思うが、単純に「自分が居なくても、ちゃんと後輩達は成長していける」と信じられたからだ。やれやれ、嫉妬心の固まりであったような1年前の感情と比べると、今年の「安心できた」という所感のほうが、よっぽど理に適っているではないか。
 しかし、「素直に安心ができた」ということは・・・俺は知らないうちに、どこかで何か"自分の存在意義"を見付けていたということになるな。ははっ、まさか。

 何はともあれ。
 去年の日記を書いた時には分からなかった「4年生が1年生を見つめる感情」。それは、「安心」というものであった。
 ・・・あんな素晴らしい後輩たちが居るのだから、きっとこの先も、素敵な歌が流れ続けてくれることだろう。そう信じられて、やっと俺も"卒業"できるってもんだよ。


 

●2010年11月26日(金)
聖府(笑)降誕神座(笑)
賛歌拝廊
(笑)聖誕座(笑)

 この駒場祭の期間には2回の飲み会があったのですが、そこで俺はとても気持ち良く酔うことができました!
 ・・・思えば、この数ヶ月間。飲み会と言えば、「誰々と話したい」とか「誰々とは話したくない」とか「誰々と誰々が仲良くしてるのが気に入らない」とか・・・そういった、およそ世間で最も醜悪な類の感情を抱く場合がほとんどであった。「嫉妬」は、誰の心にでも潜む魔物。友情を食い潰し、信頼を踏み躙って肥大化する。そんな"魔物"が、俺の心には宿っていた。まったく、恐ろしいことである。この手で、どれだけの人を傷付けてきたのだろう。厨二病っぽい書き方だがリアルな話。
 ――しかし。何はともあれ、俺もそんな「(しがらみ)」からやっと脱却することができた。だからこそ冒頭で書いたように、「飲み会」で誰かに対して嫉妬の目を向けるのではなく、素直にその時間を楽しめるようになったのだ。この「素直」って言葉を最近多用してるけど、それまでの俺はどんだけひん曲がってたんだよっていう(;^o^)

 ところで、飲み会で「誰々が――」という考えを持つということは、つまりその「誰々」に関して何か特別な感情を抱いているということである。それは「好意」かもしれないし、あるいは「悪意」かもしれない。だけれども、それが仮に「興味の無い相手」であったとしたら、素っ気ない態度を取られたとしても、一切何も感じないことだろう。その人物に「何らかの興味」を持っているからこそ、辛く思ったり、誰かに対して嫉妬の感情を抱いたりしてしまうのだ。
 ・・・つまるところ俺は、今まで「誰かに興味を抱いていたから、飲み会が素直に楽しめなかった」ということになるのである。いや、「飲み会」だけに限らず、普段の生活だってそうかもしれない。誰かに何かを期待するから、それが裏切られて傷付くことになる。やれ、お金も時間も手間も掛かっているというのに、勝手に自分で何かを望んで、勝手に辛い気持ちになっていく。それってどうなのか。「誰かに何かを求める」のは、果たして正しいことなのだろうか?
 ――いや、そういった「人間の欲求が正しいか否か」という話は、それこそ「戦争は正義が悪か」みたいなもので、どうせ解決不可能に決まっている。だったら、そんな難しいことを考えるのは止めよう。俺は、「素直」に生きていくことにするよ。

……………

 FFシリーズ最新作、PS3「ファイナルファンタジー13」では、当初その奇怪な固有名詞が大きく話題になった。発売前情報に限っても、「コクーン」「ファルシ」「ルシ」「パルス」「パージ」等々・・・。この手の用語は、ファンタジー系RPGには"ありがち"であるが、FF13では特に耳慣れない用語が多かったため、発売前から「厨二病」の烙印を押されてしまうに至ったのである。みんな大好き光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女騎士(こうそくのいみょうをもちじゅうりょくをじざいにあやつるこうきなるおんなきし )とかもあったしね。
 ・・・しかしながら、そんなものは真の厨二病を覆い隠すための隠れ蓑に過ぎない。というのもFF13のシナリオは、前半部の「メンバー内の人間関係が描かれるパート」と、後半部の「6人が団結して世界の危機に挑んでいくパート」の2つに分けることができるが、その後者がとにかく厨二病なのだ。分水嶺の9章では唐突に黒幕が現われ、厨二病の基本・ラテン語のBGMが流れる。そして黒幕が「お前達の行動は全て私が操っていたのだ!」と言い放ち、ストーリーは急展開を迎えるのである。
 ――そして、ラストの13章。そのダンジョン名は「降誕神座/オーファンズ・クレイドル」であり、最終セーブポイントの名前は「賛歌拝廊」。そしてラスボス戦の舞台となるのが「聖誕座」である。なぜ「生誕」ではなく「聖誕」なのかと言うと、それは全ての人間の犠牲によって「神」が降誕する"記念"すべき場所だからである。そして「賛歌」とは、"神々の黄昏(ラグナロク)"による"怒りの日(ディエス・イレ )"で世界を救う歌のことであり、劇中ではラスボス戦のBGMとして流れてくれる。
 ちなみに、「オーファンズ・クレイドル」は"孤児の揺り籠"という意味であり、一般にはストーリーの根幹に関わる「ファルシ=オーファン」を指す言葉として理解されているが・・・"孤児"を「神に見放された人間とファルシの両方」、"揺り籠"を「コクーンそのもの」と捉え、その視点からストーリー全体を解釈してみるのも面白いだろう。

"いかにも"なFFのラストダンジョン 病院の廊下みたい。綺麗すぎて不気味・・・

ラストダンジョン
「降誕神座 オーファンズ・クレイドル」

オーファンズ・クレイドルの最深部
「賛歌拝廊」

 
ここでのイベントのクオリティは圧巻。もうムービーとかいらね ミ^o^|^o)ノ < やっと本家日記にも出れました

ラスボス戦の舞台
「聖誕座」

ストーリーの根幹に大きく関わる存在
「ファルシ=オーファン」


 ・・・と、まあ。もはや発売前に「聖府(笑)などと言って煽っていたのが恥ずかしくなるくらいに、FF13の本編は厨二病だったのである。
 ただ、前にも書いたように、この手の厨二病路線が俺は嫌いではない。むしろ逆に、FF13くらいぶっ飛んでくれていたほうが好きである。例えばFFなら、前作の「ファイナルファンタジー12」でも"神"と呼ばれるような存在は登場したのだが、それはあくまで傍観者的な立ち位置であり、その"神の力"を扱う人間同士の戦いが物語のテーマとなっていた。ところがどっこい、最新作のFF13ではそれが一変し、"創造主"を名乗る敵を相手に、世界の存亡を懸けて戦うことになるのである。
 ――というわけで、FF12とFF13ではストーリーの方向性が(ま)反対(はんたい)なわけなのだが、そこで俺はFF13のほうが好きなのである。もちろん、両者の間には演出方法の違いが存在するのだが・・・こういうファンタジー系RPGでは、いかに「現実」「非現実」を融合するかがカギとなる。だから、「人間同士の戦争」などという現実的なテーマよりも、それこそファンタジーな世界観のほうが魅力的に感じられるのだ。
 ・・・しかしながら逆に、「神を倒しちゃったけど、俺たちの世界はここからだ!完ッ!!」なFF12や、「人間同士の争いには終止符を討ったけど、この先どうなるかは分からんよ」なFF13も、ちょっとだけ見てみたかったりする。ほーんと、興味本位でちょっとだけ。いや多分、どちらも間違い無く糞シナリオになるだろうが・・・。

 さて。
 そんなこんなの厨二ゲーFF13であるが、先頭に立ってくるのは「賛歌拝廊」「聖誕座」などの回りくどい言葉ではなく、やはり「聖府(笑)などの珍妙な用語である。普通に"政府"と書けば良いのに、何故か「聖府」・・・。いやこれは恐らく、あえて厨二病な用語を使って相手の興味を惹く、非常にハイレベルなギャグなのだろうが・・・。
 だがしかし、政府を「聖府」と表記するということは、である。FF13の第1章でサッズが「そんなの(『パージ』なんて)政治でもなんでもねぇ」と憤るシーンが存在するが、これは誤植であり、「そんなの聖治でもなんでもねえ」と表記するべきであろう。そしてコクーンの議会では、毎日のように聖治家たちがあくせくと働き、聖府の不聖事(ふしょうじ )を追求している。彼らが目指すのは、もちろん聖権交代である。コクーン市民の日常聖活を守るため、聖治家たちは日々戦っているということなのだ。
 ――と、こんなノリで書いてみたとしたら、おカタい政治も楽しくなるのではないだろうか。そう思った俺は、さっそく「日本の聖治」について考えてみたのである・・・!


日本聖府 内殻

内殻創理大臣:鉋音
創武大臣:硬山義尋
宝六大臣:柳蛇蓑流
骸務大臣:真衛原聖司
罪無大臣:乃堕蘆肥子
門武火學大臣:多火器由亞季
光聖廊道大臣:細革立惡

悩躙粋産大臣:彼之未知卑故
卿材讃仰大臣:大生旗秋平生
國土皇通大臣:真淵炭悪
監教大臣:抹基龍
亡栄大臣:騎多座環徒死美
冠暴超官:閃獄世死斗
特瞑誕刀大臣:憐呆




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●2010年11月29日(月)
デモクラティック
パーティ!

 とある後輩の「女子本郷生」の話。
 その人はとってもチビなのだが、器量のデカさは人一倍。いつも元気に話して、周りの人を笑顔にしてくれる。ただの八方美人というわけでもなく、バリバリと仕事を進める手際の良さや人並みのネタ要素も併せ持っており、先輩後輩や男女を問わず、誰からでも好かれる凄い人である。
 ――そしてもちろん、俺もその人のことが大好きなのだ。サークルの練習でその人を見かけると嬉しい気持ちになるし、逆に居ないと悲しい気持ちになる。話した時にはいつも俺を笑わせてくれるし、ネタを振った時には俺の喜ぶような言葉を返してくれる。普通の人には話せないような込み入った相談をしたことも、一度や二度ではない。実はその人は浪人生であり、世代的には俺と同じだったりするのだが・・・そんなことは関係無しに、先輩後輩の関係を超越した「大切な仲間」だと思ってきたのだ。

 さて。俺は仕事柄、その人と関係が深い身分にあり、先日も同じ役職を務めた数代の先輩後輩と一緒に飲み会へと行ってきたのである。
 ・・・俺の席は、特に狙ったというわけではなかったが、その人の目の前であった。そこで俺は、26日の日記にも書いたように「とても気持ち良く酔う」ことができたのだ。日頃の悩みや苦しみも忘れ、自分の気持ちを自分の言葉で表現できて、とても幸せだった。あんなに素直に幸せになれた「飲み会」は、それこそ初めてだったかもしれない。それもこれも全て、目の前に居てくれた"あの人"のおかげである。
 ――そして、帰り道。皆が駅へと向かう中、あの人だけは家が近いということで、徒歩で帰ることになった。「送ろうか?」なんて馬鹿な事を言おうとしてやめた俺は、あの人が居なくなった後の集団で、ふとつぶやいたのである。( ^o^)「なんか、あの人が居ないと、光が無くなったみたいですね」 すると、それを聞いた先輩は言った。(≡∀≡ )「あの子のことが好きなのかい?」と。やれ、その先輩は大学時代に"教育心理学"と呼ばれる物を学んでいたそうだが・・・そんな知識など無くとも、誰にだって分かる。俺の言葉は、俺の気持ちは、明らかにあの人に対して「恋」をしている人間の"それ"であったのだ。

 だがしかし、俺は先輩の問いに対して、こう答えたのである。
 (;^o^)「僕が、あの人のことを"好き"だという気持ちは・・・・・・有りません」
 別に俺は、照れ隠しを行うために、すぐにバレる嘘をついたのではない。言いよどんでしまったけれども、俺の中にあの人のことを「好き」だという感情は、確かに存在しなかったのである。そうでなければ、卒業した先輩たちの前なら( ^o^)「あの人が好きなんです」と言って月並みな励ましを貰ったほうが、遙かに楽だったはずだ。
 ・・・しかし。どうして俺は、あの人のことが「好きではない」のだろうか。「魅力が無い」? いや、あの人ほど魅力的な女性は、そうは居るまい。「交友関係が無かった」? そんなことは無い。他の全ての女性はもちろん、下手な同級生男性よりも遙かに付き合いが長いはず。「きっかけが存在しなかった」? いや、今まで幾度と無く、単なる「後輩」や「友人」を超えて、女性としてのあの人に魅力を感じてきた。だからこそ、俺があの人のことを「好き」にならないほうが、まったくもって変な話なのだ。

 そして、それらの疑問に対する答えは・・・未だに出せていないのである。
 果たして、どういうことなのだろうか。「友達」「恋人」との違いは。そして、「人を好きになる」とは。一体どこからが「特別な関係」なのであろうか。
 ――まったく。いつか俺にも、分かる時が来るのかねぇ・・・。

……………

 この国の政治は、自由民主党こと「自民党」が与党であり、対する「社会党」が野党であるという、いわゆる「55年体制」によって進められてきた。最近になって社会党は「民主党」と名前を変えたが、基本的な体制は変わらない。常に自民党が政治を行い、それに野党が意見する、という構造が基本となってきたのだ。
 ・・・だが、2009年9月。そんな政局は(にわか )に動くこととなった。自民党政権に対する国民の不信をきっかけとした総選挙で民主党が300議席超の大躍進を行い、政界は民主党を中心として再編成されるに至った。そして今では、「野党」と言えば完全に自民党のことを指すにまでになってしまったのである。
 ――そんな大変化が訪れたのが、たった1年とちょっと前なのだ。2009年9月と言えば、まだFF13が発売されてなくて、俺が(;^o^)「メガネっ娘萌えええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」とか言っていて、遊戯王5D'sがWRGP編に入ってすぐだった頃である。そう思うとだいぶ昔のことのようにも思えてしまうが・・・何はともあれ、日本の歴史の中では短い「たった1年」という間に、自民党から民主党に政権が移譲されるという、大きな政界の変化が有ったということである。

 というわけで、計らずとも聖界政界再編の舞台に携わってしまった我々。さながら、そんな政治が行われた今年の国会議事堂は、政誕座とでも形容すべきであろう。
 ただ、それが正しかったか否かは、あくまで別次元の問題である。このサイトの日記では、解釈の分かれやすい「政治理念の話」は、もとより扱わないことにしている。そんなものは、読者の皆さんが色々と情報を集め、それによって自分で判断して頂ければ良い話である。何も情報を得ずに目先の利益だけに踊らされるのならまだしも、しっかりと情報を収集して自分で何が正しいのかと考えたのであれば、それを否定する権利は誰にも有りはしないのだ。
 ――まったく。俺も昔は、「20歳までに左翼にならない者は・・・」の発言のごとく、目先の"愛国心"とやらに燃えて、露骨な発言を行っていたこともあった。だが俺も、もう22歳である。さすがに「知性が足りない」と称される年齢は、そろそろ卒業すべきであろう。
 ・・・だからこそ俺は、こうやって多くの人の目に触れる場所では、あくまでも「中立」という立場を取るに至ったのである。もちろん、読者の皆さんの中には、俺のことを「中立」なんてとんでもない、"露骨な○○党支持者"だと思う方も居るかもしれない。だが、そういう人はそれで良い。なぜなら、その人は自分の考えをしっかりと持っているからである。誰かの思想を"誤誘導(ミスリード )"することが無く、逆に確固とした思考を抱くことに役立つのであれば、俺にも存在意義が有ったというものなのだ。

 さて。
 そんな2009年9月から始まった民主党政権であるが、その一番の仕事は「政権交代」だと、1年が経った今でもよく言われる。
 ――あなたが、もし「自民党支持者」であっても「民主党支持者」であったとしても、民主党政権の最大の仕事が「政権交代」だということには、寸分の違いもなく納得の行くことであるはずだ。いや、どういうことか分からないという諸君。それは、"こういうこと"なのである・・・。



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/ //   ///ヽ < 民主党政権の最大の仕事は「政権交代」だよな >
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/  (^) (^)  | <ですよね 私もそう思います >
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人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
/        ヽ 
< まあ、まだまだ「政権交代」はこの先なんだけどな>
| 〃 ------ ヾ |  
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
\__二__ノ   




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 / 一 ー\    人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
/  (・) (・)  |  < えっ、もう「政権交代」は行ったじゃないですか >
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/ //   ///ヽ < えっ >
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/  (^) (^)  | < えっ >
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/ ̄ヽ/ \ / \ / ̄ヽ   人人人人人人人人人人人人人人人
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